先日、部落問題を扱った映画“橋のない川”のDVDを、帯広市図書館で見てきた。明治末年、奈良県小森村は奈良盆地の隅にある貧しい被差別の部落であった。映画では、部落民に対する偏見がひどく、明治4年の穢多非人の称を廃するという解放令は有名無実で、穢多非人の差別は続いていた。
アイヌに関しても、差別は今でも続いている。差別とは、人に“差”をつけ、自分とは “別”の存在(グループ)として一種の排除をすることである。人間には、能力や外見などの合理的あるいは非合理的な様々な違いや差があることは否定できない。大切なことはその事実を認めたうえで、その違いや差によって人を排除しないことである。
差別には人種差別、男女差別、宗教差別、身分差別、障害者差別、学歴差別、職業差別、思想差別、コロナ差別、性的少数者(LGBT)差別、老人差別など多数ある。イジメやパワハラも差別の一種であり、差別はいけないのでなくそう。
差別や排除は、相手を思いやる心を持てないからであろう。ただ当たり前であるが、相手を思いやる心があっても同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない。この映画を見ていて、そのように思った。
教育者ではないので分からないが、学校のイジメが問題になっている。この映画にもイジメはあった。友人によるとイジメは、大和朝廷の時代からあったそうである。イジメは、権力を持つ者や大多数の者などが権力を維持するために行なわれる。
権力を持つ者が良い方向に持っていくのであれば良いが、この映画では、弱い部落民が団結して戦っていた。世の中を見渡すと、今でも民族同士の戦いや国同士の戦いが続いている。なお、中国では大小50あまりの民族がおり、そのうち少数民族のウイグル族は約1千万人と言われ、差別や弾圧を受けている。
「十勝の活性化を考える会」会員