ゴム、タイヤの製造にかかわる作業
「?」と思われるかも知れません。ゴムの中に石綿? しかし現実にゴムの製造過程で石綿が使われえてきたのです。この事実を知ったのは最近のことです。科学ゴムや、天然ゴムの製造過程で石綿が増粘材として、対磨耗材として利用されてきたのです。天然ゴムは、イオウを混入する事により、固化すると共に、伸縮性を発揮し始めます。このゴムの硬さ調整の増粘材としてまた、耐摩耗性を向上させる為に石綿を利用してきました。そのことにより、タイヤの寿命が格段と延びたのです。道路整備が進むにつれ、自動車の一年間に走行する距離だ伸び、それに対応するタイヤが必要となったとき、石綿が投入されたのです。ついでに関連して、道路工事従事者も「健康管理手帳」(石綿)の対象者に指定されています。なぜなのかそうなのです。自動車が行き交う道路上での作業は、まさにタイヤ磨耗による石綿粉塵の中での作業と成ってきたからなのです。加えて、北海道を始めとする、寒冷地における道路舗装に使われたアスファルトの中に大量の石綿が使用されてきたことが判明し、リサイクル利用する事による、石綿の汚染範囲の拡大が問題に成ってきています。なぜ石綿がアスファルト舗装に使用されたか?
二点理由があることが判明しました。それは昔の物語といっても、皆さんも御記憶があると思います。「スパイクタイヤ」そうなのです。嘗てスパイクタイヤに対抗して舗装の強度を上げる必要があったのです。石綿をアスファルトに添加することにより、いまひとつ向上したことがありました。それは気温の変化に対する性能の向上でした。つまり、夏に軟化するアスファルトの欠点を見事に解決したのです。おまけに寒冷地における、アスファルトのひび割れ現象までも解決したのです。その時以来、アスファルト舗装は石綿とは、切っても切れない状況と成ったのです。建設省や、地方自治体の担当者は、この事実を知っていたはずですが、現場で施工していた職工の人たちには知らされませんでした。道路上の白線もまた石綿を使用していましたが、禁止に成って短期間で白線が薄れるようになりました。代替の物質が見つからないのです。このようにして我々は、石綿被害をこうむってきたのです。それも、1965年、国はスエーデンからの造船の受注が石綿が原因で出来なくなったときから知っていたのです。1970年まで、日本の造船業界は無石綿技術を持っていませんでしたが、1970年、呉のIHIがスエーデンからの受注に成功しました。このとき開発された技術はその後、他国の船には利用されずにきました。石綿の使用は、平成15年一部禁止、同18年全面禁止になるまで、使い続けられたのです。今年度に入り、国土交通省は、日本に明治以来11箇所の石綿鉱山が存在した、調査結果を公表しました。私が以前から情報として入手していたのは、北海道富良野町と熊本県宇城市の二箇所だけであっただけに、その事実関係を確認するのに4日かかりました。いずれこの画面で、皆さんにお知らせします。