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昭和天皇の側近で、戦後「A級戦犯」に指定された木戸幸一元内大臣に対し昭和天皇が、
「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」
と述べたとの記述が『木戸日記』にあり、また終戦時の鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長迫水久常によれば、
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ポツダム宣言受諾に関する御前会議(8月9日~10日)において聖断を仰がれた時、天皇が次のように発言された。
『わたしとしては、忠勇なる軍隊の降伏や武装解除は忍びがたいことであり、
戦争責任者の処罰ということも、その人たちがみな忠誠を尽くした人であることを思うと堪えがたいことである。
しかし、国民全体を救い、国家を維持するためには、この忍びがたいことをも忍ばねばならぬと思う。』
真心を尽くして仕えてきたものが罪人となり処罰されることが我慢することの出来ないことであるのに
我慢せねばならない。
その者達が靖国神社に祀られることに《不快感》など感じられるはずがなく、もしかりに《不快感》を
お感じになられるとすれば
合祀に付随しておこる問題視、反対、支那の内政干渉に伴う国内の政治問題化こそが《不快感》であり
靖國に親拝出来ない《不快感》以外の何物でもない。
生き残る為の日本人の知恵だとしても、そのグレーで曖昧になった戦争責任を皇室と戦犯、靖国を利用してベールを掛けようとする行為は
旧日本軍、軍属を未だ貶める新聞、メディアの姿勢に直結する。
もう70年も経過したのだ、充分過ぎる程忍んだのでないだろうか。
耐え難い総て呑み込んでの謝罪が、現在では逆手に取られ歴史認識として喉元に突き付けられている。
それでもまだ貴方は昭和天皇が戦犯合祀に
《不快感》をもっていると考えますか?
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