「黒い雨」の初版本である。
昭和四十一年、出版される前から、井伏鱒二のファンの私は予約して手に入れ読みふけった。 彼にしては珍しい長編のもので、一被爆者の日記を元に書き下ろされたものである。
しかしその後、日記の所有者とその内容のことや、我々にはわからない理由で増刷されなかった。 それだけに二十数年前、姪が、大学のレポートの題材にこの本が選ばれが手に入らず、私の本を貸出した。、本は学生の手から手へ渡り、いつの間にか行方不明になっていた。 仕方ないので市内の古本屋に、入荷すると知らせて欲しいとおねがいしておいたが、知らせは来ことはなかった。 ふと一昨夜インターネットで検索してみると一冊だけ初版本が東京都内に存在した。 値段など気にせず、速達で送っていただいた。 紛れもなく「初版本」である。 外箱の絵はどくだみ草の花である。
被爆者の多くが、被爆後原爆症を発症したとき、「どくだみ」のお茶を薬がわりに飲んだそうであるが、効き目があったかどうかは私には解らない。 私はおばの農家の畑で育った「トマト」の絞り汁に、塩少々、砂糖少々を入れたものを水がわりに飲まされたそうである。 すると一度ぬけていた髪の毛が、生え始めたと、おばがいつも言っていた。 その後、不思議と、私は子供の頃から「トマト」が大好きで、果実の先が少し赤らんできたくらいが特に好きである。 完熟トマトはあまり好きではない。
これから三日間は、夜読む本に困らない。 もちろん「黒い雨」をできるだけ読み直してみようと思う。
ちなみに、井伏鱒二は広島県が生んだ偉大なる小説家である。
今考えてみると、昭和四十一年は不思議な時である。 広島市青少年センターの建設を文部大臣に直訴することを思いつき、吉永小百合に初めて会ったのもこの年で、広島市立大学の建設が決定されたのも、原爆戦災誌の発刊の検討を初めて頂いたのもこの年であった。 この年には、広島出身の芸能人が中心に「カープを優勝させる会」も発足した。
すべてこの本が機縁であったように思う。
この本は世界で初めて「原爆」をテーマに書かれた小説である。