(写真)サルビア・ガラニチカの花
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サルビア・ガラニチカは、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイなど南米に広く生息し、その生息地からブラジリアンセージ、花の色とアニスのような香りからブルーアニスセージ、或いはアニスセンテッドセージ、その美しいブルーの色からサファイアセージなどと呼ばれている。
明るい大型の緑色の葉と、初夏から霜が降りる晩秋まで美しいブルーの花が長期間咲くので今では庭の定番として認められるようになって来た。園芸品種も出始めていて、花の色が異なる種類が10種ほどある。濃いブルー、明るいブルー、パープル、空色などゾーンで育てる魅力も増している。
春先に1~2回摘心すると、草丈を1m以内におさえられ花穂を増やすことが出来る。また、サルビアの中では風に強く丈夫な茎なので形を整えやすい。
耐寒性・耐暑性とも強いが夏場は根元を腐葉土などでマルチングをして水枯れに注意するだけで育てるのも簡単だ。
殖やし方もいたって簡単で、さし芽か株分けがよい。さし芽は今年の元気な枝をカットして今(5~6月)が最適で、株分けは成長が進む春先に行う。
このブラジリアンセージ、サルビア・ガラニチカ発見については、昨年の原稿に修正を入れ手直しをした。
(写真)サルビア・ガラニチカの立ち姿
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サルビア・ガラニチカ(Salvia guaranitica)=ブラジリアンセージ
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある常緑低木。但し、冬場は、地上部から切り戻しを行う。
・学名は、Salvia guaranitica A.St.-Hil. ex Benth.。英名はBlue anise sage, Brazilian sage、anise scented sage、流通名がメドーセージ。
・原産地は、ブラジル、アルゼンチンを含む南米。
・花弁が3cm級のブルーの花を6月から秋まで多数咲かせる。
・咲き終わった花穂は切り戻す。
・草丈50~150cmと大柄で、増殖力が強い。5月までに摘心を行い丈を調節し、花穂を増やす。
・夏場に乾燥させないように根元を腐葉土でマルチングすると良い。
・さし芽、株分けで殖やす。
命名者
Saint-Hilaire, Auguste François César Prouvençal de (1779-1853)
フランスの博物学者・探検家のサンチレールは、1816-1822年に南アメリカブラジル北東部のリオデラプラタから奥地に調査に出かけ、24000種の植物標本、2000種の鳥類、16000種の昆虫標本などを採取した。この標本はパリの自然史博物館に保存されていて、これらを元にブラジルの博物誌を著作する。
Bentham, George (1800-1884)
ジョージ・ベンサムは英国の植物学者。裕福な家庭に生まれるが大学などの学校教育は受けずに独学で学習した天才。1世紀以上も学生によって使われた『英国植物ハンドブック』(1853年1版)を出版。彼の死後は友人でキュー王立植物園の園長フッカー(Sir Joseph Dalton Hooker)が改訂版を編集し、“ベンサムとフッカー”として呼ばれる名著を著作する。
Dusén, Per Karl Hjalmar (1855-1926) 1903年に命名された。
スウェーデンの植物学者・探検家。アフリカ、南米などを探検したプロのプラントハンターといった印象がするがいかんせん情報が少ない。ニューヨク植物園には、彼が収集したコケ類の貴重な標本コレクションがあるので、依頼されて収集したという感じがする。
Regnell, Anders Fredrik (1807-1884)
サルビア・ガラニチカの採取者・プラントハンター。(以下に説明)
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<Contents of the last year>
ブラジルのセージ 発見者の物語
S.ガラニチカは、1833年に学名が登録されており採取日はこれより前になる。
その学名は、「Salvia guaranitica A.St.-Hil. ex Benth.」であり、命名者の一人が、英国の植物学者 ベンサム(George Bentham 1800-1884)だった。彼は、サルビアが属するシソ科の権威であり中南米の植物の体系を整理していたことがこれでわかった。
もう一人の命名者は、フランスの植物学者サン=チレール(Saint-Hilaire, Auguste François César Prouvençal de 1779-1853)で、1816年から6年間ブラジルの北東にあるリオデラプラタ(Rio de la Plata)の奥地まで入って植物調査を行い、多くの動植物の標本をパリに持って帰った。現在はパリ自然史博物館のコレクションになっていて、これらをベースにブラジルの植物相についての著名な著作物もある。
このブラジルに咲くセージを採取したのは、コペンハーゲン生まれで病弱なレグネル(Regnell, Anders Fredrik 1807-1884)だった。彼は、裕福だが家庭的には恵まれない家に生まれ、17歳の時に医学校に合格し、ウプサラ大学のリンネ学派の先生の影響もあり植物学に興味を持つようになった。
1837年に卒業し1840年にはブラジルにわたった。
肺からの出血が止まらず健康的にすぐれないので、スウェーデンから遠い南国への転地療養でもあった。だがこの病は、ブラジルへの船旅中に太陽と潮風などにより回復したというから転地療養がうまくいったことになる。
リオデジャネイロの医学校に入学し、カルダスという小さな村に生涯住むことになる。
ここに、土地とコーヒー園を取得し、コーヒーが順調に伸びて財を形成することになる。この財産を一生の道楽である植物の調査探索と研究のために使った。
膨大な植物と標本を収めるハーバリウムを作り、多くの植物学者がここに滞在した。カルダスという小さな村でのレグネル植物館は察するに相当目立ったことだろう。
これだけなら単に植物好きの偏屈な独身金持ちで終わったが、母国スウェーデンにブラジルの植物研究を進める基金をつくり、植物調査などを支援する“Regnellian Herbarium”設立の資金提供を行った。
設立された“The Regnellian herbarium”には、中南米カリブ海などアメリカの植物標本40万件が集約されているそうだ。
今では世界の科学振興の基金となっている“ノーベル賞”は、1901年にノーベル(1833 – 1896)の遺言ではじまったが、これよりチョッと前に、南米の植物の範囲で、レグネルの研究支援が始まっていた。
ノーベル賞は、贖罪的な要素もあるが利益を社会還元するスケールの大きさに感心するが、的を絞ったレグネルのドネーションも素晴らしい。
ブラジルのセージ S.ガラニチカは、採取日不明だが、レグネルの標本館にあったという。このセージは、健康と勇気と社会貢献を教えてくれるセージでもあり、不老長寿の伝説を創る1話となっても良さそうだ。
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サルビア・ガラニチカは、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイなど南米に広く生息し、その生息地からブラジリアンセージ、花の色とアニスのような香りからブルーアニスセージ、或いはアニスセンテッドセージ、その美しいブルーの色からサファイアセージなどと呼ばれている。
明るい大型の緑色の葉と、初夏から霜が降りる晩秋まで美しいブルーの花が長期間咲くので今では庭の定番として認められるようになって来た。園芸品種も出始めていて、花の色が異なる種類が10種ほどある。濃いブルー、明るいブルー、パープル、空色などゾーンで育てる魅力も増している。
春先に1~2回摘心すると、草丈を1m以内におさえられ花穂を増やすことが出来る。また、サルビアの中では風に強く丈夫な茎なので形を整えやすい。
耐寒性・耐暑性とも強いが夏場は根元を腐葉土などでマルチングをして水枯れに注意するだけで育てるのも簡単だ。
殖やし方もいたって簡単で、さし芽か株分けがよい。さし芽は今年の元気な枝をカットして今(5~6月)が最適で、株分けは成長が進む春先に行う。
このブラジリアンセージ、サルビア・ガラニチカ発見については、昨年の原稿に修正を入れ手直しをした。
(写真)サルビア・ガラニチカの立ち姿
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サルビア・ガラニチカ(Salvia guaranitica)=ブラジリアンセージ
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある常緑低木。但し、冬場は、地上部から切り戻しを行う。
・学名は、Salvia guaranitica A.St.-Hil. ex Benth.。英名はBlue anise sage, Brazilian sage、anise scented sage、流通名がメドーセージ。
・原産地は、ブラジル、アルゼンチンを含む南米。
・花弁が3cm級のブルーの花を6月から秋まで多数咲かせる。
・咲き終わった花穂は切り戻す。
・草丈50~150cmと大柄で、増殖力が強い。5月までに摘心を行い丈を調節し、花穂を増やす。
・夏場に乾燥させないように根元を腐葉土でマルチングすると良い。
・さし芽、株分けで殖やす。
命名者
Saint-Hilaire, Auguste François César Prouvençal de (1779-1853)
フランスの博物学者・探検家のサンチレールは、1816-1822年に南アメリカブラジル北東部のリオデラプラタから奥地に調査に出かけ、24000種の植物標本、2000種の鳥類、16000種の昆虫標本などを採取した。この標本はパリの自然史博物館に保存されていて、これらを元にブラジルの博物誌を著作する。
Bentham, George (1800-1884)
ジョージ・ベンサムは英国の植物学者。裕福な家庭に生まれるが大学などの学校教育は受けずに独学で学習した天才。1世紀以上も学生によって使われた『英国植物ハンドブック』(1853年1版)を出版。彼の死後は友人でキュー王立植物園の園長フッカー(Sir Joseph Dalton Hooker)が改訂版を編集し、“ベンサムとフッカー”として呼ばれる名著を著作する。
Dusén, Per Karl Hjalmar (1855-1926) 1903年に命名された。
スウェーデンの植物学者・探検家。アフリカ、南米などを探検したプロのプラントハンターといった印象がするがいかんせん情報が少ない。ニューヨク植物園には、彼が収集したコケ類の貴重な標本コレクションがあるので、依頼されて収集したという感じがする。
Regnell, Anders Fredrik (1807-1884)
サルビア・ガラニチカの採取者・プラントハンター。(以下に説明)
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ブラジルのセージ 発見者の物語
S.ガラニチカは、1833年に学名が登録されており採取日はこれより前になる。
その学名は、「Salvia guaranitica A.St.-Hil. ex Benth.」であり、命名者の一人が、英国の植物学者 ベンサム(George Bentham 1800-1884)だった。彼は、サルビアが属するシソ科の権威であり中南米の植物の体系を整理していたことがこれでわかった。
もう一人の命名者は、フランスの植物学者サン=チレール(Saint-Hilaire, Auguste François César Prouvençal de 1779-1853)で、1816年から6年間ブラジルの北東にあるリオデラプラタ(Rio de la Plata)の奥地まで入って植物調査を行い、多くの動植物の標本をパリに持って帰った。現在はパリ自然史博物館のコレクションになっていて、これらをベースにブラジルの植物相についての著名な著作物もある。
このブラジルに咲くセージを採取したのは、コペンハーゲン生まれで病弱なレグネル(Regnell, Anders Fredrik 1807-1884)だった。彼は、裕福だが家庭的には恵まれない家に生まれ、17歳の時に医学校に合格し、ウプサラ大学のリンネ学派の先生の影響もあり植物学に興味を持つようになった。
1837年に卒業し1840年にはブラジルにわたった。
肺からの出血が止まらず健康的にすぐれないので、スウェーデンから遠い南国への転地療養でもあった。だがこの病は、ブラジルへの船旅中に太陽と潮風などにより回復したというから転地療養がうまくいったことになる。
リオデジャネイロの医学校に入学し、カルダスという小さな村に生涯住むことになる。
ここに、土地とコーヒー園を取得し、コーヒーが順調に伸びて財を形成することになる。この財産を一生の道楽である植物の調査探索と研究のために使った。
膨大な植物と標本を収めるハーバリウムを作り、多くの植物学者がここに滞在した。カルダスという小さな村でのレグネル植物館は察するに相当目立ったことだろう。
これだけなら単に植物好きの偏屈な独身金持ちで終わったが、母国スウェーデンにブラジルの植物研究を進める基金をつくり、植物調査などを支援する“Regnellian Herbarium”設立の資金提供を行った。
設立された“The Regnellian herbarium”には、中南米カリブ海などアメリカの植物標本40万件が集約されているそうだ。
今では世界の科学振興の基金となっている“ノーベル賞”は、1901年にノーベル(1833 – 1896)の遺言ではじまったが、これよりチョッと前に、南米の植物の範囲で、レグネルの研究支援が始まっていた。
ノーベル賞は、贖罪的な要素もあるが利益を社会還元するスケールの大きさに感心するが、的を絞ったレグネルのドネーションも素晴らしい。
ブラジルのセージ S.ガラニチカは、採取日不明だが、レグネルの標本館にあったという。このセージは、健康と勇気と社会貢献を教えてくれるセージでもあり、不老長寿の伝説を創る1話となっても良さそうだ。