一度英霊になった男といえば小野田寛郎さんだ。
着任から8ヶ月もすれば終戦で普通の兵士なら帰還するのであろうが、彼に下された命令は違っていた。
それは『日本本土が占領されても連合軍と戦い続けること』であった。
彼は命令に忠実に人知れず29年もの間一人で戦い続けたのだ。その間に靖国神社は英霊として彼を祀っている。
首相の参拝すらままならない現状に、「死んだら神さまになって会おう」と約束した場所が靖国神社であり、「国は私たちが死んだら靖国神社に祀ると約束しておいて、戦争に負けてしまったら、靖国など知らないというのは余りにも身勝手」との見解を示している。
国の戦没者を英霊として祀る靖国神社が宗教法人、宗教施設となったのはGHQによる取り壊しから逃れる策であった。
神道は宗教と言うよりも日本民族固有の思想と言った方が正しい謂わば習俗と考えた方が良い。
首相や閣僚が参拝すると問題となるような現状を元英霊が身勝手と嘆いているのだから、その他の246万余柱の英霊が嘆かない筈はない。
日本の国の為に死んだものを宗教だから行けない、近隣諸国の目があるから、合祀されているから、と出来ない理由はいくつもあるが、結局は英霊との約束を果たしているか否かである。
東京裁判を受け入れて講和条約を結ぶ、ということの約束は戦犯とされるもの達の刑の執行で果たされている。それは決して侵略戦争を起こした犯罪国家を永遠に反省するることを意味していない。
寧ろ反省しなければならないのはこの国の人の為に死んだ英霊を分祀したり、別の追悼施設を建設したりすることだ。
このような国が、管理し追悼することを靖国神社自身も望んでいないのは、その時の国の都合で取り壊されることを恐れているからである。
国が保護して追悼するためには宗教の例外として特別措置法の立法で国が変わるしかないだろう。
これが一番の戦争責任であるからだ。