今朝 ご近所のおばさんがまたうちの犬を構いに来て
私が挨拶に出ていくと
「あんたとこのダンナがさ、仕事やめてから あちこち大片付けしたろ?
あたしゃ これは・・・と思ったね」とのたまった
去年から なにげにうちの主人の言動などを見聞きして
どうも もうすぐお迎えがくる人のやりそうな事 とは言っていたっけが
ごていねいに 私にこんこんと その根拠を語ってくれた
おばさん そうねえ 私はさ、 うちの旦那を送ってあげる立場がいいと普段から思ってるんだ・・・
娘の事だって 本音は 私が送ってあげて 犬も猫も
それで 最後に 地球よありがとうさようなら
となったらいいんだけどなあ と
だけど もっと本音をいえば
それさえも なるがままで 構わないんだ
でも そんなこと 人に語っても
何このひと? で たまげられるのがおち
人間は 承知のうえで この世に生まれてきている
根本はそこだ
私は 小学校の卒業文集で 末の子が25歳くらいになったら
親孝行してもらって 死ぬ と書いた
もし あれが予言だったら 今年中に さよならですよ
「私がいても いなくても 世のなかは まわっていくし
みんな うまくやってくし 孤独死だって べつに これからは
あたりまえのことと 割り切ったほうが いいさ~」
と 思っている
矢作直樹さんの言い分によれば
死は あたりまえのことで 別に怖いこともない
かえって 今いるところより 確実に いいところに行きます
だそうだ
きっと 死にゆく人の怖さは もちろん 自分が消える
と思うこともあるが 残すものの先行きをおもうと
死ぬに死ねない というのが大部分を占めると思う
私だって そう思う
一回出産で死にかけたが
苦しいのは ほんのわずかで あとは 意識不明
気づいたら ふ~っと体が軽くなって目がさめた
そんな感じだった
自分を失った家族の悲嘆をおもうからこそ
死は 悲しく やるせない・・・私の場合だけど
昔読んだ 飯田史彦氏の本のなかに
生まれてくる子は 親が早く死ぬことを知ってたり
離婚することを知ってたり
つまり 自分の人生設計を そういう中で生きるという設定を
して 生まれてくる・・・とあった
もちろん 虐待する親をも選び そういう経験をするのだそうだ
これは なかなか 受け入れるには ハードル高い理論だけどね
そして 障害を持ってくるのも・・・
病気さえ 選んでいる という
まあ もうそうなると
妄想以外のなにものでもないかもしれないが
私はそういうことを 本で読んだだけで
知っているわけではない
でも 自分の中で これは そうなんだろうなあ
と 思って 受け入れている
そうすると 先の心配は ほとんど 「無」になる
人生を 心配や恐怖することなく
今を たんたんと 楽しんで 感謝して
怒鳴り散らす娘のことも ダンナのことも
ほんとに 気にせず やり過ごせるようになってしまったものねえ
あなたたちは あなたたちが決めてきた人生を生きているんだね
それでOK
私も これで OK
否定も肯定も しない というスタンスで 今を生きる
本当に ありがたい