気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

Ocean Expo Park

2016-03-27 | 旅行記

横浜 磯子カンツリークラブ近くの海の見える高台に、高速を飛ばして向かいましたが・・・

連休でお台場・羽田・臨海部は大渋滞・・・、(4月から東京港に一般道の海底トンネルがもう1本増えて、多少渋滞は改善するでしょう)

予定の時刻を2時間も過ぎたころ何とか到着、・・・彼岸に叔父の墓参りを無事済ませ、・・・待ちに待った、忙しい春がやってきました。

翌3月21には桜の開花宣言、東京の標準木はソメイヨシノ(染井吉野)、しかし、その後寒い日が続き、3/29、まだ3分から5分咲きでしょうか。・・・3/31満開になりました。

昨春植え替えてなかった黒松を植え替え、ブルーベリーも生育が弱っている2鉢を植え替え、ライラック、アマリリス、頂いたイチゴの鉢も植え替えて・・・手をかければ、4月になると新緑がベランダを楽しくしてくれます。

・・・さて、画像の整理は・・・Ocean Expo Park・・・「Expo」昔ありました。

大阪万博の成功・・・続いて5年後、沖縄海洋博が復帰なった沖縄で開かれました。

しかし沖縄は、当時遠かった。沖縄は、米軍の爆撃機が軍需産業のため?、在庫処分?でしたか、大量の爆弾を落としに飛び立っていた時代です。

今から40年以上前、1975年、南ベトナムのサイゴンが陥落し、戦火の中を米軍が本国に逃げ帰る映像が流れました。

その年の夏、Expo、大きなイベントです・・・利権に群がった人々、・・・本土のゼネコン以外は目論見が外れた・・・そんな映像に接した記憶があります。

・・・早朝と同じく海岸沿いを北上し、名護市の繁華街を抜けるとこんな風景が広がっています。

八重岳(標高453m)の南西、国道449号線片側2車線の快適な道路です。・・・この先で名護市から本部(モトブ)町に入ります。

名護湾の穏やかな海は、広大な東シナ海にと続きます。

この海岸を過ぎると、目的地まで10数分で到着です。

ここは、沖縄観光の定番コース。

北端のエメラルドビーチの砂浜で綺麗な貝をいくつか拾って宿に持ち帰り、・・・気が付くと卓上に置いた貝の周りで、ヤドカリが遊んでいたこともありました。

貝の中にヤドカリが入っていたんですネ

 公園内は、このような立体花飾りで歓迎してくれてます。

海に向かって正面の階段を下り、(エスカレータもあります)噴水に進みます。

団体観光客は、美ら海(チュラウミ)水族館が目当てでしょうが、・・・公園内は広大で、他の施設も多く循環バスも走っているので、家族連れは一日遊べます。

右側に進むと見えてきました低層の建物が・・・沖縄美ら海(チュラウミ)水族館です。

左の台座の上に、大きな青銅の・・・クジラ?・・・いや、イルカでしょうか?

・・・海洋博の閉幕後1979年8月に、当時世界最大の水槽を持つ水族館として開館し、人気がありましたが、やがてバブル崩壊と老朽化で入館者も減少し・・・閉鎖の運命

1989年に東京ディズニーランド近くに東京臨海水族館がオープンし、マグロの泳ぐ巨大円筒水槽が大人気となりました。

東京湾岸に人口の渚と水族館が出現したのです、開館するや年間300万人以上という日本一の入場者となりました。

当時、家から10分位の上野動物園にも水族館は地味ながらありましたが、・・・臨海水族館の水槽でマグロがサンマの群れと一緒に泳ぐのを見に行ったものです。

・・・水族館も世界一の何かがあれば・・・2002年に沖縄本土復帰30周年として新館が開館(休館は閉館)します。

新たな名称が「美ら海水族館」、目玉は世界一の大水槽・・・飼育しているのがこの青銅の生き物でした。・・・これでブームになりました。

後ほど大水槽で・・・では、入館しましょう。斜面を利用した建物です。

チケット売り場は4階です。エスカレーターで3階へ下り館内へ

まずは、サンゴの海、熱帯魚の海・・・(地元の海です) 

こんな魚・・・メガネモチオウオ や

これも有名人・・・ハナミニカサゴです。

スロープを下り2階へ・・・砂地にもぐったり、垂直に立ったり・・・この魚は立ち泳ぎ

やがて大水槽の上部へ・・・スロープを下り、観客席の椅子が並ぶ前を横切り、

巨大水槽の正面へ、「黒潮の海」がテーマで、この水槽は深さ10m、幅35m、奥行き27m、7,500m³もあります。

マンタがグライダーのようにゆらゆらと泳ぎ・・・左から大きな生物がこちらに・・・

鏡に反射し、二つに見えてる?・・・のでは無く、2頭が段違いで目の前を通り過ぎます。これが美ら海水族館、目玉の・・・「ジンベイザメ」です。

 何かが挟まった?・・・、水槽の清掃が大変なようです。

複数のジンベイザメを泳がすことや、最大のエイ・・・マンタの繁殖に成功したりするには、新鮮な海水が必要でこのような日々の努力が続けられています。

 

 パンフレットには、ジンベイザメは全長14mに達する魚類の最大種で、長期飼育記録世界一を更新中とあります。

飼育してますと、こんな光景にも出会うことがあります。

貴重な落し物?

何が貴重か?・・・失礼しました。

ではお口直しに、最近人気のクラゲです。

1階が出口です。屋外に、マナティ館、ウミガメ館などがあります。

マナティの食事風景です。マナティの案内板があります。

メキシコから贈られたオス2頭とメス1頭と、ここで生まれたメスが飼育されています。

隣のウミガメ館

では、移動しましょう。

水族館の全景です。

このような立体花壇で楽しませてくれます。

これは、シーサー

背中に乗れる、花マンタ

これは、カニ?・・・ヤドカリでした。

ドルフィン、イルカの群れが

凝った、カメです。

 駐車場が近づいてきました。

まだまだ、園内数多くの作品があるようです。人気が続く沖縄 美ら海水族館でした。

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早朝のドライブ

2016-03-22 | 旅行記

勝連城から10km位先に沖縄北ICがあります。

ホテルから夕陽を見ようとチェックインを5時に予定していたが、1時間遅れの6時に変更し、沖縄の高速道路を飛ばすことにしました。

20分位走ると・・・高速入口の案内が見えてきました。ETCカードは既にセット済み。

ここから北の名護市に向かって走ります。

目指すは、約30~35km先の終点、許田。

沖縄自動車道は、しばらくは本島の東側を走ります。

最高速度80kmの表示です・・・車の流れは自然と約100km。

・・・一般道では最高速度が50Kmの表示を多く見かけます。一部の海岸線などでは60㎞表示の幹線道路もあります。

これらの一般道では、60kmから80km弱で走れるわけですから、渋滞がなければ高速道路は使う必要がないですね。

・・・阪神タイガースのキャンプ地、宜野座に入ってから道路は大きく左カーブをし、山間を抜けて本島の西側海岸の終点をめざします。

間もなく終点 許田料金所から10分位で幸喜ビーチに到着、ホテルにチェックイン。

PM6時、沖縄は東京より日が沈むのが遅いので・・・部屋のベランダへと急ぐ・・・

窓の外には、懐かしいエメラルドグリーンの光景が広がっていました。

真っ赤な夕日は・・・残念、水平線上の雲が厚い・・・週間天気予報では徐々に天候が崩れ、週末は雨模様の天気予報だったのを思い出す。

八重岳のある北の半島方面です。桜は既に葉桜でしょうか?

海開きは一部が3 月中のようですが、大半は4月から、

2週間前(2月上旬)に、八重岳では桜まつりが開かれたそうです。

南側は、街灯が灯り、夕暮れ・・・PM6:30・・・沖縄の最初の夕食は、名物の一つ・・・ステーキ

では、早く休んで早朝のドライブに・・・

AM6:15 薄明りの中、海岸線に沿って国道58号線を北上する。

やがて西に延びた半島の付け根を縦走する・・・30分も走っただろうか、左前方に飛び飛びの島が見えてきた。

この先の信号を左折し、奥武島を通り、目指すのはもう少し先、大きな橋を渡ると屋我地島、ここは少し大きい島でここまでが名護市

屋我地島のサトウキビ畑や紅いも畑の中を走っていると日が明けてきた、もうすぐ7時・・・北端部に近いところで 古宇利大橋 の看板

案内通りここを右折し、一直線の下り坂を進む・・・

橋の左手前に駐車場が見えたが、直進する

橋の中央部に向かって、ここから登り坂が続く 古宇利大橋 駐停車禁止とあります。

観光名所のこの橋は、2005年2月開通、1.96km、透明度の高い沖縄の海の上を離島に向かって走ります。

 この橋が最初の目的地でした。

橋の西側(左手)を見てみましょう、古宇利島の漁港が見えます。

島の近くで地元の方が数人釣りをされていました。

タコですか?・・・タコはダメ、禁漁!

釣り糸の先にエギ(エビの疑似餌)が見えた。アア、烏賊ですか・・・そう言うと、突然橋の下を指さし、「マンタ・マンタ・・・そこ、見えるか?」藻に向かって泳ぐ姿が見えた。

さすが、勝手知ったる地元の磯、

道路の東側・・・きれいな海です。潜りたい、海藻の中にいろんな生物が潜んでいる、豊かな海です。

ここは漁協の管理下なんでしょう、広範囲に移動する魚類は捕獲が自由だが、縄張りからあまり移動しない貝類やタコ、海藻などは組合員が期間を限って捕っているのでしょう。

前方の丘の上、灯台のような建物が見えます。

最近2013年オープンした観光施設、古宇利オーシャンタワーのようです。

入場料が¥800-、AM9:00オープン、展望レストランや貝の博物館などがあるとのこと、

 

島の漁港横、防波堤から・・・古宇利大橋のある風景

砂浜、こんな岩も

遠浅の海、白砂と磯

この島は一周7.9km・・・気分転換にちょうどいい距離です。

では、ドライブに・・・山裾の斜面に広がるサトウキビ畑・・・一本道をユックリ走ろう、脇道は道幅が狭いので寄り道をせずに

・・・脇道を下って海岸に下りないと何も無いかな?・・・向こうに橋が見えてきた。

今帰仁村(ナキジンソン)の古宇利島(コウリジマ)、大橋が架かる前は、今帰仁村村の大半が隣の本島にあるので役場などには船で行き来していたようです。

斜面を下り、古宇利大橋に・・・橋を渡り終えるころ、雲の上をオレンジ色に染めていた太陽が雲間から顔を出しました。・・・では。再会!

そろそろ宿に帰らないと・・・屋我地島に戻り、一直線の坂道を上り信号を右折します。

道なりにカーブを進むと西側の本島に渡れる橋が架かっています。

「わるみ大橋」:

ワルミ海峡に架かる橋で、2010年、最近開通して便利になった道路です。

この橋を渡ると、今帰仁村です。

古宇利島の人達は、この橋が完成するまで大橋を渡って大きく島々を迂回して、この先に通われたそうです。

新しい橋を渡り、左折して山道を登ります。

20分くらいでしょうか、こんな風景が見えてきました。

八重岳の桜、満開は過ぎてしまったようです。が、鮮やかな花びらを

・・・淡い吉野の山桜も素敵ですが、こんな南国にふさわしい桜もありました。

そして5分位坂道を登ると、八重岳の山頂へ到着です。展望台や神社もありませんが、このような景観です。

ここは、自然のままでした。

では・・・山道を下り、橋を渡り別のルートで名護市に下りてきました。

ここ名護は、中日ドラゴンズがキャンプをしていました。

海岸線を90㎞近くで飛ばす通勤の車の横を、80㎞弱で快適にドライブし、市街地はもちろんスピードダウン・・・まもなく到着。

時間はもうすぐAM9:00、

 

 アグー豚のしゃぶしゃぶと海藻サラダで今日も笑顔

・・・食後は、・・・波打ち際を思案して・・・イヤ、何も考えず・・・潮騒に浸って歩く

では、そろそろ例の水族館に行きましょう。その先には、琉球の文化が・・・。

 

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世界遺産 グスク?

2016-03-06 | 旅行記

サムネールのクリックが面倒?   ・・・表示方法を変えてみました。

ここは、沖縄中部うるま市、目的は・・・海中道路です。

 

 那覇空港、2月中旬、空気が湿っている、やはり南国、10年振り位になるかな・・・。家族は数年前にも訪れていると思うが。

空港の2F東側から、渡り廊下を通り目の前のモノレール乗り場に移動する。

モノレールは、延伸工事中のようです。

沖縄が誇る?交通機関です。 名称は、ゆいレールです。

那覇空港駅が始発駅です。

では、県庁に近い所で車を予約しているので、¥260-の切符を買いレンタカーを借りに行きましょう。

・・・平日昼過ぎ、・・・”海中道路に行こうと思うけど、迂回して高速載った方が良い?”・・・レンタカー会社の若い女性、・・・”高速?・・・使わないで、国道真っ直ぐいけば・・・”

ナビとETCの装備車を依頼しているので・・・、便利な世の中です。県内の有名観光地はコード番号を入力することでも目的地が登録できます。

このコード番号表を渡されて、”休業補償のオプションはどうされます?”

保険もすべて入った契約だが・・・面倒なやり取りは時間の無駄?・・・付けてと言うと、オプション金額が上乗せされたレシートだけがプリントされて、・・・渡された。

・・・那覇市内の国道58号は、片側3車線と広く走りやすい、渋滞も無く北上する。地元の人々で混み合うのは夕方以降か。

宜野湾市内で右折し東海岸側を北上する。片側2車線の中央の車線、60~70km位の流れが時々40~50kmになる。

左に車線変更し、遅い一団の車列をやり過ごしていたが、30分位でユックリ走ることにした。

多分80歳過ぎと思われる方達が、先頭でシッカリとハンドルを握られている、この方達は自分たちの生活道路を走られているのでした。

ここは長寿県、時の流れはユックリなのです。

そして、海中道路の案内が見えてきました。もうすぐです。

東京湾には、羽田空港付近、多摩川河口の海底、川崎~東京湾上の海ほたる、大井町と臨海部と多くの海底トンネルがあります。

しかし東京に海中道路は無いので、水族館のように水中トンネルになっているのでしょうか。

丘を下ると海が見えてきました。標識です。

海中道路西口。この先、道路両側に海水をシールドする防潮壁が続いているのでしょうか・・・。

そんなことは、やはりなっかたのです。海面より道路は高いようです。

平坦な道を進み、前方に橋脚が見えてきて、橋を渡ります。・・・海面から多少高くなる程度なので、この下は小型船舶の航行や、潮がよどまないようにしているのでしょう。

橋を下ると左側に張り出した埋立地が・・・ここが「海の駅」、寄ってみよう。与勝(ヨカツ)半島と、平安座島(ヘンザジマ)の中央付近です。

 「あやはし館」・・・店内は1階は土産品や地元の物産品などが並んでいるが・・・販売員もお客も、誰もいなっかった。外に出ると話し声が別の場所から聞こえてくる。

多分併設しているレストランが近くにあり・・・接客で忙しいのでしょう。販売員が不在の店内は、居心地が悪いものです。直ぐに退館し、さてどうしよう。

・・・この付近の情報を、

この先の島で戦後、アメリカの石油会社が石油の備蓄基地を造るため、本島に2車線の道路を建設した、これが1971年。

1974年には地元に道路を無償で譲渡されます、海中道路という名称で呼ばれたのはこの頃からでしょうか、

県道に昇格し、1999年に現在の4車線、観光道路としても利用されるようになりました。全長4.75kmの道路。

名称が良かったですね! 海中道路・・・海面下をトンネルで無く、一部でも道路として走れるのでは?

・・・そんなことも無く、海原に埋め立てて道路を通した海中道路・・・これも観光資源です。

この日は、時より重い雲が発生しスカットした青空が望めない。

周辺には、浜比嘉島に架かる浜比嘉大橋のある風景や

 

奇岩のある風景、など

金武湾で自然を相手に幸運なシャッターチャンスにチャレンジできます。

では、戻ってグスクに行きましょう。・・・グスク?・・・世界遺産登録は、カタカナのグスクと表記することで登録されたそうです。

大中小含めた城や貴族の邸宅、神殿や墓まで離島を含めグスクと呼ばれるものがこの沖縄本島や離島一体を含めると400か所以上あるとのことです。

沖縄最初のグスク訪問は、この勝連半島の西側に向かいます。

・・・入口が工事中で車輛進入禁止、隣の道は、・・・これは歩行者?、周辺を見渡すと前方の道路反対側に駐車場がありました。

では、この入口から入りましょう。無料で公開しています。ここのグスクは親切に、案内板が数多く設置されていました。

工事車両と通行人を分離するためでしょうか、右カーブの道路をカットするように歩行者用の木製階段が一直線に伸びています。

全体図を押さえておきましょう。

階段を登り終え道路と合流すると、城壁の遺跡が見えてきます、正面に西日が・・・小走りに進むとその先に海原が・・・

・・・折り畳み傘?・・・開けないの?・・・貴女が主人公、自撮りが大流行です。

有名観光地に行って来ました・・・そんな証明する写真が必要なのでしょうが、自撮り棒、・・・電信柱と同じくらい自然な景観には障害物となる存在になってきました。

気を取り直して、四の曲輪から三の曲輪へ・・・

この場所に、この様な赤門がかつてあったという

なるほど、ここでは上段の二の曲輪と一対になり、大きな広場で儀式を行ったとあります

ここが現在の三の曲輪、

そして、他にもいろんな案内板がありました。

これが洞窟跡

では、先に進もう・・・新しく海側に作られた木製の階段を登ろう

先を急ぎすぎたか、・・・目の前の階段を登りと左側の城壁が目の前に現れる。

この遊歩道のような幅の城壁の上を進む、・・・途中で気が付いたがこの先は城壁で行き止まり、通行禁止です

二の曲輪で、大きく右に回り込むと上の曲輪に登ることができる。

せっかくですから、眺望を・・・、海側は急斜面、攻め上がることはできません。

戻って、二の曲輪の案内板を見てみよう。

や、火の神などが

あった場所とのことです。

目の前に最上階の石垣が見えた、ここも右側から登るようだが石畳が歩きにくく、失礼!・・横に木製階段が出来ていました。 

石垣に近づくと・・・これが最後の階段です。

所々自然石を積み上げたのか、多分岩山を削ったのでしょう不揃いで凸凹の坂道がある。

 500~600年も時が流れれば、当時と変わったところがあっても不思議ではないのだが

 狭くなった階段の最上部で、振り返る。

ここが最上部、一の曲輪です。足元は岩山のような雰囲気です。・・・海側に案内図があります。

下を覗くと南西側は絶壁です。

案内板には、最初の四の曲輪の外側にも東の曲輪があるようです。

やや右手中城湾の先に見える陸地に中城城(ナカグスクジョウ)があり、その先に首里城があります。

この高台では、360度はるか彼方まで見渡せます。築城当時城主は何を考えていたのでしょうか、ライバルの動向でしょうね。

若き阿麻和利は勝連城第10代城主、・・・この湾の向こう・・・中城城の護佐丸は1458年落としたが、・・・その先の首里を焦って攻め込んだが、王府は落とせなかった。

この城に戻って籠城するも・・・1458年落城、ここ勝連城は滅亡します。

何があったのでしょう。

・・・、まだ見ていない北の方面を、パノラマでご覧いただきましょう。

失礼、修復工事中でした。・・・、フェンスの向こうには金武湾、太平洋の島々が・・・

・・・夕日が沈む前に・・・狭い階段を下ります。この幅です・・・足元をしっかり見ないと踏み外します。

 この勝連城が栄えた時期は、15世紀、勝連城主 阿麻和利(アマワリ)時代、貿易で繁栄したようです。

 当時この島では、北部本部半島の今帰仁城、中部の浦添城、南部の南山城らが争う戦国の世でした。

北部、南部を滅ぼして1429年、尚巴志(ショウ・ハシ)によって統一されたとあります。

琉球統一王朝は10年後尚巴志が亡くなると、その後は子や孫が即位するが短命で・・・王権争いが起こり統一から24年後、内乱で首里城は全焼する。

その様な時期に第6代王を継いだのが尚巴志の七男尚泰久でした。

新任の王は、クーデターが起きないように実力者を何とかしなければと思います・・・政略結婚で身内にする手がありました。

今帰仁城主の護佐丸は、父と共に戦った琉球統一の功労者で一番信頼できる実力者です。

一方、若き実力者が勝連城主の阿麻和利でした。

王は、阿麻和利の脅威から王府を守るため、護佐丸を勝連城と首里城の中間の中城城に居城替えをします。

さらに、護佐丸の娘を王の妻に迎え、王の娘を阿麻和利の妻として嫁がせました。

実力者の二人とは、義父と娘婿の関係になりました。

ところが、・・・忠臣の護佐丸に謀反の動きありと王に知らせが届きます・・・内偵すると軍事訓練の様子、実力の無い、経験の浅い者の判断は

・・・護佐丸を討てと・・・まるでドラマのようです・・・王府軍の大群を率いるのは・・・想像がつくでしょう。

謀反の動きと王に情報を流し、一番の実力者を王府の兵隊で攻める・・・この策略は、勝連城主 阿麻和利です。筋書き通りに中城城に攻め込みます。

・・・中城城の護佐丸は、24年間忠誠をつくした王府から謀反の疑いをかけられ・・・しかし、人間ができていたのか、無抵抗で一族と自刃されたそうです。

1458年中城城落城、忠臣 護佐丸 生前の記録は無いようで、この落城の時に歴史に名前が残されたそうです。

・・・さて策士 阿麻和利が次に狙うのは・・・もちろん王府・首里城です。

しかし、何故あせって攻め込んだのでしょう?

・・・策略がバレたようです・・・妻によって・・・信長が妹のお市によって義弟の襲撃を知らされたように

王の娘は、夫の襲撃を察知し付き人と勝連城を抜けだし首里城へ・・・25kmの道のりを数時間かけて向かいます。

・・・異変に気付いた勝連城主 阿麻和利は、妻が王に知らせれば策略がバレると思い、急遽兵をまとめ首里城へ向かいます。

一方、王府軍は知らせを受け、弱体とはいえ急ぎ守備態勢を整えます。

最初は攻勢の阿麻和利軍も、やがて落城させるのは困難と・・・勝連城に引き返します。

・・・何故、難攻不落と思われた勝連城が落城したのでしょう?

籠城している勝連城に、王府討伐軍を率いて攻め込んだ人物は・・・付き人でした。

阿麻和利に嫁いだ王の娘、その付き人で、勝連城から一緒に逃げ出した人物、

勝連城は難攻不落でも、今まで住んでいたお城です、・・・ついに落城しました。

ドラマのエンディング、・・・策士 阿麻和利 滅亡する!・・・でしょうか?

策士第6代王尚泰久、 護佐丸・阿麻和利の2大勢力を滅亡させ、琉球王国を強固な体制に・・・!と、テロップが流れたのでしょうか?

フゥ! ・・・絆も信頼関係も、忠義も誠も信用も・・・何かを犠牲にして、目的のために、でしょうか

・・・石段を下る途中で、気になった。この傾斜は、前に転倒しそうで危ない、上りは気にならなかったが。

高度な石組み技術があるのだが

悲惨な20世紀、そして今日の沖縄

・・・石段の坂道を登るには、踏み込み面が広く蹴上高さが小さいと女性が和服でも上りやすいが、斜面が多少急になると蹴上高さが大きくなる、しかし大きいと大股でないと上がれない

そこで踏み込み面を傾斜にして・・・高さを稼いでいるのかな?

階段が気になりながら、高速道路の沖縄北ICに向かいます。

 

 

 

 

 

 

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球春

2016-03-01 | 旅行記

球春!・・・ここ10年、キャンプインのニュースにも、オープン戦のニュースにも関心が無くなっていた。

野茂の後を追い大リーグに挑戦する選手を応援するのは、細かい野球、駆け引きに焦点が当たる日本野球に飽きたからでしょうか。

パワーに対抗するスピードとテクニック、そして熱い想い・・・そこに感動があるのでしょう。

節分が過ぎ・・・、梅が咲き、ブルーベリーの蕾が膨らみかけたころ、慌ただしく飛び出した。

・・・2月上旬に8日間振替休日を過ごした家族の者が、また突然に2月中旬に有給休暇を消化するようにと・・・。

家族旅行となり、行先、スケジュールを考えるが適当なところが無く、すったもんだの挙句、フライト便、宿泊先、まとまったのが休みの1週間前。

・・・航空運賃を決済する前に念のためパスポートを確認すると・・・私のパスポートは5月1日で期限切れになる。

有効期間が3か月を切っていた。これは大問題、多分どこの国も入国できない・・・ウッソー・・・、家族のブーイング・・・。

良く解釈しよう・・・成田に着いて出国できなかったら事件だった、それに比べれば早期発見、ダメージは浅い。

・・・翌木曜日、・・・この時期は何もイベントが無い季節、北海道でスキー?・・・中国人が多く騒がしいゲレンデが想像できる、・・・代替案作成は困難した。

土曜日になってしまった。レンタカーでドライブをする案のみが残った・・・自由気ままに成り行きで、とにかくどこかに行きたい。困った連中だ!

日曜日、宿泊先を決定する、最後に始めてのLCCにフライトを申し込み、現地でのレンタカーを申し込んだ。

・・・フー、水曜日の出発に間に合った。

そしてこの時期、この地では・・・各地で真っ最中でした。

北谷IC、高速を降りると横断幕が・・・

そして、海辺の高層ホテルのベランダからは、海と公園、野球場が一望できる。

散歩に行こう・・・ここは、中日ドラゴンズ

スタンドを無量開放しているので、練習風景を見に来るファンが多い。

プロ野球のキャンプ地は、メインスタンド以外に練習グランド、室内練習場などの施設が必要とされる。

そして、近くのグランドではこんな光景も、

この付近は、突然轟音が発生するのが日常です。

北東の丘陵地帯から・・・いったん海上に出て

Uターン・・・北東の丘陵地に降下、・・・その先には、嘉手納空軍基地

・・・

2月20日土曜日には、那覇のホテルからタクシーで向かった先が・・・

海に近い河口に米軍の輸送船が接岸

ここの見学ではなくて、道路の反対側で歓声が聞こえる

スタジアム、・・・こんな人々が集まっていた

そして、特設ステージでは

主催者のゆるキャラが、・・・昔から見たことがある、球団マスコットだったり

地元の人気グループやマスコットガールが登場

この地の案内板です。

今日は、オープン戦初日、球春到来と朝からイベントが開かれていた。

オープン戦とはいえ、有料でチケット売り場には行列が・・・

近くのモノレール駅付近の芝生で、投手陣がピクニック

イヤ、昨夜の雨でシートを敷いて、筋トレ中でした。

内海さーん、沢村サーン、・・・色紙を持った女性が沢山

近くを走るモノレールも、化粧していました。

そして、初采配の高橋ジャイアンツ、オープン戦初勝利でした。

ここは、沖縄、キャンプ地訪問はオプション、サイドメニューでした。

八重岳では、2週間前に桜祭りが開催された。

そんな、沖縄ドライブ旅行です。

 

 

 

 

 

 

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