今夜の食事は「ちらし寿司」。 鯵の酢の子で、「ちらし寿司」。 三時過ぎから作り、奥様の恩師におすそ分け。 先ずは、古文書の先生。 それから、夫婦そろって「広島ハーンの会」の風呂先生の所。 帰宅後夕食。 本日はここまで。 何故か疲れました。 明日こそは・・・・・。
買い物に行ってきました。 スーパーの出入り口に、「七草粥セット」が山になって置いてある。 見ていると、購入する人は見られない。 七草粥など食する人がいるのだろうか。 我が家では、庭に生えた「せり」と、「こかぶ」が有るので、大根の残り物とで、三草は有る。 仏の座、なずな ・・・・・入れても入れなくとも味が変わらない気がしている。 作るのはやぶさかではないが、お食べ頂けるかが問題である。 「飽食の時代御粥等・・・・。」と言われかねない。 ところで私は、いたって「雑炊」が大好きである。 戦後の食糧難時代、「水団」(すいとん)も好物であった。 「水団」いえば、昭和四十三年の成人式を思い出す。 広島市の成人式の会場で、我々の仲間と「水団」を、新成人に振る舞った。 「忘れまい、戦後の苦しさを」と大書したのぼりの下で。 その時はだれも止める者はいなかったが、後日教育委員会から呼び出しを受けて、詰問された。 当時広島の青年たちは、成人式と、平和記念式は全力で取り組んでいて、平和記念式では市内の理美容関係者の協力の元、「おしぼりサービス」を行っていた。 暑さの中、汗を拭くおしぼりを提供していたのだ。 それに対して、成人式はただ会場で誘導などの手伝いだけだったが、平和ボケの青年に何某かの思い出をと、私の発案でやり始めたのだ。 新聞や、TVで紹介され、右側陣営からクレームが来たのだった。 そんなことが有ってから、青年は余計に燃えて、提供場所を青少年センターに変えて大々的に行い始めた。 それは成人式が、広島市の西、西部開発の施設に移るまで行われた。 成人式で思わず「水団」を思い出した。