
本能寺の能の字が違うとお気付きの方もおられるであろう。実はこの本能寺、炎上と移転を繰り返して本能寺の変ではなんと四度目の炎上だったそうで、その後も天明の火災、蛤御門の変で焼失が続きとうとう二度目の改名で能の字を去の字に変えたという。
その時歴史が止まったも今回で三度目になるが、本能寺の変、しかも明智光秀にスポットを当ててみたいと思う。
ただしNHKの「麒麟が来る」も見てないので、歴史ファンの期待に添えるかは一切保証出来ないことを最初に断っておく。
ここで本能寺の変の基本的ストーリーは省略するが、織田信長の家臣明智光秀が謀叛をして信長を討ったことが謎とされており、文献もないので真相は定まっておらず、後の時代背景により割と自由に創作されているのが現状であり、天海説など生きて江戸幕府に深く関わった仮説まである。
❶怨恨説
母親見殺し説
信長の叱責説
国替え説
❷野望説
❸黒幕説
朝廷説
家康説
足利義昭説
ご覧のように明智光秀に関しては有能で忠実な家臣であっただけに何故裏切ったのかという肝心な部分が謎となり後の歴史ファンの注目するところとなっている。
今年本能寺の変原因50総選挙なるアンケートが開催され、その集計も出ている。

最後にやや独断的な会長説で第3話を締めたいと思う。
室町幕府の衰退に伴う朝廷の経済的困窮に織田信長が支援していた事実がある。
それに伴い正親町天皇に譲位を迫っていたことも明らかになっているが、当時の譲位はある程度の費用が必要で天皇自身も寧ろ譲位の勧めには感謝も表明するなど、朝廷黒幕説を否定している。
ただ、信長は自身を神格化するなど天皇の地位を超えようと画策していたこともあり、キリスト教に対する保護の姿勢からも天下統一の頂点に立つ為、全てを手中に収める為との考え方もできる。
その後の豊臣、徳川幕府の長期に渡る政権と朝廷との関係、幕末の水戸藩の皇国史観の誕生と明治維新と歴史の潮流は常に天皇を排除してこなかったのである。
したがって、明智光秀にその志しの有無はさて置いても朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説、怨恨説の複合的要因が有力に思える。
昨今の女性宮家、女性天皇を画策してきた宮内庁の羽毛田長官以降の人事が排除されて行った過程もこの歴史の潮流のパワーに起因するのではないだろうか。