前回のせやろがいはどやろがいのスピンオフと思って貰って良いと思う。伊藤詩織さんとの対談動画で気になった点を掘り下げようと思う。

というのもアラサー世代というか、ネットやスマホを使いこなす世代に見られるアップデートしていかなくはいけないというソフトウェアに関する改善を意味するアプデを自身の考え方や社会規範の改善等を意味する言葉として多用していることが少し気になった。
つまり、スマホやパソコンに見られるバグを自身の欠点に投影して改善していくことをアップデートしていくという使い方だ。
この考えや使い方には落とし穴があるように思えてならない。それはスマホ世代以外の者や古い考え方の排除に繋がるのではないだろうか。
私のような古い人間はスマホのアプデが来るたびに『めんどくせぇな〜最初から完全な物を作れよ』などと思ってしまう。
しかし彼等スマホ世代にとってそれは有難く革新されどんどん便利になってアプデ最高!ぐらいに思っているのだろうか。
したがって老いていくということは常に社会から排除されるという不安を抱えながらスマホをアプデしていくことになる訳だが、身体を機種変出来ない分アプデをし続けることは必須であると、自ら落とし穴に落ちてる自分にハッとする。
70年以上も憲法をアプデしていない日本であるが、機種変される前に改憲できるのだろうかとしみじみ感じるのである。

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