進撃の巨人においてハンジが地鳴らしに立ち向かい死んで行くことに涙した人は少なくないだろう。それは可哀想などの否定的な涙ではないはずだ。どちらかと言えば仲間を庇う思い、勇気、ノブレス・オブリージュのような使命感に涙したのではないだろうか。漫画だから、フィクションだからと否定的に犬死にと思う者は皆無だろう。
一方で先の戦争の特攻で美化するな、犬死にさせたなどの否定的意見が多く見られるのはこれが本当に起こった事だからなのだろうか。犬死に派やそれに反対する派の考え方を見てみよう。
A.「特攻は犬死にかそうでないかの議論ですが、軍事的に見ると戦争に負けたんだから明らかに犬死にではないですか?あと、そういう議論と、元特攻隊員を敬うか否かの問題は、別の問題じゃないですか?」
B.「おっしゃる通りですね。残念ながら特攻隊員の死は犬死でした。彼らは犬死「した」のではなく、無能、無責任な軍の指導者たちに犬死「させられた」のです。日本海海戦の英雄、東郷平八郎聨合艦隊司令長官は「決死隊はいいが必死隊はいかん」と言っていたそうです。特攻隊は必死隊でした。 人間を兵器の一部に組み込み、使うものが死なないと機能しない兵器、兵士の死が前提条件になった作戦を考えた時点で既に戦争に負けているのです。それを考え出したもの、認可したもの、命令で出撃させたものたちは国賊です。」
C.「戦争に負けたら犬死か。 それは結局全ての戦死者についてであって、「特攻」に限定してるわけではないね。 なぜなら「特攻が戦争の勝敗を左右したわけではない」から。 つまり、特攻と戦争の勝敗が直結していない以上、特攻による死者が犬死かどうかは戦争結果から判断してはならないわけです。 こんな暴論が許されるのであれば、中国に占領されたチベットの抗議者たちは犬死だと言ってるのと同じです。 あなたはチベットで中国支配に抗議した人を犬死と罵るか?」
少なくとも自分の祖先達の判断や結果をお花畑で酒を呷り、肉をかじりながら犬死にと煽る奴は思い遣り、勇気、ノブリスオブリージュに欠けたマーレ人なのではないだろうか。心臓を捧げたほうが良い。
勿論ここは靖国神社と概念的に同義であろう。
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