今日は小春日和で風もなく日差しがやわらかい。これも明日にはまた崩れるらしい。ちょっと足を延ばしてウオーキング。池の公園ではカモたちがのんびりと泳いでいる。少しは水も温んだかな?梅の花も今はもう満開だ。公園で薄いピンクの花を見つけると心もほぐれ、春の足音はもうそこまでだと知らされる。
藪椿と水仙
今日は小春日和で風もなく日差しがやわらかい。これも明日にはまた崩れるらしい。ちょっと足を延ばしてウオーキング。池の公園ではカモたちがのんびりと泳いでいる。少しは水も温んだかな?梅の花も今はもう満開だ。公園で薄いピンクの花を見つけると心もほぐれ、春の足音はもうそこまでだと知らされる。
藪椿と水仙
雨の音が聞こえる。冷たい手が伸びる。アパレル店員として働く朱里には、隠し続ける「あの日」の過去があった。「あの日」が近づき同じ過去を共有する典子が婚約の報告に訪れた。しかしその一か月後、典子は何者かに殺されてしまう。典子を殺したの誰か!「あの日」になにがあったのか。複雑に絡み合う真実の末に潜むのは、衝撃のラスト。
解説より抜粋
人間は多少にかかわらず生きてきた人生の中で決して触れてほしくない真実を持っているものだ。最近では少女の誘拐事件が多く、そこからとんでもない事件が展開する。昔はこの手の話は本の中だけだったが、現在では事件が起こってもまたか~とスルーしてしまいがちである。異常人格者の男の起こした誘拐事件から物語は推移していく。
コロナウイルスの蔓延の報で人ごみの中へは行けないし家でこもりがちの毎日だ。マスクはだんだん底をついてくるので、嵐の過ぎ去るのをじっと待つしかない。
神社の境内は思ったより広くて歴史を感じる。朽ちかけた建物のなかに鬼退治の板の壁画が残っていて興味深い。屋根があるとはいえ、雨風に影響があるのではと気になる。
古今和歌集にある菅原道真の歌碑があった。
このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに
(あまりにも美しいもみじを幣の代わりに見立てますので、神のお心のままにお受け取りください)
古くからこの一帯はもみじがきれいだったのだろう。
境内には狛犬が多く目についた。
今日の歩数は12000歩
幾分少ない人出ということで、奈良の手向山神社へ行く。ここは大きな銀杏の木と紅葉が美しいところ。
11時から舞台でまずお田植祭がはじまった。ご幣をつけた笹竹、早乙女に扮する少女、牛の牛童が着席して、田主と地方の掛け合いは、謡物能楽の形式で農耕儀礼が行われた。
田を耕し、種をまく所作が粛々と進む。翁が問いかけると地方の人たちが声をそろえて、唱和する。すると牛のお面をつけた少年が神に向かって「もおー」と大きな声でいうと見物人は拍手喝采!東西南北正面と「もおー」と少年(牛童)の声がひびく。おそらく10回は唱えただろうか、豊作を牛も願ってのお祈りだ。
最後に豆まき、見物人と舞台が近いので手をあげるとうまく投げてくれる。少年のカーブのかかった豆をナイスキャッチ!!今年の福をいただけた。
江戸時代までは八幡神社と親しまれた相楽神社の餅花祭に出かけた。竹串に刺された白い餅を満開の花にみたて、その年の豊作を祈る神事である。餅花が飾られた社殿には笙、太鼓、鼓の鳴るなか、巫女さんが神楽を奉納する。宮司が社殿の奥に鎮座する神に榊とお供え物をして無事に終わる。宮座さんたちの奉納したお餅は終わるとすぐにその家族に引き取られるので、それまでに写真を撮らなければならない。着いたときは半分くらい進んでいてやっとの撮影だった。(指定無形民俗文化財)
灯篭は木製で時代を感じさせる。
丸餅に赤い化粧の餅花祭庶民の祈りを今につたえて teto
自分の住む町に歴史のある神社があり、行事が延々と続くのは大事にしたい。