2020年8月13日付当ブログ『ひろゆきを糺す』で取り上げたひろゆき氏の靖国神社に関する言説を今一度取り上げ前回よりも細かく見てみよう。
『靖国神社には行かない、何故ならめんどくさいから。
もし自分が首相だったら?A級戦犯とA級戦犯じゃない人を分けてくれたら行きます。
誰が悪いの?靖国神社の宮司が悪いのです。僕は靖国神社の宮司が悪い派なのでA級戦犯と戦没者は分けたほうがいいと思います。』
A級戦犯とは東京裁判で「平和に対する罪」という事後法によって起訴され、処刑又は病死した戦争犯罪者のことである。
合祀が問題となるのは
①犯罪者と戦没者が一緒に祀られている問題
②インドのパール判事(国際法専門)が事後法により無罪を主張していた問題
③そもそも犯罪者かの問題
④東京裁判を受け入れて講和している問題
⑤祀られる側でなく祀る側の問題
⑥宗教の問題
⑦感情の問題
と様々な問題とされる視点が重層しており、複雑に絡み合っている。
これを一般論として単純化させたのが富田メモであり、天皇も不快に感じていた戦犯合祀は悪という印象操作により固定化されている。
つまり、本来は何ら問題もない首相の靖国神社参拝を問題化させるための後付けの理由として固定化された。
それが戦犯合祀である。
これを否定して最早戦犯ではないし、合祀には何の問題もないと考えることを
ひろゆきたくない
と造語した。