天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

西部邁の言葉から保守を考える

2024-11-18 22:04:00 | 時事
保守とは革新に対して古くからの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方などを尊重して、それらの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方を保存したり、維持したりすることだ。

政治において保守政党と言えば最初に北朝鮮の拉致疑惑を国会で取り上げた、民社党、現在では
自由民主党、日本のこころを大切にする党、新党改革などがあげられる。自民党を除けば衆議院には議席のない極小政党となり、日本のこころからは和田政宗議員が離党し自民党会派に入った。

和田議員の離党は安倍政権を支える為のようだが、自民党を保守政党とするならばなにも離党まですることもないだろう。

つまり、今の自民党は保守政権と辛うじて言えるが保守政党に入るかは些か疑問でもある。
民主党にも保守派議員がいるが数名だ。

この様に民社党や自民党から分派した保守派議員は党名を変え何度も再生してきていたが、次世代の票は自民党に食われ日本のこころを大切にする党へ党名を変えたがタイミングも悪く平沼赳夫氏も自民党に復党している。

政治的には戦後71年の戦後レジームは明らかに保守を駆逐したと言っても良い程に一掃してきた。

要するに安倍政権の支持率の高さは明らかに政界よりも国民の保守思想の目覚めであり、安倍首相以外総理候補がいないことも、支持率に繋がっており、安倍首相以外は期待出来ないことが、長期政権の理由となるだろう。

野党共闘している中、公明党が辛うじて与党、安倍政権のキーマンになっていることも保守派の危うさにもなっており、トランプ当選とリベラルの終焉は安倍政権にとっては追い風となっているものの少しでも保守色をだせば、野党は一丸となって揚げ足取りにまわり、国会は混乱を極めているのも見逃せない事実であろう。



『デマゴーグとは、読んで字のごとくデーモス(民衆)に対するアゴゴス(指導者)ということであり「デマゴギーという言葉が古代ギリシァのものであった」事実からも「民の声が扇動の嘘話にのりやすい」というのは古今東西に普遍的なのである。』




パール判事は「ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」とし広島原爆の慰霊碑の文章にたいして、「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と述べている。

つまり戦後日本のアゴゴスが東京裁判の嘘話によってデーモスを扇動してきたことが戦後レジームであり、この日本を保守するとはこの体勢からの脱却であって究極には戦前へ回帰することこそが保守の原点であると言えよう。

安倍政権が右傾化しているとのレッテルはアメリカの民主党政権下の懐疑的不安を朝日を代表するマスメディアの告げ口からのものであって、左派にとっては権力の"気付き"を潰す為のレッテルであることは言うまでもない。

しかし、保守である安倍政権が村山、河野談話を踏襲せざるを得ないほど野党共闘とマスメディアの抵抗勢力は歴史修正主義というレッテルを間髪入れずに貼るのである。

やはりこの抵抗勢力の茨の道は占領軍の影響下での"日本国憲法"ではなく、"オキュパイドジャパン憲法"に基づき着々と米軍の意に沿った日本になる様に監視、誘導してきたのだろう。朝日の主筆が葬式を出すとまで豪語していたことに決意の程が伺える。

戦前回帰もいわば右傾化と同列のレッテルであるが大日本帝国に戻ることも大日本帝国憲法に戻すことも有り得ない、ましてや国家神道に戻る可能性は皆無に等しい。これは保守出来なかったものなのである。

"オキュパイドジャパン憲法"てさえ主権の存する国民の総意に基づいて象徴として天皇が規定されている。これはギリギリのラインで國體を護持しようとした先人の知恵であり、第1条としてあることからも伺える。

保守はこれをどのように解釈すれば良いかの手本を西部氏は次のように表現している。


『主権とは「何ものによっても制限されることのない最高権力」のことであり、そんな凄い権力は、天皇という個人においてであれ、特権階級という少数者においてであれ、国民という多数者においてであれ、所有されてはいけないものだ』


『国民とは、実は、歴史上の総国民のことであったのだ。したがって「国民の意志」なるものはそれら総国民の残した「歴史の知恵」のことである』


『このような存在をさして国民というなら国民主権を謳って一向に構わないし、またこの存在を象徴するものをさして天皇というのなら、天皇主権を憲法に謳ってもよいわけだ。それゆえ、わが憲法の第一条における「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という文章は、正しくは次のように読まれるべきなのだ。つまり「天皇の地位は、主権の損する日本的伝統精神に基く」というふうにである。』


如何であろうか、主権というなにものにも制限されない最高権力を天皇から剥ぎ取って国民という国が無くなればただの難民となってしまうものに与えた。

このことが日本国憲法の最大の矛盾であり、デマゴーグなのである。

自民党の改憲案には天皇を元首と明確に規定している。このことを保守すれば、自ずと主権者が確定する。そしてこの元首の規定だけでも成立させる事が出来れば自民党は保守政党と呼ぶに相応しい政党となるであろう。





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