藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

眠れない夜

2012-11-24 05:03:41 | 社会・経済

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 昨日昼食後、妻が問いかけてきた。

私が、映画「北のカナリヤたち」を見に行ったのに何も語らないのが、気になっていたらしい。我妻は、難聴になり、というより若い時から少し難聴であった。今年夏、手術を受けたが、結果的には満足できなかったようである。若く、体力のある時期にすべきであったが、私の意見など聞いてくれなかった。この所、仕事上不便を感じてきたらしく、今回は手術を受けてくれたが、年齢的に劇的な回復は期待していなかった。妻は余り映画を見ない。昨日までその原因に気付いて遣れなかった事が残念である。この40幾年は、何であったのか自らの人生を問い直した。

「どんな映画だったか」昼食が終わると映画の感想を聴いてきた。人間の原点、「生と死」「愛と憎悪」「若さと老い」将に「不条理」の世界を描いた作品であった。熱く語る私に、半部あきれたように聞き入っていたが、吉永小百合の映画であるから私が熱く語るのではなく、この作品の意図する所を感じたらしい。「大きな音で音声が流されるのか」と問いかけてきた時、過古に夫婦で2度映画に行ったが、2度とも妻は寝てしなった事を思い出した。「妻は映画の音声が聞き取れていなかった為に、寝入ってしまっていたのだと」この問いで始めて気付いた。

映画の解説を、2時間に亘ってしている自分に気付き、今まで妻の耳が、聞えてない事の不自由さに気付いてやれなかった自分の至らなさに、自ら腹立たしく悲しく、眠れる事が出来ず、封印するはずであった、「愛と死をみつめて」のDVDの封を切って、昨夜十時から、今朝4時まで繰り返し、涙を流しながら見てしまった。昭和39年のこの作品は、私も「再生不良性貧血(白血病の一種)」の闘病中に見た映画である。この映画を見に行った「きっかけ」は、「思い出の中にしまいあの世まで持っていく」、その思いが、このDVDの封を切らずに、永久保存したい原因であったが、今日の自分が存在する心を作り上げて頂いた、全ての人達に感謝しながら、残りの人生を生きるために封を切り思い切り涙を流し若日の自分と向き合い繰り返し見てしまった。

コメント (2)
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