小林よしのり氏は
「東京裁判を否定することは戦後の日本の外交を否定することになるぞ」をサヨクの詭弁と恫喝といい
Japan accepts the judgements
「judgements」は「諸判決」である。ところがなぜか日本だけが「裁判を受諾」と誤訳されていると言う。
東京裁判は事後法で裁かれており、裁判自体が無効である。判決を受け入れ講和しているが、戦犯として刑が執行されているものは受け入れざるを得ない。
戦犯は後に恩赦されるが、執行された戦犯はその恩に授かれない。だから靖國合祀なのです。そして顕彰するのです。そこに問題を言う輩は一体誰なのか
戦後日本人は生き残り、立ち上がる為に必死だった。東京裁判の判決は戦犯と言う恨みの対象物を創造し、占領民は怨む事で日本人として生き残った。
小林氏は顕彰を問題視する
それは先の大戦を誤ったものとして隣国と友好的な方向で形成された日本社会に恩恵を受けその居心地に甘んじ、今更全て失う事も無かろう。
しかし彼は靖國の顕彰をちらつかせる。武道館の追悼式派であろうか、しかしながらA級戦犯はデマとし、かろうじて保守を保つ。
この11条の訳を保守派の多くは『量刑』と訳す。また学者でも11条の否定は米国に戦闘再開されても文句は言えないなどの恫喝も未だに見られる。
私は日本語訳などでの曖昧な議論が問題の根底にあると思う。
70年前のしかもニュールンベルグと東京裁判のみの事後法によって裁かれた裁判そのものが無効なのであるから
講和条約の条約すら問題に出すことすら自ら呪縛をとかない確信犯に未だに迎合する或る種の病、トラウマでしか無く、戦後保守派の軟弱性を見た気がする。
あくまで、前に述べた左翼の恫喝は戦後の血気盛んな右に対抗しての決まり文句なのでないかとすら思う。
その議論すらしない現在の政治家に保守など絶滅しているかにさえ思う
靖國だけが変わらない。
英霊の力を借りようとしているのか参拝する議員の会にすらその軽蔑の視線を送りたくなる。
逆だろうと。
議員一人一人に問いたい、なんの為に靖國神社に参拝するのかを。このままでは新しい追悼施設が忽ちできても不思議ではない。
英霊に助けられ今がある、英霊と靖國の為に何をどう守りたいか、それを有権者が見て必ず貴方を守るのである。
こんなことを次世代の党大会の平沼赳夫先生の挨拶を見て感じた。