昨年夏、実家は母が念願だった建て替えをした。
もともとあった古い家で父が理化学機械の製作所を興し、隣、また隣と買い足して土地を拡げ、建て物も増築してきた。
最も古い建て物は、産声を上げた私が幼少期に過ごした家で、仕事場兼住まいだった。そこはのちに工場として使われ(この場合「こうば」と読みますね。ホントに町工場の風情でしたから)、その隣が事務所、そして最終的に住まいとなった3階建ての建て物3軒が買い拡げた敷地内に建っていた。
それらをすべて壊して建て替える案を兄が提示したのだけれど、父がそれに反対し、結局、古い工場と事務所を壊して、両親と兄家族の住まいに建て替えたのである。
それまで住まいとして使っていた3階建ての建て物は軽鉄骨で、3階に兄家族、2階に両親、1階には数年前まで兄の会社が間借りしていて、もともと1階は作業場として利用していたので、新しい住まいが建ったのち、父はその1階を自分の作業場に使っている。
父はこの建て物をどうしても壊したくなかったようなのだ。
方々に土地は買った人だけど、不動産で儲ける頭はなく、傍から見たらただ土地を遊ばせているだけのようにしか見えない。実際そうだったのだけど。
母が「もったいない!」とたびたびこぼす愚痴に、私も「そうだね」とは言うものの、父が自分の力で買ったものなので、どう使おうと父の勝手だからなあと内心思ってきた。
捨てることができない父の性格から、長年使っていた工場にも事務所にも、不要と思われる物が溢れ、ゴミ屋敷のような状態を露呈していたけれど、父にとってはすべてが宝物だったようで、工場も事務所も本当は壊したくなかったようなのだ。
あまりにボロ屋敷となった木造の工場は、近所では「世間遺産」と呼ばれていたくらいである。開発が進み、おしゃれな建て物が増えていく近隣には珍しい「世間遺産」なのだそうだ。
で、その「世間遺産」も壊され、昨年の夏、新居が完成したのだが、実は父はその家で一度も寝たことがない。古い3階建ての家の1階を作業場に使い、その2階に寝泊まりするようになり、結局そのまま1年を迎えようとしている。
つまり母と父は家庭内別居状態なのである。別に仲たがいをしているわけではないので、食事だけ新居に行く。それ以外、新しいお風呂も使わない。
新居の設計は兄が中心になってやったので、多分父には「自分の家」という感覚が持てないのだと思う。もともと父の土地だし、詳しいことはよく分からないけど、今残っている建て物は父の会社名義の建て物だったと思う。
父は古い風呂釜の浴室のほうが性に合っていると言うし、新しい家には勝手にいろいろ作りつけたりできなくて、つまらないらしい。
母は「近所からは、まるで自分が追い出しているように見られてイヤだ」と気を揉んでいたけれど、だいたい父の変人ぶりは何十年も前から近所の知るところなのだから、誰もそうは思うまい。
私は「父がそうしたいのだから、好きにさせてあげればいいじゃないの」とずっと言い続けてきた。
父はいたって快適そうに暮らしている。ちょっとしたものなら、自分で「チン」して食べているらしい。この「チン」は私が先日持って行ってあげたのだが。
念願の新居ができても、使い勝手がどうの、1階は寒いのと、やはり愚痴をこぼす不健康な精神状態の母に比べたら、父はまあ、のびのびとやっている。夏を迎え、彼は今、小型冷蔵庫が欲しいらしい。「今度プレゼントするか」と妹と話しているところである。