パール博士が述べたとおり、「もしハル・ノートと同じような通牒を受けとったなら、たとえモナコやルクセンブルクのような小国といえども、矛をとって立ち上がったであろう」という屈辱的な内容でした。
まさしく最後通牒であったのです。
第一項「共同宣言の方針案」
1,一切ノ国家ノ領土保全及主権ノ不可侵原則
2.他ノ諸国ノ国内問題ニ対スル不関与ノ原則
3.通商上ノ機会及待遇ノ平等ヲ含ム平等原則
4.紛争ノ防止及平和的解決並ニ平和的方法及手続ニ依ル国際情勢改善ノ為メ国際協力及国際調停尊據ノ原則
第ニ項
1.イギリス・中国・日本・オランダ・ソ連・タイ・アメリカ間の多辺的不可侵条約の提案
2.仏印(フランス領インドシナ) の領土主権尊重、仏印との貿易及び通商における平等待遇の確保
3.日本の支那(中国)及び仏印からの全面撤兵
4.日米がアメリカの支援する蒋介石政権(中国国民党重慶政府)以外のいかなる政府も認めない(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
5.英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む1901年北京議定書に関する治外法権の放棄について諸国の合意を得るための両国の努力
6.最恵国待遇を基礎とする通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9,日米が第三国との間に締結した如何なる協定も、太平洋地域における平和維持に反するものと解釈しない。(日独伊三国軍事同盟の実質廃棄)
10.本協定内容の両国による推進