現在人誑しが、一私人を捕まえて狂ったように吠えています。
曲がりなりにも国会議員ならもはや彼は公人です。
公人が自分の行いを批判されただけで徹底的に追い詰める行為は
私の目には異常に見えます。
これでは言論の自由が脅かされていると言っても過言ではありません。
安倍首相にヤジを放つ人が逮捕されたり、
批判や反論にこれほど攻撃される世の中はおかしいです。
対岸の火事は面白いとマツ子デラックスさんが攻撃されているのを喜んでいる場合ではないのです。
これは犯罪の領域ではないでしょうか。
色々と興味ふかいブログを書いてくれている「毛ば部とる子」さんの今日の記事を読んで
私の考えそのものなので大変うれしく思いました。
同じ考えの人がいるというのは心強いのものです。
一部抜粋します。ぜひ読んでください。
これは最近私の心の中に住み着いて消すことのできない小さな不安となっているのです。
「そもそも法律っていうのは、いろんな社会の事情があって、その後から人が作ったものだ。
まず考えなくてはいけないのは、ナニ法違反か、ではなくて、この国会議員の行動には社会的にどういう問題があるか、である。
なにが問題かというと、私人が国会議員を批判すると、イヤな目に遭ったり、怖い目に遭ったりするかもしれないという委縮効果を作り上げることだ。
命を脅かしたり、体に危害を加える行為でなくても、「不快」「不安」を与えた程度で人は十分委縮する。
これがまかり通れば、こういうブログを書いている私にだって、いつ何時、プライベートな身分を探り出されてネットに晒されるとか、住所を突き止められて家の前まで来られるとか、そういう恐怖心を伴いながらブログを書かなければいけないことになる。
これ、とんでもない社会よ?」
この人誑しは自分が批判するのは構わないが
他人に批判されるとめちゃくちゃ怒り、相手に攻撃を仕掛けていってつぶそうとします。
私には異常者にしか見えません。
社会の中でこういう人間が野放しって怖いです。
ましてや今や国会議員の肩書きを持って
まるで自分が百パーセント正しいかのように吠えまくっているのです。
これを許し、喜ぶなんて国民の品性が問われる出来事です。
もしもこのような人がトップに立ったら
誰も逆らえなくなってしまいますよ。
今起きている事件を見れば一目瞭然です。
こういう危険な人を政治家にしてはいけません。
私も身元を調べられてうるさく付きまとわれたら嫌だなって思いながら書いてます。
つまり、すでに自由な気持ちを書けなくなっているということなのです。
ひと月前の無邪気で幸せな私の人生は、もう戻ってこないのでしょうか?
太郎さんや大西つねきさん、安富歩さんなどの素晴らしい人間性を持った人々に出会えた喜びも、
同時に知った人誑しの存在でそれが影を持ったものになってしまいました。
ちなみに私が彼のことを人誑しと呼ぶのは
以前見たユーチューブで彼が自分のことを「僕ね、究極の人誑しなんです」と
そういったからなんですよ。
自分で自分のことをそう呼ぶ人に平気でたらし込まれる人は信用できません。
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