気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

出雲大社2

2016-01-07 | 旅行記

出雲大社の西側、気になったので再度礼拝する側から本殿を見てみよう。角を曲がると

こちらが西側、瑞垣に沿って北に進むと、本殿の上部が見えてくる。

垣から少し離れて本殿を眺めるとこのような感じです。礼拝所横に立てられた案内板の下側一部を拡大すると

礼拝所からはこのような配置になる。この本殿の左(北側)奥にご祭神がこちら向き(西向き)に安置されている。

もう少し北側に進むと、このような感じになります。

ここで本殿の大きさを調べると、屋根の最上部まで24mと記されています。屋根は大きな丸太(直径1.1m)の柱、高さ11.8mを中央に、南北に(直径87cm)、高さ15.5mの柱を組み、東西にも各々3本を建てた構造のようです。

屋根(大棟)の両端にX状の置き千木(チギ)が(長さ7.9m)載り、さらに鰹木(カツオギ)と呼ばれる長さ5.45m周囲2.67mの重しの飾り丸太が3本載っています。

屋根の傾斜は東西に流れています、開口部側は妻と呼び、南側が入口で妻入りと言います。この入口に斜めの霜取り屋根が連なっているのが不思議な印象でした。

伊勢神宮とは入口が異なる様式となります。

瑞垣があり本殿には近寄れないので、周囲から見る限り高さはそれ程感じなかった。

配置図を見るとまだ瑞垣の内側に神社が点在し、さらに玉垣が囲む内側に本殿が建っています。

垣と段差で二重三重の結界を創ってあるのでしょう。

・・・南側で正面の八足門の横から内部を見てみましょう。

西隣の神楽殿から団体客の行列が・・・通り過ぎるのを待ち、再度正面階段を上がり左側の格子の隙間から内部を見てみる。

仮設テントで覆われているのが発掘された丸太跡のようです。瑞垣内のこの部分は埋め戻さないでブルーシートで保存されていたようです。

金輪御造営図を裏付けるような、直径1mの丸太柱を3本束ねて巨大な柱とした宇豆柱が発掘された跡です。

玉砂利の右側石畳を奥に進むと楼門があります。向こう側、楼門の両側に玉垣が見えています。

・・・本殿・玉垣・瑞垣・・・この境内の北に裏山があります。この社の裏山は登ることが許されていない八雲山、標高175m、・・・昔はこの山が神様だったのでしょう。

鎌倉時代(1200年頃)には、本殿の建物は現在と同じくらいだったようです。それ以前の平安時代に高さ48mの社が建立された可能性は?記録が少なくまだ疑問が残るようです。

いずれにしても、弥生時代頃に出雲を始め日本海沿岸が栄えた時代があったようです。

特にこの出雲地方は日本海側に山並みが走り、その南側に谷間のように窪地が並行して存在している。この航空写真を見ていたら、

多分大昔この窪地は満潮時に海になり、北風を避けることができる港として絶好の土地だったに違いないと思えるようになった。こんな感じに・・・人々は浅瀬の向こう側に社を建てて、海の安全などを祈ったのでしょうか・・・。

・・・しかしなぜ、温暖な瀬戸内海よりもこの山陰地方が発展したのでしょうか?

朝鮮半島からの小型の帆掛け船でやってきた渡来人がこの地を重要視したのは、・・・近いこと以外に避難場所だったり、食料や水の補給場所だったり、資源もあり交易拠点でもあったのでしょう。

・・・瀬戸内海は小型の船では急流が多く、潮の流れも変化して操船が難しいことや、島が多く突然襲われることもあるでしょう・・・小舟では危険な海域だったのでしょうか・・・

・・・同じ頃、地球の反対側では地中海文明が生まれ、ローマ帝国が勢力を伸ばした時代です。彼らとの文明の違いは、・・・宗教と関連して、建築(石と木)技術が(周辺の資源が違っていましたが)大きく異なって発展しました。

エジプトにピラミッド・・・オベリスクが建ち(これをローマ人が持ち帰り)・・・この出雲の地にもオベリスクが建てば神話は変わったでしょう。

アテネに神殿が建ち、ローマに円形ドームのパンテオン神殿が建ち(直径43.2m、高さ43.2m)高度な建築技術が発展していました。・・・時代が移り日本でも宗教が栄え、やっと奈良に大仏が完成します。

・・・この出雲の地で、神話時代の痕跡に触れられたので・・・歴史を学びなおそうかと思いながら西隣の神楽殿に向かう・・・。

大きなしめ縄があった。

神楽殿を後にして、銅の鳥居を抜け、手水舎の先に・・・今の鳥取県の海岸で因幡の白うさぎに出会ったそうな・・・

参道を戻り、坂道を登って木の鳥居から街並みを見渡す・・・一の鳥居が見えました、石の鳥居、堀川の宇迦橋大鳥居です。

目の前の参道は神門通り、両側にお土産屋さんや甘味処などが並んでいます。

車に戻り、すぐ西の海岸で日本海に沈む夕日を見に行こう・・・

まだ少し日が沈むには時間がありそうなので、岬を目指す・・・途中で強風となり曇天から暗雲・・・途中道路工事区間もあり

この地点で、穏やかな夕日と出会えるのは難しいとあきらめる

日本海は波荒く、雲の流れが速い

戻って、日本各地から神様が上陸した稲佐の浜で再度夕日を・・・稲佐の浜の案内です

到着するや10分もしない内に

天照大御神から試練の雹が降り注ぎ・・・・あっと言う間に雹は止み・・・そして、この地の東約40㎞、島根県松江市では突然の雪に見舞われたのでした。

 

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