藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

昭和38年の豪雪を思い出す。

2014-12-17 10:12:14 | しごとの思い出

この様な降雪は昭和38年の、38豪雪以来である。 

建設会社の庶務課に就職していた為、広島県の小学校建設の現場の、事務責任者として広島県の中央部に赴任していた。 

一晩で1.5m二晩で3mの雪が積もった。 宿屋からの出入りは二階窓からとなり、三日目からは副菜が無い。 野菜は皆雪の下。 魚や肉は、交通が遮断され入ってこない。毎日梅干と漬物で、仕事に行くにも行けず、宿の二階で寝ているだけであった。 一周間後、自衛隊のヘリコプタから、生鮮食料品が届き、その一週間後、自衛隊のブルドーザーで、国道45号線まで送られて、帰宅した事が懐かしい。

 ※ 昨夜、風と共に雪が押し寄せてきた。

今も風が吹くと地吹雪となり、風と共に流れていく。

 

我が家の奥様「茜」様は、それでも「福王寺」参道ハイキングにお出かけである。 大切な参考文章を誰かにお貸ししたらしい。

この積雪状況では、帰宅は早くても十一時半ばを過ぎる。 雪の重みで樹木が倒れているので、散歩も大変であろう・・・・。 まあ・・・運よく友人と出会い「旦那の悪口と少しのノロケ」で気分が晴れるのであれば、強いてはお留めしなかった。

果てさて本日の、「昼ごはんと夕ご飯」の献立は、どうしようかと考えていると、大きく窓ガラスを鳴らし風が吹く。 20mは大きく超えた風を考えると、買い物は控えた方がよさそうだし、こういう日は値引きが行われるので、狙い目の日ではあるが・・・・。

4WDの車を準備して、雪かきを少しして、出掛けてみることにしよう。

三時から再び吹雪となった。 二百メートル先が見えない。 このまま降ると、明日までには50cmは積もりそうである。

 

コメント
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