気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

アルペンリゾート地 インターラーケン

2013-08-26 | 旅行記

首都ベルンの南東に約50㎞、標高567mの高台にある二つの湖・トゥーン湖とブリエンツ湖の間に広がる街・・・”湖の間”から名前が付いたインターラーケンを目指して高速道路・・・。

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はるか前方に3000m級が連なるアルプスが・・・

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インターラーケンの表示が見えてきた。もう少しか・・

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前方左手に結構大きいトゥーン湖が・・・ベルンからの列車も到着したようだ。

この先がインターラーケン・ヴェスト(West/西)駅になり、終点がブリエンツ湖に近いインターラーケン・オスト(Ost/東)駅となる。

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高速はここで降り、少し山裾を走り、尾根を短いトンネルで抜けると右手に見えてくる。

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白い山・・・夕日を浴びたユングフラウの姿・・・ドキッ!・・・ やはり高い・・・4000m級の山並み、・・・よく登ろうとするものだ。

アイガーの北壁で有名なアイガーはこの街からは左手に手前の山があって見えない。

2001年に世界遺産に登録されたのが、アイガー:3970m、メンヒ:4107m、ユングフラウ:4158mとアレッジ氷河エリア(2007年にはエリアが拡張された)

メンヒは場所によってはこの街でも見えるようだ。道路を左に曲がり、ユングフラウは後方になってしまった。

数分で街に入り、間もなく道路の左手にホテルが見えてきた。

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このホテルが宿泊するホテル。こちら側の窓からユングフラウが見えそうだ。インターラーケンの街とホテルは、グーグルの航空写真で位置関係を確認してきていた。

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すぐ横の小山に登り写真を撮る予定だったが少し到着が遅すぎたようだ。もうすぐ日没、断念しよう。


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取り急ぎホテル2階に駆け上がり、夕日に染まるユングフラウを改めてガラス越しに見る・・・巨大な壁だ。

ロビーに戻り、ルームキーを受け取り、旧式のリフトで4階の部屋へ・・・広い部屋の窓辺に進みカーテンを開け、出窓を開けて180度のパノラマ風景に・・・しばし感動する。

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1991年アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で、登山ルートから離れた所を歩いていた観光客が、偶然氷河が解けて一部が露出していたミイラを発見し話題になりました。

最近、このミイラ、・・・アイスマンがイタリアで解剖され、NHKでも特集として放送されました。

5300年前に生存していたとされるアイスマンは、このアルプスの標高700mとこの地より高い山麓に住み、標高3000m以上の冬山にも縫製された毛皮の装束を身に着け登っています。

靴も立派な熊の毛皮、純度の高い銅製の斧を持ち・・・想像できない文明がこのアルプスにも存在していたことになりました。

ギリシャ文明よりも、エジプト文明よりも以前に、このアルプス近郊にどんな文明があったのでしょう。

伝えられている歴史は本流としても、支流には発見されていない、歴史を覆す驚くべき事実が沢山眠っているのでしょう。信じられないが事実のようです。


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荷物の整理をし、着替えていると何となく暖かい光が・・・窓に次々と灯がともり・・温かいスープと楽しい団らんが始まるのでしょう・・・我々も食事の時間だ

西駅の近くで食事、ここから1.5㎞くらいかな、・・・バスで案内して戴けることになった。

途中大通りから住宅街の中を通って・・・、交差点(ロータリー)は大半が十字路でなく、右側通行で入り放射状に(例えば120度)回って抜け出ていくので、方向感覚が解らなくなってくる。

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間もなく市街地に入り、3、4回折れ曲って10分もかからず到着。帰りは、来た道を歩いて帰れるだろう。

ドイツ語圏のスイス・レストラン・・・ソーセージにビールでしょう・・・が、ワインで我慢しよう。


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ここにもお面が・・・観光地として発展する以前の時代、13世紀の英雄ウィリアム・テル時代、民話に登場するのでしょうか

この街は、約200年前にメイヤー兄弟がユングフラウの登頂に成功して以来、英国人などから登山ブームが始まって、1857年にメンヒ、1858年にアイガーが西側ルートで登頂に成功する。

山岳観光ブームとなり、宿泊施設が建設ラッシュとなり発展した町とのこと

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さて、気さくなマッチョがアルプホルンを披露してくれます。この店のオーナーか?そして音を出せる者はいないかとお客をあおり、チャレンジさせる。

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・・・次々にギブアップ、一人現役のトランペット奏者が高い音を出した。

そこで、挑戦してみました。木管部が長いのとマウスピースが大きいので、つい興奮して力み高い振動音・・・きれいな音色とは言えない・・・もう一度と言うので、本来の音色とは異なる高音が鳴りOK

アルプホルン・・・直管部が長く圧倒されたが、良く考えれば長くてジャマなので丸めているのが普通の金管楽器であり・・・唇をリラックスさせ吹く楽器でした。

食後、駅前商店街はまだ営業しているようだ。バスに戻らず一人でウインドウショッピングして帰ることにした。

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ヴィクトリーノックスの看板が見える、軍用の多機能ナイフ(アーミーナイフ)やアウトドア関連グッズの会社で日本にも輸入されている。

木製の玩具なども扱っているお店だが、時計やアーミナイフは仕事柄よく知っているので、次のお店へ。

・・・そして商店街の端、

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ロータリーだ。これが方向感覚を狂わせる・・・右側から来たと思うが・・・しばらく進むとT字路、左に折れ直ぐ右に折れる道路とやや右に進む道路10m位先に左に折れる道路と複雑な交差点。

さてどうするか・・・手前の右に折れる道を通り過ぎ、先の道を道なりに右に進む・・・

街から離れ、右側に住宅街が続く。やがてまたもロータリー、右に曲がらず直進する。左手にひときわ明るい建物が、背後の山に星のネオンが点滅したり・・・

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多分、どこかのロータリーで道を間違えた・・・時間もあるし、更に進むと直進方向は住宅の明かりも少なくなってくる。・・・明るい建物に入り、街の地図を見せて頂こう。左折して遠くにco.opのネオンが見える。

近づくと・・残念、閉店していた。その先の大通りを右折すると左に駅舎が・・・Kioskに入り地図を探すが置いてない。店員に聞いても・・・?  眼の前の店を勧められた。

思い出した西駅から多分東駅に来てしまった。途中何度か右折するのを断念し、左折したのでこうなったのだろう。

ここはユングフラウの登山電車の始発駅、夜の8時過ぎでは人通りも少ないが、朝はにぎやかだろう・・・

隣のガラス貼りの建物(暗くて全体像が分からないが大きな建物)のショップに入る、時計や宝飾品のお店のようだ、・・・地図が無いか?店員とやり取りしていると直ぐ日本人?と聞かれた・・・そして

日本人の女性を紹介された。助かった話が早い・・・早速地図を広げて頂いて、どこのホテル?と聞かれた。

・・・そうか、うっかり地図もホテルのパンフも持ってこなかった。・・・が、大丈夫、地図を見ればホテルの場所はすぐ解る。地図上で街外れにある小さな山裾を探しだし、この付近と指し示す。

彼女が〇△ホテル?と聞くが・・・覚えていないから返事が出来ない。ガラスのショーケース上のカメラのスイッチを入れ、液晶画面をサーチする。

ユングフラウとホテルの写真、ホテル名も写っているし、ついでにレストランの写真と通ってきた住宅地横の広場の写真・・・

エー西駅からこんな暗い住宅地の道を通って来られたのと驚かれたが、途中で右折するところが解らず、灯のある所がここでしたと説明する。

何かお店の製品を買いたいとケースに目を走らせたが、聞くともう閉店の時間と言う。、・・・彼女から暗い道で心配ですから携帯電話に連絡入れましょうかと、心配させてしまった。

ポーチの中に・・無い・・・携帯電話もホテルに置いて来てしまった。

大丈夫です・・・アルペン通りに戻り、パーク通りから大通り(ハウプト通り)に出ればホテルは解りますからとをお礼を言って、教えて頂いた広場の向こうに明るい建物(カジノ)のあるところまで戻り、ロータリーを左折して二つ目の大通りを左折する。

大通りに出た・・・この通りは記憶がある、左手にビリヤードの店、営業中だ。ブラブラ散策し、レストランを出てから1時間位経った頃、右手にホテルが見えた。大半が暗い夜道でいい写真も撮れずホテルに帰った。

サァ、明日は早起きだ、ユングフラウヨッホ(標高3454m)に登山電車で登る。

・・・スイス人は働き者だ、そして多分、辛抱強い国民性なのでしょう。

明治28年に、目の前の壁のようなユングフラウの岩山に7000m以上のトンネルを掘ろう・・・そして急こう配の坂道に歯車式でスリップしないで登る列車を走らせれば、大勢の観光客を呼び込めると工事が開始された。

途中難工事と予算も無くなり、16年の歳月が流れやっと1912年に開通・・・すごいことです。スイスの工作機械が優秀なのもこのような歴史があるからでしょう。

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登山電車で、クライネ・シャイデックを目指す

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そして、トンネル内で故障・・・・・救援電車に乗り移り

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クライネ・シャイデックに到着したのでした。

赤い登山電車に乗り換えて、高山病対策が必要なユングフラウヨッホに向かいます。

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スイスの首都 旧市街散策

2013-08-21 | 旅行記

スイスと言えば、スキー・登山・山と湖と氷河・・・アルプスとハイジの国・カウベル・・・時計・アーミーナイフ・チョコレート・・・傭兵の歴史・・・永世中立国・・・スイス銀行

レマン湖の畔・・・国連がある国際都市ジュネーブから、首都ベルンへ移動する、1時間45分位。

ベルンの街は、アルプスから流れてくる清流が台地にぶつかり蛇行しU字形に3方を削り、断崖に囲まれた自然の要塞を利用して、1191年築かれたが、木造の街並みは1405年の大火で焼失してしまう。

その後、石造りの都市として街並みは再建された。

中立国のスイス・ベルンは、近年の世界大戦の戦火を無傷で逃れ、中世の街並みが残り今も生活に溶け込んでいる。

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旧市街(ゲレヒティクカイト通り)、2階の窓辺に、・・・いつ頃から続く風習だろう、時代の面影が・・・

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日本では、黄金色の田んぼにカカシが立っていますが、こちらでは魔除けでしょうか?楽しいキャラクターですが・・・

こんな風景もあちこちに、

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これらの像が誕生した物語・・・興味がありますネ

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旧市街の東の端、アーレ川に架かるニーデック橋を渡り、右手にベルン(ドイツ語で熊:ba?ren)公園

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2009年10月オープンのこの施設に熊は2頭位・・・奥の建物でトイレとカフェが利用できる。

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左手に折れて坂道を登り、丘の上右側に18世紀に墓地だった所がバラ公園になり高台から、川越しに旧市街が見渡せる。

グリムゼル湖を源流としインターラーケンのブリエンツ湖からトゥーン湖を経て・・・流れてきたアーレ川は橋の左手から手前の土手下を流れ、右手上方に大きく湾曲し・・・ビール湖に入りドイツとの国境でライン川と合流する。

中央右奥に高い塔が見える・・・旧市街の中心部にある大聖堂・・・アーレ川に架かる橋(ニーデック橋)に戻ってみよう。

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橋の左がアーレ川上流、川岸まで民家が・・・そして橋の向こうに見える塔はニーデック教会。橋を渡ると旧市街の大通り

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橋からの眺め・・・川岸まで広がった街並み

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住居が川岸と高台の麓に続いている。レンガ色が落着いた景観となっている。

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さて橋を渡った高台の広い石畳の大通り、・・・ここから西に向かって、ゆるやかな登り勾配が続く。

中世の要塞都市は、この地から発展する度に西へ西へと拡張してきた歴史があり、約1.5㎞先には近代都市のベルン駅がある。

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噴水の向こう側がニーデック橋、橋を渡ってゆるやかな坂道をここまで登ってきた。

ベルンは道路中央を水路が流れ、交差点などに100以上の噴水があり、中世の時代から大切な水飲み場だった、噴水の上部には像が・・・。

この像は、「正義の女神」

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・・・よく見ると目隠しをしています・・・どうも戒めのようで「先入観でものを見てはいけない」・・・正義の女神の噴水。

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大通りの両側の建物にはアーケードが続き、雨や雪の日も濡れずに歩けるが、ドキッとするディスプレィも多い。

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左・中央の人形は、動物と華燭の式なのでしょうか?・・・右の人形も深い意味があるのでしょうが・・・?

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道路の端に落とし穴が・・・蓋を開けると地下倉庫?・・・階段を降りると立派なお店が・・・入口の蓋が・・・たくましい商魂です。

大通りから路地を横切り一本南のユンケル通りに出ると・・・ドーンと大聖堂がそびえ建っています。

尖塔部が四角柱だ・・・修理の足場が組まれて長期間の修理中・・・残念

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1421年に着工、ゴッシック様式・・・より高く天までと・・・着工から完成まで100年、200年はよくあること、この聖堂は約470年、1893年にこの辺で完成にしようと献堂式を行なったのでしょうか

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正面入り口・有名な最後の審判のレリーフ、1495年、エルハル・トキュング作とガイドブックにある。

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一部を拡大してみると・・・左が天国、右が地獄

そして教会内部へ進む

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ステンドグラスが側廊と正面祭壇にあり、充分な採光があり非常に明るく天井も高い。

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祭壇後方のステンドグラス、後期ゴッシック頃の製作

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鮮やかな色彩のステンドグラスが・・・

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そして物語が・・・もちろん、聖書の一場面でしょうが

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教会入り口横にあるこの像も、イエスと聖母マリアです・・・Pietà:哀れみ・慈悲・・・と呼ばれるのでしょう。

教会の前にも噴水が・・・

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この像は、モーゼの噴水

そして大通りに戻る途中に、天才科学者アインシュタインが結婚し1903年(24歳)頃から3年間住んでいた部屋が公開されている。

EINSTEIN-HAUS・・・特殊相対性理論などを発表した新婚青春時代・・・
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大通りは、この大聖堂付近から前方の塔までクラム通りと名前が変わる。大聖堂と反対の北側の通りには市庁舎がある。

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この石畳の道路は、バスも路面電車(トリム)も走る。

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観光名所の時計塔が近づいてきた。約800年昔の時計というから驚く、1256年製


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左が24時間時計に・・・右が仕掛け時計、・・・何時の間にか終わってしまった。

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この先の大きい交差点を渡ると、この先はマルクト通りとなる

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よく見かける連結式の赤と黒、近代的なデザインです。

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案内板も素敵なデザインで中世の建物と違和感はない、右は路線図

Jpg

ベルン、・・・中世と近代のデザインが両立した素敵な街、古い物を大事にする文化が根付いている街でした。

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