ミラノから東方のヴェネツィアに移動します。距離は約270km、東京から浜名湖くらいでしょうか。
この途中、東に160kmくらいの所で南北に走る(ローマとドイツを結ぶ)街道と交差する交通の要として、中世から栄えたヴェローナの街があります。
・・・紀元前1世紀にローマ帝国の支配地となり、得意の土建業でローマ同様、円型闘技場や水道施設などインフラが整備されました。
今日観光地として有名なのは、皇帝派と教皇派の紛争をベースに「ロミオとジュリエット」のロケ地?生誕地?
いや、シェイクスピアの作品の舞台となった地ですが・・・名所なのです。
今回は2000年に世界遺産となった旧市街地に、川を渡って古き遺跡から入ります。
アディジェ川が右側(上流)から左に流れ、川向うの旧市街をU字形に取り囲み、蛇行しながらヴェネツィアへと下っていきます。
橋の麓にはこの様な彫刻もありました。
剣を持っている天使、ミカエル?でしょうか、動作が良く理解できませんが・・・
橋を渡り道路が右に大きくカーブする所の左側に、このような遺跡がありました。
この門は始めて見ます。古代ローマ時代の門です。
資料によれば、ボルサーリ門、ベローナの正面入り口、(中世以前は、ユーピテル門と呼ばれていた)
門から中に進み商店街を少し直進し、やがて右折、そしてまた右折すると広場にでます。
円形闘技場、アレーナ・ディ・ヴェローナ 収容人員:2万2000人、長径:152m、短径:128m 高さ:30m
大きく破壊されていないので、この遺跡はイベントに使用されています。
マリア・カラスのここでの野外オペラ、イタリア初演は有名な話のようです。
他にも、U字形の最深部の川向うに半円状の野外劇場があります。
裏の丘の上に登り、旧市街を見たかったが・・・時間が無いようです。
足元に昔の旧市街の地図が埋められています。
着色と表示は作者が追記してますが、今日ではもう少し細分化され、広場も変わっているようです。。
左端のヴィットーリア橋を徒歩で渡り、ボルサーリ門から図では一ブロック上に進み右に1~2ブロック進み
下側のアリーナに出て来ました。
アリーナからまた地図上、上方に商店街をしばらく進み、
左に広場が見えてきた十字路を、右に曲がります。
・・・この通りをしばらく進むと、2ブロック先くらいの所にもこんな遺跡があります。
2000年前、ローマ帝国時代の土木工事が風化しないで残っています。(過去に撮影した画像)
古代ローマ時代の井戸跡、
旧市街、逆のコースで、こちら側から奥に塔が見える広場に向かって進むコースが、分りやすいでしょう。
このように遺跡を利用して景観を作っているのはさすが。
・・・では、元の位置に戻って、2~3軒先ではこのような景観ですが、これは雨の日で人通りが少なく特別です。
直ぐ先で、傘の女性が左を見ています。カッペロ通りのこの付近、通常はごった返しているようですが
この左のレンガのアーチ前は、
ジュリエッタの館、看板があります。
アーチの壁面は、メッセージが重ね合って貼られています。
中に入って、・・・撮影スポットがこちら、左奥の一角
ジュリエットの銅像です
後から市によって増設されたバルコニーもあります。
そして、このような風景が・・・人気を呼び・・・金ピカになっています。
シェークスピアのモデルとされている貴族のカプレティ家(13世紀とされる)、この館でも同様の悲劇があったのでしょうか。
館の向こう側上部に見えるV字あるいはM字のシンボルが目立ちます。
このベローナでは結構多いようで、神聖ローマ帝国皇帝派のマークで、ロミオの家は皇帝派。
ベローナは都市としては当初は皇帝派支持、やがて教皇派支持、その後また皇帝派が有利になったようです。
ジュリエットのモデルの家はローマ教皇派で、シンボルは上部の切り込みがなく平らの四角のようです。
この先斜め奥に、ロミオのモデルとされる館もありますが、入口に看板がある程度で内部には入れません。
都市や貴族を巻き込んだ神聖ローマ帝国の皇帝争いが続いた時代、・・・悲劇の物語のモデル地区が観光名所となっています。
通りに出て元の方向に戻り、十字路を直進するとエルベ広場にでます。
さらに進むと
広場中央、処刑もあったようです。中央の4本の柱は
歴史を感じさせる・・・水道がありました。
このベローナで一番高い建物が、広場横のランベルティの塔、
霧雨状態だが登ろうか・・・とにかく窓口へ・・・階段、エレベータ・・・8€ と言われて
確か自由時間は10から15分、視界が悪いので・・・コスパが悪すぎる、断念
ここでも画像が少ないので、以前の画像を
隣りの紳士たちの「シニョーリ広場」です。昔はアリーナの古地図にあったように今のエルベと続いていたようです。
1405年にヴェネツィアの支配下になり、教皇派と皇帝派の抗争も終止符が打たれたようですが・・・。
隣のフィレンツェでは、ダンテがジョットーが、宗教界ではアッシジの聖フランチェスコが聖書の解釈をめぐり
後に言われるルネッサンスの先駆け状況が生まれていました。
広場中央にはこの地を訪問したダンテの像、そしてパッラディアーナ聖堂、彫刻も色々あります。
羽根のある天使のようなライオン像はヴェネツィアの象徴です。(サンマルコの有翼の獅子像)
後年、ナポレオンのイタリア侵攻でヴェネツィア共和国が敗戦し、フランスの支配下になりますが
自由都市ヴェネツィアの近郊で、魔女狩りも少なかったのではと思います。
このような
ゲートの投影画法や破断面などよく見ると、街中にはいろんな情報が掲示されています。
一方、こちらは元の広場をさらに進むと
噴水のある広場の向こう側に、壁面にフラスコ画?
モザイク画はヴェネツィアに多いのですが、教会には高価で贅沢と聖フランチェスコはフラスコ画を・・・
ルネッサンス以降の作品でしょう
色彩が淡く、画像処理をするとこのような見事な作品が見えてきましたが、この建築物には丁度良い雰囲気です。
濃い緑の格子が開き、シクラメンが窓辺に見えています。
落ち着いた、洒落たベローナ、エルベ広場から最初に入ってきた門に・・・何通りでしょう一直線、
前方に見えてきました。
裏側は、シンプルなデザインでした。ボルサーリ門の話です。
・・・アディジェ川に戻って来ました。
橋から上流にもこんな光景が、
こちらの橋の上、洒落たバスが走っていきますが、路面はローマと同じ四角錐の石を打ち込んでいる?
あちこち若干陥没状態も見られるが、・・・石は大変でしょう、用意するのも、修理も、
・・・浸透性のカラーアスファルトに何故しないのでしょうか・・・、
石の文化 先進国ですが・・・何故石畳か・・・雨の日は滑るし、騒音も多いし・・・。
歩けば・・・膝、腰に良くないし、霧雨のせいかスッキリしなかった。