気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

金沢散歩

2022-07-19 | 旅行記

富山の有名人と言えば、藤子・不二雄さん・・・

イヤ、もっと有名な、こんな人たちに色んな所で出会えます。

では新潟寄りの富山から、京都よりの石川県・金沢市に移動します。

車で観光すると、通り過ぎてしまいますが、こちらも有名な所です。

この鳥居の先、階段上に見えるのは、日本様式ではなくて?・・・ここは台湾に来ているのか?

地元民から、お叱りを受けそうです、・・・ただ見慣れない建築様式で  中華?イヤ、南蛮?

このような様式は、かつての織田信長の安土城内にありそうです。

調べてみましょう・・・個性的な和漢洋の建物として明治8年(1875年)に日本人の設計で建てられたそうです。

尾山神社の神門として、目立つ存在ではあります。

この人が・・・加賀百万石の恩人、加賀藩 初代藩主:前田利家の騎馬像です。

豊臣秀吉が亡くなり、1599年62歳で前田利家も病死しています。

前田氏が亡くなると・・・豊臣グループ VS 徳川家康、やがて関が原での東西決戦と勢力争いの真っ只中

故前田利家公を秀吉のように神として祀りたいが、・・・既に秀吉の天下では無く

・・・二代目となった利長公は、神殿建立を強行して・・・家康に潰されたくはない・・・断念します。

代わりに卯辰八幡宮を建立し、物部八幡宮と榊葉神明宮を遷座し、ここに利長公の神霊を合祀された。

その後明治6年にこの地に尾山神社として社殿を新築したとあります。(尾山神社H.Pより)

平成10年に、正室の「お松の方」も尾山神社に合祀されました。

その後「お松の方座像」も設置され、この地で親しまれているようです。

お松の方の実母が、利家公の母の姉とのことで、利家とお松は従兄の関係でした。

・・・さて、この時期といえば・・・百万石まつりです。コロナで中止が続いていましたが

今年は(6/3-6/5)3年ぶりに実施されたようです。

過去の画像を探すと・・・2014年のまつりに、この地を訪問しておりました。

近年は、6月第1週の週末(金・土・日)実施です、梅雨の季節に何故?

前田利家公が、1583年6月14日に金沢城に入場されたのを記念して、6月とのこと。

加賀百万石まつりで、主役はもちろん前田利家公ですが

今年は西田さん、画像は、かつての原田龍二さん

ところで騎馬隊の中で目立つのは、赤いランドセルの騎馬武者です。

食料を背負っているわけではなく、エリートの証明として目立つ防具を背負って疾走したのです。

半球の骨組み(鯨のヒゲなど)に布を張って、背後から放たれた矢などから身を守る防具といわれます。

母衣(ホロ)と呼ばれ、織田信長の赤母衣9人衆の筆頭が前田利家、派手な赤は目立つ存在です。

もう一隊、黒母衣10人衆として、佐々成政らが編成され、どちらも織田信長のエリート親衛隊でした。

槍の名手として有名で、「槍の又佐」と恐れられたそうです。

では戻って、尾山神社から回り込んで進んでいくと、金沢城の金谷出丸と呼ばれる出入り口が

・・・金沢城の遺跡を調査していて、焼失したのを一昨年復元された場所に到着します。

真新しい鼠多門(ネズミタモン)橋の先に、黒い瓦の櫓が見えてきました。

通り抜けて城側から振り返ると

個性的な櫓です。

 

この一角を、金色のカエルが番犬よろしく守っています。

尾山神社境内にいろんな作家の彫刻が作品として展示されていましたが、

このカエルもかつて作品として展示された物で、買い取って神社に奉納された作品のようです。

さて、復元された鼠多門の先に広がっているのが、こちらも復元された庭園です。

1634年から庭園造りが始まり、明治期まで存続していたそうですが、廃絶となり

近年発掘調査と資料を基に整備され、2015年に復元されました。

奥に見えるのが石垣、池底から石垣の上までの高低差が、22m

金沢城公園のHPから、地図を借用しましょう。

下のオレンジのラインで進み、庭園を周回し、段落ちの滝やこちらの滝も立派です。

滝口は黒色の坪野石を混在させた珍しい石垣です。

さらに、こちらも見事な石垣です。いもり坂

鑑賞ポイントには案内板が立てられています。

色紙(方形)短冊積(縦長方形)石垣など、組み合わせも見事です。

滝の上部から・・・金沢城公園内に進みます

うっそうとした森の中に小道もあり、高台からの眺望、そして休憩

清潔な鶴の丸休憩館があります。

この館のガラス越しに見えるのは、橋爪門続櫓のようです。

他は割愛

周辺の石垣に張り付いて雑草を取り除く作業の方が、・・・こちらはトレーニングを兼ねて人気があるでしょう。

お昼は、近江町市場へ

ここの寿司屋は依然並んだ処だ などと軽く散策、コロナ後遺症で観光客は少なかった。

人気になりすぎて高価な食材 のど黒 をやはり食べたいので

横浜中華街かと思えるくらいに、看板が立ち並んでいます、市場の外れに進み、とある店で。

サーモンや

イカ墨の・・・

レモンでは

食後に、近くのひがし茶屋街で素敵なカップルに出会えたので、彼らの個人情報に注意しながら

御両人に同行しているカメラマンの前で、サプライズだったようで赤い糸を新郎が新婦に・・・

通りすがりに、その瞬間に遭遇した nnn 赤い糸が目に入った

そして二人の間で揺れる想い!・・・いや、何かが傾いている、

・・・斜め!斜め!と余計なことを・・・叫んでいたようだ。

気づいて彼女が手を少し上げてくれたと思う・・・

良かった! ・・・しかし、良くこんなアイディアが、そして実行に

創意工夫と自己主張、明るく行動力のある新婚さんに、幸せな楽しい未来が続きますことをお祈り申し上げます。

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北前船 森家

2022-07-01 | 旅行記

森家に掲げられていた北前船、比較するものがないので大きいのか小さいのか?

千石船(コメを1千石積める)クラスの北前船には、11~13人くらいの乗組員で航海。

航路は、大阪から瀬戸内海経由で下関を回り、日本海側を北海道へ、半年で1往復くらいだったようです。

途中の寄港地で売り買いを繰り返し、1往復でザット千両の利益(今日の価値で、6,000千万から1億円)

大半の船は500石くらいだったようですが、中には2000石以上の船も建造されたそうです。

・・・富山港の岩瀬エリア(富山県東岩瀬町)は、観光スポットになっています。

1878年(明治11年)頃に建てられた北前船廻船問屋 森家の前です。

入場料は110円、

江戸時代後期から明治30年頃にかけて、北陸や東北でコメや酒を仕入れて北海道で売り

北海道から昆布やニシンなどを積み各地で販売し、商売繁盛、・・・やがて鉄道がライバルになります。

ニシンは、小樽でニシン御殿が誕生するのは・・・この後、大正時代に大ブームとなりました。

この森家は岩瀬五大家に入っていたでしょう。

筆頭は、隣の「馬場家」、この馬場家も現在は維持が難しくなり、2016年、国の登録有形文化財となり

2018年から約2億円をかけ、修復・耐震工事を施し、2021年1月から一般公開されました。

馬場家は明治20年頃、この岩瀬を代表し北陸五大船主でしたが、ライバル登場に危機感を覚えます。

日本郵船(三菱・三井系の合併)が、日本海航路にも登場してきます。

千石船の特徴は、大きな1枚の帆(21~25反)、船体は長さが:約28m、幅:約8m、高さ:約2.5mくらい。

反といっても?  ・・・広辞苑:1反は普通、布では並幅で鯨尺2丈6尺、または2丈8尺とされる。

並幅とは:約36㎝とのこと。・・・反物の幅は解りました。

反物の巻いてある長さは、・・・業界で使用する鯨尺の1尺は、曲尺(カネジャク)の1尺2寸5分(約37.9㎝)にあたるそうです。

では1反の長さは(2丈7尺では)10m23cm、約10m

この反物が23反とすれば、横に並べて8m28㎝、・・・1枚の帆は、面積的には10m×8mくらいでしょうか

明治20年頃が商売の絶頂期だったようです。

贅を尽くした豪邸の雰囲気はこんなところにも、石灯籠が置かれ、

縁側(廊下)は、うぐいす張り、角にあたる部分を見ると、柱が無い

・・・ガラスの引き戸が吊下がり式で、直角に交わっています。

こちらは、資産較べ、行司が 馬場道久氏 明治20年頃の千石船ドリームです。

商売繁盛を競う、自由な雰囲気が漂ってきます。

こちらは資産家の象徴、耐火造りの土蔵、厚い大扉が時代を物語っています

この土蔵の入口の扉には、素晴らしい龍虎のコテ絵が描かれていますが・・・

撮影した動画のデータが見つからない。

ここで、特徴的な間取りを見てみましょう

上部が表通り、入って灰色の通路が奥まで続いています。

裏通りの道路まで達していますが、当時は重要な物資を扱う千石船の船着き場だったようです。

・・・銘木・屋久杉を使用した板戸や、小豆島の大きな一枚岩など豪華な建材が使用されています。

2階には番頭さんや女中さんの部屋がありましたが、階段は別々に施工されていました。

では、立派な吹き抜けの有る森家を退室して・・・裏通りを進むと、隣の馬場家の広い庭園に

飛び込んだのは、この鳥でした。

この深いブルーの毛並み・・・大好きなカワセミです。

・・・探しているのですが動画のマイクロSDが、まだ見つからない。

話はビジネスに飛びますが・・・昨年後半頃から、電気・電子部品が品薄で、車以外の電気製品も納期遅延中。

電気部品各社の海外工場はコロナでの生産停止や稼働率が低下し、さらに人手不足で物流の混乱が納期を遅らせ、

製造業の会社は、仕入れ部品の入荷が当てにならないので、値段よりも部品の確保が優先。

何とか部品を集めて、製品を完成させないと売り上げに結びつかない。

割高でもDiji-Keyなど海外サプライヤーの情報をチェック、半年先の入荷見通しを見つけると、即発注。

入荷予定日が近くなると、お詫びの連絡と共に、納入予定日が先送りされ・・・

数打ちゃ当たる式で、複数ルートに発注する適当な発注が飛び交い、・・・混乱はまだまだ続きそう。

銅が上がり、物流費が上がり、円は価値が下がり、昨今は短期間に、二度・三度と値上げが続きカオス状態。

・・・そこで秋まで待てない、PCは必ず値上がりするだろう・・・値上がり前に、先月中旬衝動買いをした。

動画編集専用にハイスペックを・・・12世代Core i7、NVIDIA:GeForce、SSD:1TB、HDD:2TB、メモリ:32GB

日銀の無責任さに呆れ、円安に対策できず・・・月末にiphoneも 13に切り替えた。

案の定というかビックリでしたが、購入後すぐにiphoneは、7月に突然値上げを発表しました。

・・・新しいPCと従来のPCと2台,、アプリが異なるので並行して使用していたら、データは重複するし、

さらにスマホも突然変えたので、PCと共に設定に明け暮れて、ストレス増加・・・便利になるのはいつ頃か。

・・・話は戻り、異様な建物が

そう、富山港展望台とあります。

エレベータはありません、内部の階段をひたすら上ると

富山港の横ですので、海が見えます。

地上に設置された  こちらの案内板には、この展望台が描かれています。

下の写真は、確か森家に飾ってあった3枚の内の一部と思いましたが、

・・・北アルプス、立山連峰の中央が剣岳

・・・標高は、3000-1=2999(m)、少し隆起すれば大台ですが

今晩の宿は、宇奈月温泉近くの金太郎温泉、

翌朝、ホテルから・・・霧雨の山並みがこちら

先月上旬の風景です。

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