スーツケースを部屋に運び入れ、早速ショッピングモールに出かけよう。
グーグルでホテルの周辺を検索して来たが、どうも目の前の高速道路を反対側に渡るのが不便のようだ。
タクシーで反対側に行くのも分かり難い。ホテルのフロントで聞いてみよう。
・・・すると丁寧にこのような地図で説明して頂いた。
不思議な案内図でしょう・・・オレンジが高速道路、青色のホテルから赤色のショッピングモール行くのに・・・ホテルの周辺部を迂回して
高速道路に架かる横断橋を渡るコース、直線に対して4~5倍の距離となる。・・・歩いて20分位か
ここが目指すショッピングモール3階建て
・・・3階の飲食フロアーは賑わっていた、軽く食べて現地時間 PM9時、
1階のスーパーに行こう、スペインで有名なMERCADONAは10時閉店です。
入口を入ったところにマンダリンオレンジが50㎝もある大きなネットに入って、エッ 2~3ユーロ(約1kg 1ユーロ)安い・・・だが多すぎる。
有名な生ハムのコーナで・・・ハムのパックを探す・・・肉類は日本には持ち帰れないのが残念
左右に各200g、計400g これで500円強・・・右側 開封部分は?・・・すぐに頂いてしまいました。
地元で人気の商品と物価を下調べ・・・アーモンドのローストが見つからない・・・豊富なワインの棚の中から赤ワインと、
エキストラバージンオリーブオイルなどを購入し、閉店時間があっと言う間にやってきた。
・・・最初の一日はこの位で、明日に備えよう。
翌朝、レストランで関係者に、”ブエノス ディアス” 覚えたての挨拶をする。
”ブエノス ディアス”と返事を返され、笑顔で・・×〇×△×◇×・・・こちらに近づきながら早口で尋ねられた。
”アイドンノー・ソーリー”勢いよく自然に両手が肩まで上がった。
お互い笑顔、会話が続けばいいのに”ヤーパン”・・・そしてテーブルに案内して頂いた。
各種のハム、そしてサラダ、エスプレッソ・・・スペイン最初の朝は満ち足りた時間だった。
これからの予定は、午前中にプラド美術館、昼食、午後はトレド、そしてこのホテルにもう1拍することになる。
・・・ヨーロッパのこの季節、日の出は日本より1時間半ほど遅い、日の出はAM8時過ぎ、日の入はPM8時近くとなる。
薄暗い感が残る朝8時過ぎホテルを出発。
「ロシナンテ」・・・何故かこの言葉が頭の片隅に残っていた。スペインで有名なドン・キホーテの物語。
スペイン広場の中央に、中世の雰囲気が漂うモニュメントがあった・・・存在感がありますね。
左端に若干写っているのがマドリード・タワー(Torre de Madrid)高さ142m、1957年建造。
正面はスペイン・ビル(Edificio España)高さ117m、マドリードのランドマークタワーとされます。
1953年の建造で老朽化してますが最近明るい話題があったようです。
中国No.1富豪の大連万達グループが10年以上前にこのビルを購入し、解体し建て替えると発表したら市から計画を棚上げされ、
・・・3年前から市民の反対運動が続き・・・昨年市が計画を認可しないことに決定したそうです。
近寄ってみましょう、これが物語の主人公、ドン・キホーテ(本名:アロンソ・キハーノ)とその名馬?、痩せたロシナンテにまたがり、世が鉄砲の時代に
時代遅れの騎士に変身し、鎧を身に着け、剣、槍を持ち、百姓の太っちょサンチョ・パンサを従えた。我こそは正義の騎士と世直しに・・・我が道を行く物語
この方が、作者ミゲール・デ・セルバンテス(1547~1616年)さん、首飾りがこの時代を現しています。波乱の人生だったようです。
大航海時代に世界に君臨したスペインは、農業国の北部ヨーロッパなどは後進国で眼中になく、世界を相手に無敵艦隊の時代です。
しかし作者は、24歳ころ地中海の海戦で負傷し、27歳で退役する際にトルコの海賊に捕まり5年間奴隷生活を体験したり
・・・1580年釈放されて帰国するが無職、1600年頃までラ・マンチャやアンダルシア地方で苦しい旅の生活をしています。
活版印刷が発明されて約100年、聖書に続いて多くの印刷物が出版されるようになり、各地の情報が入手できるようになると旅行もブームになったようです。
そして、なんと58歳で「郷士(ドン)・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の物語(前編)を出版します。
売れたそうです・・・10年後、68歳(当時としては非常に長命です)後編を出版、間もなく亡くなりますが、晩年いや後期高齢者になって花開いた方です。
・・・聖書に次いで出版された書物と言われています。
登場人物には、こんな方達も
現在も実在するエル・トボソ村に住んでいた娘を憧れの姫に見立てるなど・多少混乱してしまうストーリーです。
塔の上部のモニュメント。
1915年公開された広場、スペインビル側からの塔です。
さて、この女性はどんな仕事をされている方でしょう
女優だったか?
近くの王宮に移動する。
150m四方のこの建物には、何と2700もの部屋がある。公式行事が無い場合、内部が公開されている。
この宮殿、パリのベルサイユ宮殿育ちの国王フェリペ5世が、イタリアの建築家に設計を依頼する。
そしてイタリアやフランスの宮殿スタイルにこだわって建てさせた。約30年の歳月で1764年完成。
王宮前の広場(アルメリア広場)で毎月第一水曜の12時から1時間衛兵交代・・・鼓笛隊の音が聞こえたような・・・
今日は、特別に何かあるのだろうか
・・・エッ、月一の衛兵交代式?、これから始まる?・・・走り寄ってみる。
やはり足が長いと見栄えがする。
小規模な歩兵隊?が正門の中へと消えた。
ところで、右側の屈強な警護の人のスタイルはやはり現代風ですね。頭部がNew。
騎馬隊も登場して行われる衛兵交代式とはちょっと違ったようです。
・・・ところがしばらくして、騎馬隊?・・・いや騎馬が。
これは見事な・・・、やさしい笑顔と、メガネ。
ロシナンテとは違いますね。
・・・先程の女性、ドン・キホーテの慕う姫? そうなんです、現代版ですが。
行動的で、知性が感じられるでしょう。元ジャーナリスト、離婚歴あり。
王室が公開されてる肖像です。
2014年6月に皇太子がスペイン新国王に即位され、この方 レティシア皇太子妃も王妃となられたのです。
民間出身で、プライベートにはZARAも着こなすファッションセンスと大人気、
しかし結婚は当時の国王ファン・カルロス1世に反対され「彼女と結婚できないのなら、王冠を捨ててもいい」皇太子の言葉が話題になりました。
国民は大喝采!・・・過去の王室、ハプスブルグ家スペインは血族結婚が続き、結果断絶し、フランス王の一族ブルボン家から王様が来ることになり、前ファン・カルロス1世もブルボン家とされます。
お子さんにも恵まれ幸せなスペイン王室ファミリーとのことです。
では、プラド美術館へ。