十勝の活性化を考える会

     
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緊急事態宣言

2020-03-03 05:00:00 | 投稿

令和228日、北海道知事が新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、全国に先駆けて228日から319日までの期間について「緊急危機宣言」を出し、翌29日には、安倍首相と面談し、緊急、集中的な支援、検査体制等を要請した。そのフックワークの良さには感心した。

 

「コロナウイルス」は世界に蔓延してきており、ある意味ではウイルスと人類の戦いともいえる。

日本の本年度GDPは、3/四では年率マイナス6.3であったが、4/四期はマイナス2割前後になる可能性があるとされている。なお、リーマンショック時、日本のGDPはマイナス約1割であった。

 

現在、観光、飲食業他に大打撃に加え、身近でも休校、イベントの中止、マスク等の衛生用品の枯渇等々日常生活に支障をきたしている。更には、オリンピック開催や外交にも影響を与えている。従って、今回の被害は「戦争」に匹敵するような大きなものともいえる。

 

コロナウイルスは、陰性から陽性になり完治したと思ったら、また陽性になる質の悪いウイルスである。だから、侮ることが出来ない恐ろしいもので、世界中を震撼させている。

 

世界での早期の鎮静化、対応策・対応薬の開発を念ずるとともに、これを教訓に平和、共生の大切さを再考する必要があると思った。

 

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注)ウイルス

ウイルスは細胞を構成単位とせず、自己増殖はできないが、遺伝子を有するという、非生物・生物両方の特性を持っている。現在のところ自然科学では生物・生命の定義を行うことができていないため、便宜的に細胞を構成単位とし、代謝、増殖できるものを生物と呼んでいるが、ウイルスは「非細胞性生物」として位置づけられる。あるいは、「生物学的存在」ともいわれる。

感染することで宿主の恒常性に影響を及ぼし、病原体としてふるまうことがある。ウイルスを対象として研究する分野はウイルス学と呼ばれる。 遺伝物質の違いから、大きくDNAウイルスRNAウイルスに分けられる。

微生物学の歴史は、1674年オランダレーヴェンフックが顕微鏡観察によって細菌を見出したことに始まり、その後1860年フランスルイ・パスツール生物学や醸造学における意義を、1876年ドイツロベルト・コッホが医学における意義を明らかにしたことで大きく展開した。特にコッホが発見し提唱した「感染症が病原性細菌によって起きる」という考えが医学に与えた影響は大きく、それ以降、感染症の原因は寄生虫を除いて全て細菌によるものだと考えられていた。

1892年ロシアドミトリー・イワノフスキーは、タバコモザイク病の病原が細菌濾過器を通過しても感染性を失わないことを発見、それが細菌よりも微小な、光学顕微鏡では観察できない存在であることを報告した。またこの研究とは別に、1898年にドイツのフリードリヒ・レフラーパウル・フロッシュ口蹄疫の病原体の分離を試み、これが同様の存在であることを突き止め、「filterable virus(濾過性病原体)」と呼称した。同年にオランダのマルティヌス・ベイエリンクはイワノフスキーと同様の研究を行って、同じように見出された未知の性質を持つ病原体を「Contagium vivum fluidum(生命を持った感染性の液体)」と呼んだ。

レフラーは濾過性病原体を小さな細菌と考えていたが、ベイエリンクは分子であると考え、これが細胞に感染して増殖すると主張した。彼の主張はすぐには受け入れられなかったが、同様の性質をもった病原体やファージが発見されていくことで、一般にもウイルスの存在が信じられるようになった。その後、物理化学的な性質が徐々に解明され、ウイルスはタンパク質からできていると考えられた。1935年アメリカウェンデル・スタンリーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、これによってはじめてウイルスは電子顕微鏡によって可視化されることとなった[18]。また彼の発見したこの結晶は、感染能を持っていることを示し、化学物質のように結晶化できる生物の存在は生物学・科学界に衝撃を与えた。彼はこの業績により、1946年ノーベル化学賞を受賞した[19]。スタンリーはウイルスが自己触媒能をもつ巨大なタンパク質であるとしたが、翌年に少量のRNAが含まれることが示された。当時は遺伝子の正体は未解明であり、遺伝子タンパク質説が有力とされていた。当時は、病原体は能動的に病気を引き起こすと考えられていたので、分子ロボット(今で言うナノマシン)のようなもので我々が病気になるということに当時の科学者たちは驚いた。それでも当時はまだ、病原体であるには細菌ほどの複雑な構造、少なくとも自己のタンパク質をコードする遺伝子ぐらいは最低限持っていなくては病原体になりえない、と思われていた。

1952年に行われたハーシーとチェイスの実験は、バクテリオファージにおいてDNAが遺伝子の役割を持つことを明らかにし、これを契機にウイルスの繁殖、ひいてはウイルスの性質そのものの研究が進むようになった。同時に、この実験は生物の遺伝子がDNAであることを示したものと解せられた。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)