エミシ(又はエゾ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の現在の関東地方と東北地方や、現在の北海道や樺太などに住んだ人々の呼称である。
大和朝廷の支配に服した東国のエミシは、俘囚とも呼ばれた。エミシは神武東征記によれば、古くは愛瀰詩と書き、次に毛人と表され、ともに「えみし」と読んだ。「エゾ」が使われ始めたのは11世紀か12世紀で、「アイヌ」という言葉が古文書に使われはじめたのは、18世紀前後といわれている。
エミシ、毛人・エゾの語源については、以下のような様々な説が唱えられているものの、いずれも確たる証拠はないが、エミシ(愛瀰詩)の初見は神武東征記であり、神武天皇によって滅ぼされた畿内の先住勢力とされている。
「エミシ」表記の初出は日本書紀の景行天皇条で、5世紀頃とされる景行期には、エミシが現在の東北地方だけではなく、関東地方を含む広く東方にいたこと、エミシは邪馬台国の人々と同じく、入れ墨をしていたことが分かっている。
古歌で「えみしを 一人 百な人 人は言へども 手向かいもせず」(えみしは一人で百人と人はいうが、我が軍には手向かいもしない) と歌われたこと、蘇我蝦夷、小野毛人、鴨蝦夷のように大和朝廷側の貴族の名に使われたこと、平安時代後期には権威付けのためにエミシとの関連性を主張する豪族が登場していることから、「えみし」には強さや勇敢さという語感があったと推測されている。
日本列島のうち少なくとも本州は、ユーラシア大陸と陸続きで、多くの人たちが徒歩で日本にやってきた。その中にあって、初めて来たのが縄文人、その後に弥生人が来て、弥生文化を作ったとされている。
現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて提唱された「二重構造説」がある。これは、縄文人と大陸から来た渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌと琉球人は、縄文人の遺伝要素を多く残すとされている。近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を裏付ける結果が得られている。
採集経済の縄文時代の後、稲作農業を主とした生産経済の時代になった。弥生時代後期の紀元1世紀頃、東海・北陸を含む西日本各地で勢力が形成され、2世紀末に畿内に倭国が成立し、日本は3世紀中頃の古墳時代に移行した。
弥生人は、中国大陸や朝鮮半島等から日本列島に渡来してきた“大陸系弥生人”、縄文人が新しい文化を受け入れて生まれた“縄文系弥生人”、および両者の混血である“混血系弥生人”に分けられる。いずれにせよ、縄文人と弥生人が日本民族を作ったと思われる。
その後、冒頭のエミシが登場してきたのであるが、エミシやアイヌの歴史を遡ることによって、日本の歴史の一端が分かってくる。エミシはアイヌ説と非アイヌ説があって見解が分かれているが、いずれにせよ我々は、縄文人と弥生人の混血によって生まれたのである。
ところで、佐賀県に住んでいる知人女性に電話したら、九州人は顔や骨格によって縄文系(エミシ)と弥生系に分かれるそうである。九州には、薩摩隼人とか熊襲といわれる人が住んでいたが、いずれもエミシ系、すなわちアイヌ語族である。九州にもアイヌ語地名が多くあるのは、そのためである。なお、私の顔は縄文系であるが、大学時代の友人のご先祖は、朝鮮半島から九州に住みついた弥生系であるそうだ。
「十勝の活性化を考える会」会員