モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ベルガモット(bergamot)の花

2009-06-20 08:41:09 | その他のハーブ
(写真)ベルガモットの花


二年目にしてやっと花がついた。
艶やかな真っ赤な花が、真上から見ると円を形作り王冠のように林立する。
何と派手な花なのだろう。

和名では、燃えるような松明のようであり「タイマツバナ(松明花)」と呼ばれるが、言いえて妙でもある。

昨年はうどんこ病にやられてしまった。
風通しの悪いところに置き、かつ、水遣りを忘れたため葉が乾燥しうどんこ病に侵されたので、根元から切ってしまったので花を見ることが無かった。

洗練された上品さにかけるが、ストレートな強烈な花であり群立すると見ごたえがあることは間違いない。

            

『オスウェゴ・ティー』
この花は歴史的にも有名であり、アメリカの独立戦争につながる事件の脇役でもあった。
ニューヨーク州のオスウェゴ河付近に住むインディアンたちは、古くからベルガモットの花と葉で入れたハーブティーを飲んでいた。
この風習を受け継ぎ入植した人々は、1773年ボストンで開かれたティーパーティでイギリスの高関税の紅茶をボイコットしこのオスウェゴ・ティーを飲んだ。これをボストン茶会事件という。ここから植民地アメリカの独立戦争に突入することになる。

香辛料・コーヒー・紅茶はヨーロッパに無いものであり、この利権を握ることが重要な国策だった時代が長く続いた。国際貿易でのコーヒーの利権を獲得したオランダへの対抗から、イギリスはコーヒーに重関税をかけ紅茶にシフトしたが、オランダとの競争・戦争に発展し、そして植民地アメリカから収益を上げるために紅茶に重関税をかけ、独立戦争の引き金を引いてしまったという歴史は繰り返される事となった。

『オスウェゴ・ティー』は、シトラスの香りが立ち上るベルガモットティーで、味は気に入っている紅茶アールグレーに似た大人の味という。実際、アールグレーに風味をつけるために使われている。これには興味をそそられるが、いまはあまり飲まれていないようで紅茶の代用品だったのだろうが、独立を勝ち取った緋色の王冠だったのだろう。

育てているものを食するのには多少の勇気がいる。かわいそうというか食したらもったいないという気持ちが働くのでなかなか手が出せない。しかし、開花後からはじまるうどんこ病にやられるならば入浴剤として使ってみようという気になる。

(写真)ベルガモットの姿
        

ベルガモット(bergamot)
・シソ科ヤグルマハッカ属の耐寒性がある多年草。
・学名はMonarda didyma。属名のモナルダは、スペインの医師・植物学者でダリアを栽培したマドリッド植物園の園長ニコラス・モナルデス(Nicholas Monardes)による。
・英名は、その香りがベルガモットオレンジに似ているので、ベルガモット(bergamot)、別名として蜂がこの花を好むのでbee balm(ビーバーム)、monarrda(モナルダ)、Oswego Tea(オスウェゴ・ティー)。和名はタイマツバナ(松明花)。
・原産地は、北アメリカ東部。森林の日当たりが良い湿地に自生する。
・草丈60-120㎝で直立し、アメリカ先住民が愛用していたハーブ。
・日当たりが良いやや湿り気味の土壌が適している。
・白い粉が吹いたようなうどんこ病にかかりやすいので、風通しの良いところで育てる。
・開花期は、6-8月で、真っ赤な4-6㎝の立体的な花が茎の先端に咲く。園芸品種があり白、ピンク、紫などの交雑種もある。
・柑橘系の香りが全体からし、ベルガモット・オレンジに似たさわやかな香りがする。
・若葉、花は、サラダ、ハーブティー、飲み物の風味付けなど利用範囲が広い。生・乾燥させて入浴剤としても利用される。
・開花後は、株が疲れてうどんこ病が出やすいので、収穫を兼ねて茎を1/3ほど残してカットするとよい。花後にはお礼の追肥を。
・一年おきに春先に地下茎の株わけで新株を作り増やすとよい。鉢で育てる場合は、繁殖力が旺盛なので、元気な茎を残しカットする。
・殺菌性チモールを含むので風邪に効果があり、ハーブティーはリラックス効果があるという。その割にはイギリスとの戦争に突入したのであまり飲まなかったのだろう。

コレクター
Seymour, Arthur Bliss (1859-1933) 1891年
この「ベルガモット」は、アメリカ先住民のブラックフィートインディアン(Blackfeet Indians)がハーブとして活用していたが、西洋人としての採取者は、シーモア(Seymour, Arthur Bliss 1859-1933)が記録上での最初のコレクターのようで、1891年にノースカロライナで採取している。
シーモアは孤児だったが親類に育てられ、5歳の時には猩紅熱にかかり耳が不自由になったりしたがイリノイ大学に入学した。植物・菌類に興味を持ち卒業後も助手として残ったが、1886年からハーバード植物標本室のフェローとして務め、生涯8万種もの菌類を分類しそのレポートを書いた。ハーバード大学の菌類学は彼が基礎を作ったといってもよい。

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