岩山のアルプスに全長7.1㎞のトンネルを掘る・・・明治28年 資金を集めて本当に実行したスイス人達がいた。
全長の3/4は、岩山に掘られたトンネルを走る登山鉄道だ。・・・風雨に影響されずに年中無休で運行している。
このスイスの方は、ポイントの除雪作業
これは除雪車、アイズ君?
このアルプス三山、左端雲の切れ間に見えるアイガーの麓に向かいS字に登り始めます。
サア、クライネ・シャイデック駅 標高2061mから、ユングフラウヨッホに向かって発車
・・・車内は、しゃれたハイバックシートでビデオ鑑賞が1年前から出来るようになり、思った以上に快適。
クライネ・シャイデックの駅が遠くなってきた。
上の写真では、この先左にユングフラウの氷河・・雪の斜面を見ながら、右にヴェッターホルン、グリンデルワルトを見下ろしながら進む・・・
短いトンネルで尾根を抜けると、アイガーグレッチャー駅 標高2320m に到着。
眼が悪くなった・・・二重に見える?・・・画像が悪いのです。動画から切り出した静止画です。スミマセン。
この駅から北側斜面にスキー場が広がる。ここまでリフトで上がってくることもできる。・・・残念ながら視界が悪い。
この駅と始発の駅の中間位まで下ると、反対側の西側斜面スキー場に出る・・・雪が無ければアルプスのハイジ・・・ハイキングコースとして人気で、登山以外でも利用する人が多いようです。
間もなくアイガーの山腹から長いトンネルに入る。これだけ標高の高い所から3,454mまでトンネルを掘る・・・永久凍土と岩盤を相手に、低酸素と低温状態での過酷な肉体労働・・・作業者はどんな待遇で働いていたのでしょう・・・
JUNGFRAU MAGAZIN からの当時の写真です。
受刑者でもなく、主にイタリア人労働者が安い賃金で働いていたようです。ストライキの写真もあります。
トンネル内では、車両の前後に設置されたモニターでビデオが鑑賞できる。
・・・登りの電車は、途中2か所でトイレ休憩と山腹からの眺望が見られるように5分間停車する。
50分前後をかけ、ゆっくり登る理由には、登山者でもない一般の観光客、老若男女の身体を標高に慣らしながら登る。高山病対策が必要となったのでした。
トンネル内最初の停車駅、アイガーヴァント(アイガーの壁)駅に停車。
ホームから10m位でしょうかトンネルの先に岸壁にくり抜かれた穴、建設中の残土を捨てた所にガラス窓がはめられ、窓越しに絶景が・・・。
・・・視界が悪いが絶壁のようだ。ここは標高2865m、Eiger:アイガー北壁、映画や小説で有名なあの北壁の中央にたどり着いた。
ここは登山者の緊急避難場所、救助隊の出発場所にも利用されています。
この北壁のパネル登頂ルートの中央左横に、小さな長方形の枠に囲まれた所が、この駅です。
急こう配の線路を既に標高差800mも登ってきたことになる。
そしてこの後、西に連なる三山の中央、メンヒの山頂真下に向かってトンネルは続く。
赤枠の中央の山 Mo?nch(メンヒ) 4107m、その右がJungfrau(ユングフラウ)4158m
次の停車駅は、アイスメーア(Eismeer) 標高3160m、氷の海と呼ばれています。
クライネ・シャイデックから見えない山の裏側になる南面にトンネルを通し、風穴を開けています。
視界不良・・・画像省略。
・・・この登山鉄道着工の前に山岳鉄道で成功した会社があり、観光客に大人気。・・・投下資本の回収が予想より早く、山岳鉄道新設ブームとなったようです。
急勾配を売りにするか、到達点の標高を目玉にするか、各社プラン競争で活気があった時代・・・
山と雪と氷に囲まれ・・・若者を傭兵として他国に送り出すしか外貨獲得が無かったスイス人は、観光が商売になるとは考えもしなかった。
自然保護で反対する人々もある中、鉄道王アドルフ・グイヤー・ツェラーと言う人物が、1893年12月、山頂を断念し、メンヒとユングフラウの間の尾根の低い部分(ヨッホ)まで鉄道を敷き、展望台を造る案で建築許可を申請。
1894年12月 スイス連邦議会から建築許可が下りる。
1905年3月 アイスメーアとアイガー山頂の間に空中ケーブルの建設許可を申請するが却下される。
1912年8月1日 16年に渡る工事の末、鉄道駅がオープン。
・・・ユングフラウの手前、尾根にあるユングフラウヨッホに向かう。
約50分位で、標高差約1,400mを登ってきた。もうすぐ標高3,454m 鉄道駅 ヨーロッパ最高地点に到着する。
到着・・・トンネルの中で多少違和感があるがタラップを降りる。ここもプラットホームなどは無い。線路を歩き駅舎に向かう。
大きく深呼吸し、ゆっくり歩く。平地に比べ酸素濃度は60%位と言われるが、今のところ異常無し。
車両の先端を左に回り込むと出迎えてくれるのがこの胸像、・・・関係者でしょうね・・A.Guyer-Zeller 1839-1899 とあります。・・・鉄道王、創業者のアドルフ・グイヤー.ツェラー この方でしたか。
自動ドアから中に入ると複合施設「ベルグハウス トップ オブ ヨーロッパ」0階ロビーとなる。振り返ると入口横に・・?
これが有名な、日本から贈られた郵便ポスト。現役で利用されています。
ホームから入ってきたのが北側、(上の写真で左側)、南側に進むとカフェテリア、ガラス窓の下は絶壁(別途動画にて)、天気が良ければアレッチ氷河が望めます。
階段上はレストラン、左の売店スーベニア・ショップの横を進むとこの階にもレストランがあるが、その手前を左に曲がる。
この鉄道の上得意客は日本人とインド人、・・・インドカレーのレストランも必要になります・・・営業してます。
さて、「TOUR」と順路の案内が目に入る。
自働ドアを抜けて、トンネル進むと左の分岐トンネルの先にホームが見えた。
ウーン、頭が重い・・・気分がすぐれない。トンネル内と思うと、吸い込む空気が微細なセメントの粉じんが舞っているような気分になる。
緩やかな登り勾配のような気がする中、重い足取りだが早くトンネルを抜けようと気分は急ぎ足。やがて360度シアターに出合う。
ユングフラウ鉄道完成100周年記念で新設されたアトラクション「ユングフラウ・パノラマ」360度スクリーンに、4分間のアルプスの映像が繰り返し流されています。
その先に、エレベータホールが見えてきてホッとする。ここから一気に108m、スイス最速のエレベータで27秒、スフィンクス展望台に上がる。
エレベータを降りると、右側に時計売り場がある、その横のラセン階段を上がると
時計ショップの真上にこのボードが(黄色いロゴがS字形に変更された)・・3571mと表示されています。記念撮影をどうぞ。
1996年に展望台がリニューアルされ、ビューテラスが設置され・・快適にガラス窓越しに・・・白い世界だけが見えた。
ビューテラスの先(このボードの裏側)に進むと石造りの建屋となり、通路先の回転ドアを抜けてその先の扉を開くと・・・
・・・アルプスの空気を思いっきり吸い込んだ。一面銀世界・・・雪は珍しくもなく、視界が悪いのが残念。
この建物の上部は気象観測ドームです。
フェンスの横に取付けられた長い板を見つけた。素手で雪を払い落し、宝探しのように案内板の文字を探し出す。・・・下は氷・・手先が痛くなってきた。
この位置から右手にメンヒがあるのだが、・・・アレッチ氷河の上でスノーパーク:そり遊びやレンタルスキー・スノボーも天気が良ければ最高です。
視界の悪い冬山もまた良しとして、アイスパレスに行こう。
エレベーターで下るとホールの先に、メルヘンの世界、このアルパイン・センセーションも100周年記念観光アトラクション。2012年春から公開されています。
エーデルワイスのライトに迎えられ第一ホールはスイスの小さな夢物語。
ここからアイスパレス(氷の宮殿)まで約250m、山岳観光の歴史があり、動く歩道のギャラリーでは創業者鉄道王の紹介映像が流れたり
演出されたトンネルをしばらく進み、
アイスパレスの表示に従い階段を降りると、ここからひんやりした別世界。1934年に麓に住む山岳ガイド二人が氷河の中に巨大な洞窟を掘ったことから始まる。
トンネル上部の厚さは10m前後、アイスパレスを公開していくことに問題点が二つあった。
1.氷河は動いている、15cm/年間
2.観光客の体温で氷が解ける?
氷の芸術作品の内容は、ご案内する程印象に残っているのが無いのですが、マイナス3℃に保つ特殊な空調システムや氷河の移動に対して常に補修が続くメンテナンスに脱帽します。
富士山山頂で登山客に時計を売ろうとは考えないでしょうが、電車で登ってきた一般の観光客にスイスの精密工業の象徴、時計を売る発想(多くの販売員が従事している)には驚きました。
最近の日本人の発想では、富士山山頂で登頂記念のオリジナル時計(世界遺産記念)を売り出したら何が違うでしょう。
登山客相手です、経費を掛けない自動販売機で・・・となるでしょう。会社の利益が目的で雇用は生まないのです。販売員は経費と考える昨今の風潮は、困ったものです。
・・・クライネ・シャイデック駅が見えてきた。
こちらの南側に到着する。反対側の北側にも2500m弱の山があり、スキー場がある。
このテントは売店、この裏にスキー場が見える。
天気も回復してきて絶好のスキー日和だが、目標物が少なく視界が悪くなると迷子になりそう。この右側は、リフト乗り場とレストランがある。登山電車で登ってきた方角になる。
この人達は下の町に向かって滑って行くのでしょう。
グリンデルヴァルト・グルント駅から登ってきたが、帰りは反対側の路線で下る。
上の写真は、左からクライネ・シャイデック川が流れてきている。全山ゲレンデと言う雄大なコースを右に下って行く。
途中駅で、大勢のスキー客が・・・多分、1日フリー切符で峠の頂上まで、また登るのでしょう。
渓谷の村まで下ってきた。右に見える塔は教会の鐘楼でしょうか。この絶壁、昔は住むには厳しい環境でも、今日では観光資源。
駅が近づいてきた。年季の入った車両が頑張っている。
ラウターブルンネン駅、結構大きい駅だ。西の登山口、・・・切り立った崖から、ヨーロッパ第二の落差の滝シュタウフバッハが有名のようだが、残念だが迎いのバスが来ていた。