近鉄 名古屋駅から名古屋線に乗る。天むすとお茶を持って・・・。ここから約80㎞、1時間弱くらい伊勢湾の車窓を楽しむことになる
市内を過ぎて木曽川を渡り、ハマグリで有名な桑名を通過。この下流にナガシマスパーランド(ジェットコースターなどが有名なレジャーランド)があり施設の一部が見えてくる。
まもなく四日市の湾岸地帯を抜け、鈴鹿市の平野を海岸に沿って南下する。
海の近くに白子駅・・この付近にアナゴ料理の美味しい店があった。
・・・当初の予定では、ブルーベリーの大きな鉢を3鉢ほど車に載せて鈴鹿に来る予定だったが、突然東京で車を手放すことになり、やむを得ず電車で来ることになった。
中古車は、型式・年式などで店頭価格の相場が分かります。中古車販売のデイラーは相場を参考に、業界のオークション会場での落札価格が想定できます。
この落札価格から各ディラーが適正利益を考慮して買い取り価格を決定します。(買い取り価格は取引金額によって異なるが、店頭販売価格の1/2~1/4位でしょうか)
しかし、ディラーの話によると、車を確保することが最優先の場合もあるようです。海外に持っていく場合は船便のコンテナ条件もあり・・・安く仕入れる以外に、人気の車を必要数入手するのも重要とか。
そんな事情を近くのディラーで説明され、店頭価格・オークション落札価格を聞かされて、通常買取価格は度外視し・・・距離は走っているが程度は良い、ワンオーナーで事故歴なし・・・
落札想定価格に鈴鹿までの電車賃を上乗せします・・・、赤字でも欲しいと頼み込まれて3時間・・・根負けし、東京で車を処分したのが1週間前でした。
・・・まもなく目的地 三重県 県庁所在地の津市に到着した。
駅前のロータリーで5人家族が迎えてくれた。
天候は曇り、明日は雨の予想・・・ここから車で国道を約40㎞、1時間弱くで外宮に到着した。ここ神宮は、昨年 第62回式年遷が行われ多くの参拝客で賑わったようです。
最初に訪れる外宮(げくう)は、衣食住の守り神とされる豊受大神宮(とようけのおおみかみ)が祀られている。
第二駐車場に車を止め、玉砂利を踏みしめながら手水舎(ちょうずや) に向かい、清めると・・・その先に案内板が・・・
小川に架かる小さな橋を渡り、道なりに進むと左からの表参道と合流する。
この合流する左角に神楽殿、合流して右に折れると参道の右側が豊受大御神を含め3つの建物からなる正宮(しょうぐう)となる。
お知らせと書かれている手前の白い看板は、参拝停止の案内です。神宮行事で一日参拝停止の場合もあるので、個人旅行の場合は念のため調べておいたほうが良いですね。
常設の木製の看板は、夜間参拝停止の案内です。季節によって夜間の停止開始時間が午後5時、6時、7時と3種類・・・とあります。5月から8月が参拝停止が午後7時と夏時間になっています。
この鳥居も式年遷宮で新しく建て替えられました。
参道は短い距離だが、両側の大木が覆いかぶさり太古の森の中を進むような感じになる。
そして神楽殿が、左に見えてきた。突き当りを右に折れると正宮が見えるでしょう。
右側に歳月が感じられる塀が見えている。
右手に大きな鳥居が、その両側に大木がそびえ、その奥に苔むした萱ぶき屋根・・・お役目が済んだ正宮でしょう。まもなく更地になり次の式年遷宮の出番を待つ。
左隣に真新しい板塀が見えています。
この真新しい塀の先に、新しい鳥居ができていました。
式年遷宮で昨年新しくなった正宮、この鳥居から先は撮影禁止、・・・では、神宮の資料を、・・・正殿は四重の垣で守られています。
参拝は、・・・どこの位置でしょう?
内玉垣南御門で参拝・・・しているのでしょうか?
いえ、多分そんなに中までは入れません。一番外側の板垣南御門から鳥居越しに外玉垣南御門を見ることができます。この門を正殿?と思われる方も多いでしょう。
この外玉垣南御門には中央に白布が掛けられ、中が見えないようになっています。この門から先に更に鳥居があり内玉垣南御門、更に瑞垣南御門と続きその先が正殿と思われます。
正殿は資料によると、外宮は茅葺き屋根の上に水平に押さえている堅魚木が九本あるそうです。(内宮は十本)
では、今いる位置から正面の屋根の上、・・・鳥居で一本隠れていますが・・・堅魚木は五本ですね。
・・・正殿方向に参拝し、右に折れ板垣に沿って出口に進む。
そしてここが出口。この右手が 古い正宮
この苔生した茅葺き屋根の上にある堅魚木も五本です。向こうに内玉垣南御門が見えています。
時間は午後2時半頃、・・・次に内宮へと行こう。位置関係はこの案内板にて 、歩くと40分くらいでしょうか。
外宮から南南東に2㎞、内宮に通じるおかげ横丁を散策しながら参拝するので、五十鈴川の河川敷有料駐車場に車を停める。
五十鈴川から上流を眺める、この上流にも橋が架かっていて、二つ目の宇治橋が内宮の入り口になる。
参拝のみの場合は、上流にある宇治橋横の駐車場まで入れるのでそちらが便利です。
橋を渡った右側に赤福餅で有名な赤福がある。その脇、道路横の建物から地下に下りる階段が・・・
内宮おかげ参道・・・の看板が掛かっている。ここから階段を下り、地下道で道路の反対側に出ます。
こちらが反対側、左手にトイレがありここからおかげ横丁・・・。地図で調べると中程に「おはらい町」があります。
一生に一度は お伊勢参りを!・・・時々聞くことがありました。お伊勢参りは人々に余裕ができた江戸時代末期、六人に一人(五人に一人の説も)はお伊勢参りに出かけたそうです。
あの手この手の方法で、援助も受けて伊勢路へ・・・無事に参拝ができた旅人は「お蔭参り」と呼ばれ、ここの地元商家ではお蔭参りの人達に食べ物を提供し、いつか「おはらい町」と呼ばれるようになったそうです。
おかげ横丁は㈱赤福の子会社が、バブルがはじけた後の1993年に「おはらい町」を中心に門前町の街並みを再現した観光地で、特産品や土産物、飲食店など数十店が営業しています。
おはらい町の中程では各種イベントも開かれ、式年遷宮の話題も重なり観光客は順調に増加しているそうです。
店が閉まるのは比較的早い・・・日暮れと共に?(AM9:30~PM5:00頃)夏はPM6:00まで。
・・・おかげ横丁の終点・・・ここが、内宮の入り口、宇治橋に架かる鳥居が見えます。
ここの鳥居は、少し年季が入っている?
この宇治橋は式年遷宮の前に架け替えられました。
平成20年、年末に仮橋が出来、前回の参拝では下流の仮橋を渡った。平成21年11月に新しく架け替えられました。
橋の下を流れる清流 五十鈴川・・・、この景色落ち着きますね・・・
当然ですが・・・はるか遠くの尾根に、鉄塔・送電線が見えないのが・・・雰囲気に浸れるのでしょう。
橋を渡り、右に折れしばらく進むと右側に・・・内宮の手水舎です。
手を洗い、更にこの先、右に折れ五十鈴川の岸辺に・・・
この五十鈴川で身を清めるのが本来のようでした。しかし増水、濁流の日もあります。手水舎の利用は、便利で安全です。
この内宮では、橋を渡り右に折れ、右側に手水舎、五十鈴川も右側・・・自然に右側通行になります。
左に見えてきたのが神楽殿です。左ですから帰り道に・・・
参拝後、お札やお守りを購入します。・・・nnん!おみくじ?
おみくじは、無いです。ここで一喜一憂しないように・・・でしょうか?。
神楽殿の先200mくらい進むと、左の丘に斜めの階段が・・・式年遷宮で正宮が左隣に移った。これまで使われていなかった階段が、参拝後の下り専用としてこれから20年間役目を果たすことになります。
参拝に上る階段はもう少し先になります。右に少しカーブして100mくらい。木立の間に階段が現れた。
この階段の右隣が従来の正宮参拝用階段で、更に木立の右側に下りの階段があった。
・・・階段の上は撮影禁止!・・・以前、階段を上った先での写真をブログにアップしましたら・・・、
即、神宮に詳しい親切な方から・・・「階段上は撮影禁止の看板が出ています」と指摘されましたので・・・割愛。
外宮と正宮の配置は同じようです。階段上の門のところで参拝し、左の階段から神楽殿へ。
ここ内宮は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っています。
かつて、神話で神の使いとされた「鶏」に再訪を伝え神宮を後にしましょう。
時間は夕刻、PM6時までに予約先の鳥羽に向かう。
・・・翌朝、天候 曇時々小雨模様
神宮に関係するもう一か所を訪れる予定だったが、変更して遊覧船に乗る。
MIKIMOTO 真珠の故郷 ミキモト真珠島です・
市営駐車場に車を停め、鳥羽マリンターミナル から鳥羽湾めぐり 、
曇天、鉛色の空、しかし風は幸いに弱い・・・海は真夏が一番?、日差しが強すぎても困るが、水温が低いこの時期も・・・釣りには適しているが・・・養殖筏の先に小島が見えてきた。
飛島・・・目の前に次々と・・・島に続いて鳥が・・・遊覧船の観光客からから投げられる餌に 、集まってきたカモメたち
15分ほどで大きな島が見えてきて、入港する。イルカ島、アシカやイルカのショーが用意されている。
かもめ劇場の場所が島の高台に作られていて、一人乗りのリフトが山頂駅まで動いている。
しかし、小さな子供や年寄りは一人での乗車は無理でしょう。
・・・裏山の神社に旧坂を上る、そんな感じの坂道がリフト乗り場の隣にありました。途中から道幅が狭く未舗装になり、階段状の坂道を・・・やむなくでしょうか、お年寄り、子供たち、結構登っていました。
イルカ島では30分毎に観光船が入港するので、30分観光後乗船、約50分の湾内一周コースでした。
食事をして帰路、松坂で人気のお店に立ち寄り松坂牛を少し購入し・・・車を引き取りにディラーへ!
今回の目的は、手配していた車の引き取りに鈴鹿に来ることだった。
・・・さて、こちらのディラーの営業マン、当初下取りも含め交渉していたので、会うなり〇△円で売られたのですか?・・・予想の倍以上の売却金額に質問攻めに合ってしまった。
さて簡単な説明を受け、支払いを済ませ車を受け取る頃には、すっかり夕暮れになっていた。サイドブレーキを左足で踏み込んで、エンジンスタート・・・左・・・何も無い。
プッシュボタンのサイドブレーキが慣れないが、マァ 何とかなるだろう。
・・・今日は日曜日、帰りの渋滞を避けて鈴鹿に泊まる。
翌日、休暇を取ってきたので朝早く奈良に向かう。1時間後奈良市内、時間は朝9時頃、県庁前を過ぎ近鉄奈良駅近く、ナビで喫茶店を探す。
・・・ナビが使いこなせない。ストラーダ(パナソニック)からカロッツエリア(パイオニア)に替えたので操作がスムーズにいかない。音声入力は、大半が誤訳。
この辺店が多いからと、右折の看板で右に曲がるとお店はあるが・・・道幅が狭い。そうだ、古い都だった。
駐車場は無いし、道幅が途中で狭くなるし、普通この道幅では一方通行だろうと不安になる、奈良では知らない脇道へ入るのは危ない危ない。
何とか幹線道路脇の喫茶店でモーニングを頼み、ナビの簡単な操作ガイドを読む。
どこに行こうか・・・大阪? ナヒ゛に頼らなくても大丈夫だろう。
大阪城公園の東に車を入れ、・・・外堀を渡って、ここは大阪城 豊国神社
豊臣秀吉公で有名な出世・開運の神社です。豊臣秀頼、秀長さんも祀られています。台座2m、像は3.2m・・・豊臣秀吉公の銅像です。
そして、その先天守閣が
最近、大阪城はマッピングをしたり各種イベントが盛んなようです。
こんな看板がありました。
目の前の大阪城ではなく・・・秀吉が建てた大阪城は、1615年大坂夏の陣で・・・落城・・・来年2015年は、それから400年・・・無念の落城を節目と考えるのが地元大阪ですね。
(大阪城内 展示コーナー 大坂夏の陣)
(人気の真田軍)
江戸の将軍・2代目徳川秀忠が1620年に大阪城を再築・・・それから10年、落成、1665年落雷で天守を消失。
1931年(昭和6年)天守閣復興・・・戦災に合いながら・・・博物館として現在に至る。
秀吉が建てた元の大阪城、その石垣の公開に向けて奮闘中です。
・・・1614年、徳川軍大軍で大阪城を攻めるが、城内に攻め込めず、・・・和議、講和の条件に本丸は残して、二の丸、三の丸を破壊し、外堀を埋めること。(大坂冬の陣)
この時代の難攻不落な城構えの大阪城は、看板の案内通り現在とは相当違ったようですね。
さてチケット(600円)購入し、1階から5階まで直通エレベータで、そこから階段で上階に・・・6階は回廊で立ち入り禁止。7階(秀吉の生涯)、8階が展望台
突然ですが、あなたはできます? 天守閣の真正面、桜門の前で
そう! 若いからできるのです。
嫌だー!
・・・言ってないで、左端の彼女!あなただけですよ。 右端の貴方、目線はこちらに!
パーフェクト! スッキリ、・・・元気になれました。
この後、・・・帰路、大津方面渋滞、伊賀を通って鈴鹿に戻るのも面白くないので枚方・宇治・山越えで信楽と・・・ナビと格闘しながら何とか信楽ICに。
夕方4時近い、・・・何とか東京の自宅に9時半頃到着した。
ナビの取扱いは添付の小冊子は入門用、別途ユーザズガイドをPCで読み込み細部の確認が必要だが、400頁を一気に印刷も大変だし、普段はナビ必要ないし、
パイオニアさん・・・動画のチュートリアルくらい用意しないと、ユピテルとスマホに圧倒されますよ。