藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

特攻兵の遺書

2016-12-01 11:43:02 | 日記・エッセイ・コラム

阿部総理に読ませたい我が子にあてた「遺書」

久野 正信(愛知県) 享年29歳 昭和20年5月24日

正憲  紀代子へ

 父ハスガタコソミエザルモ イツデモオマエタチヲ見テイル。

ヨクオカアサンノイヒツケヲマモッテ オカアサンニシンパイカケナイヨウニシナサイ。 

ソシテオホキクナタレバ ジブンノスキナミチニスヽミ  リッパナニホンジンニナルコトデス。 

ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。 

「マサノリ」「キヨコ」ノオトウサンハ カミサナニナッテフタリヲヂット見テイマス。

 フタリナカヨクベンキョウヲシテ オカアサンノシゴトヲテツダイナサイ。

オトウサンハ「マサノリ」「キヨコ」ノオウマニハナレマセンケレドモ フタリナカヨクシナサイヨ。

オトウサンハオホキナヂユウバクニノッテ テキヲゼンブヤッツケタ ゲンキナヒトデス。

オトウサンニマケナイヒトニナッテオトウサンノカタキヲウッテクダサイ。

マサノリ

      フタリヘ

キヨコ

幼い子供を妻に託して、特攻機に乗り込んだ父親の気持ちがどんなものか、子供のいない阿部ちゃんには解らないのだろう。

ふたたび日本人が銃を手にしたとき、世界を全て敵に回す覚悟があるのかみなさんに聞きたい思いです。

知覧の様な地を再び作ってはならない。

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水俣・・・・・・・・。

2016-12-01 09:12:44 | 日記・エッセイ・コラム

奥様、「長崎鼻」、「知覧」は頭の中に無いようです。 水俣の前に、「長崎鼻」、「知覧」に行きました。 「長崎鼻」では「玉手箱温泉」に入り、開聞岳登山の疲れを取りました。

知覧平和祈念館では、 十七歳から二十九歳までの若ものが空の彼方で散って行った現実は心を凍りつかせます。

全文カタカナで書かれた我が子への遺書。 涙があふれてきます。 久野 正信 中佐 享年29歳。

写真で乗せたいのですが、著作権のため・・・・・。 残念です。

我が奥様そこは飛ばして「水俣」へ・・・・・。

水俣資料館への案内板の不都合で団地の中に・・・・・。 山の頂上で出会ったのが

蝋ハゼの古木、見事な形と美しさ。 枝先にたわわに実る、蝋櫨の実。 思わず記念撮影。 早朝なので先に水俣の町を散策。 嘗て水俣は蝋燭が特産品であったそうだ。

広島は晩秋でしたが、水俣は初秋。 暑さに耐えかね半袖を求めることにしましたが、早朝のため・・・・。

車はいつしか「チッソ」の裏門へ出ました。

写真を撮っていると警備員がやってきた。

ぐるっと回って正門に。 私の背中の向こうに四人の警備員。 怪しい男が…テロと違うか?の形相で飛び出してきています。

この水路に水銀が垂れ流された。 この橋から左方向三十メートルにあった排水溝からだそうである。

正面を振り返ると、

ラッシュ時間の終わった水俣駅は、静かにたたずんでいました。

かつて水俣で取れたイワシを入れる籠が、駅の中に展示されていました。子供三、四人が十分遊べる大きさです。

そのあと、半袖三枚購入、暑さから解放されたのですが・・・・・・・・・。

徳富蘇峰、蘆花兄弟の資料館や生家では、・・・・・・・。顛末記は奥様のブログでご覧ください。

明日くらいにはその話が出てくるでしょう。

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