十勝の活性化を考える会

     
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脳梗塞と脳出血

2022-05-28 05:00:00 | 投稿

 

脳梗塞は、脳の血管が詰まること、脳出血は脳の血管が切れることである。この二つは、何らかの後遺症を伴い死に至るケースもある。4年前の北海道新聞の『いずみ』欄に、以下の記事が載っていた。

『 2008年に脳梗塞を患い、言葉と右半身が不自由になりました。何をやっても思い通りにならず、いらいらすることも多くなり、側にいる夫は大変だと思います。嫌いな家事をしなければならないし、何度教えても、嫌いだから順番をなかなか覚えられないし、雑巾と台布巾を一緒にするし。

でも、夫は文句も言わず主婦に変身し、嫌いな家事をしっかりしてくれています。洗濯は、手洗いするわけじゃなく、洗濯機が勝手にやってくれるからと言って、やってくれるし、買い物にも行ってくれる。正直、買い物は私よりうまいかもしれません。

洗い物が嫌いなのに、食事の準備から後片付けまでしてくれるし、魚の骨を取るのが面倒と言って魚嫌いだった夫が、私のために魚の骨を取ってくれてもいます。時々、自分ができないことに情けなくなりますが、それまで何ごともなく、高慢になりかけていた自分に気付かせるために試練を与えられたのだと思います。

だから、自分は神様に選ばれたのだと思っています。人は1人で生きているわけではなく、周囲のたくさんの人に支えられて生きているのですから、これから周りの人に心から感謝しながら、謙虚に身を処していこうと思います。』

脳出血した財務官僚も、以下のようにも書いていた。

『 現在私は里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。』と。

 二人の投稿文を読むと人間は同じような経験をしなければ、当事者の苦労が分からないものである。しかし、脳出血や脳梗塞などの経験をしなさいと言うわけにはいかないので、少なくても相手の立場に立って物事を考えることが必要であろう。

水泳の池江璃花子選手も白血病を罹患した時、「その立場になって初めて、ガン患者の気持ちが分かるのではないかと思います。」と言っていた。このようなことは、いろいろな場面で遭遇するが、学校のイジメや会社のパワハラなどにも同じことが言えるのではないかと思う。

イジメやパワハラで自殺するケースがあとを絶たないが、その親の気持ちを考えると不運としか言いようがない。イジメやパワハラが一刻も早くなくなることを願っているが、コロナ禍のソーシャルディスタンスで、人間同士の距離がますます広がっているようだ。

 

「十勝の活性化を考える会」会員