藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」    加藤登紀子の歌に思う

2013-07-07 20:47:01 | 社会・経済

Photo 雨の合間に一時間くらい晴れ間が覗く。

スーパーの屋上駐車場から南を見ると、800所帯の虹山団地が、L字状に望める。

その団地の手前にあるこんもりした小山は、古墳である。 古墳の上に八幡神社が鎮座している。

私の住んでいる旧可部町は、広島県内では古墳密集地である。 先年バイパス道路建設の工事前調査で、日本で初めて巫女が座った姿で埋葬された古墳が発見された。 その場所からは、遠く宮島(厳島)を望む事が出来、そこからはるかその彼方には、九州の国東半島。 この街の名前の由来は、神戸・・・「かんべ」が「かべ」に変化したとも、神部・・・・「かみべ」・・・・「かべ」と変化したという説など色々論じられた郷土研究者の本を読みながらテレビを見ていたら、加藤登紀子がポーランドを訪れ、「今日は帰れない」の歌の原点を探す番組に釘付けになった。 

ナチスドイツ対してのレジスタンス運動で生まれた歌だそうである。 戦後まで歌い継がれ、フランスに亡命した一人の女性歌手によって、世界中に発信され、加藤登紀子は日本語訳の歌詞をつけて歌たのだそうである。彼女の主人の獄中への応援歌だったようである。 

ナチスドイツに占領されたポーランド人は、祖国を取り戻すためレジスタンス運動を始めたが、ナチスドイツとソ連との密約を知らず、ユダヤ人と共に収容所のガス室に送られて生き残ったレジスタンス運動者は少ないという。

しかし歌は歌い継がれ、現在も国民が愛唱していると言う。 

「愛国心」について考えされた番組であった。 

「明治維新」は、愛国心に目覚めた国民の一部の蜂起で始まり、それを利用して「財閥」が生まれ、「財閥」「藩閥」政治が国の方針を誤らせ、国民の多くの命と引き換えに齎された「平和」を今又、「財閥」「派閥」政治で「憲法改正」「軍需産業育成」と「再軍備」が、経済回復の名前の元に行われようとしている。

日本は経済的富により、心の貧困に陥っているのではなかろうか。 東北震災で「心の貧困」から脱却仕掛けたが、何処かで問題をすり替えられて、経済的貧困が大変な問題だと思わされているように感じてならない。 文化的価値までも「貨幣」に換算され、郷土愛までも「貨幣」に換算されているように感じるのは私だけなのであろうか。 

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