兵庫県西宮市の甲子園球場で開かれている第97回全国高校野球選手権大会最終日の20日、
2年ぶり25度目出場の仙台育英は決勝で2年連続10度目出場の東海大相模(神奈川)に
6―10で敗れ、悲願の初優勝はならなかった。
東海大相模は45年ぶり2度目の夏の全国制覇。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d6/584f7369f6f846b92a1962ffbe93e0f6.jpg)
仙台育英―東海大相模 9回表東海大相模無死、小笠原に本塁打を浴び、
肩を落とす佐藤世那=甲子園
▽決勝
東海大相模(神奈川) 202200004=10
仙台育英 (宮 城) 003003000= 6
仙台育英は大越基投手を擁して準優勝した89年以来2度目の決勝に臨んだが、
またも深紅の優勝旗は白河の関を越えられなかった。
過去の甲子園(春・夏)で決勝に進んだ東北勢の成績
1915年夏 秋田中(秋田) ●1―2 京都二中(京都)
(延長13回)
69年夏 三沢(青森) △0―0 松山商(愛媛)
(延長18回)
●2―4
71年夏 磐城(福島) ●0―1 桐蔭学園(神奈川)
89年夏 仙台育英(宮城) ●0―2 帝京(東東京)
(延長10回)
2001年春 仙台育英 ●6―7 常総学院(茨城)
03年夏 東北(宮城) ●2―4 常総学院
09年春 花巻東(岩手) ●0―1 清峰(長崎)
11年夏 光星学院(青森) ●0―11 日大三(西東京)
12年春 光星学院 ●3―7 大阪桐蔭(大阪)
12年夏 光星学院 ●0-3 大阪桐蔭
(△は引き分け、●は敗戦。1915年夏は豊中球場(大阪府)で開催)
ここでいう「白河の関」とは、福島県南部の白河市に昔あった関所のことです。
関所を越えると東北地方に入ることになります。
この「白河の関」に由来した新聞があります。
河北新報(かほくしんぽう)は、宮城県仙台市に本社を置く河北新報社が発行する
日刊新聞で一般に東北地方のブロック紙として扱われています。
●新聞名の由来
一力健治郎らが経営難の「東北日報」を引き継ぎ、明治維新の際に薩長から
「白河以北一山百文」(白河の関(現・福島県白河市)より北は、
山ひとつ100文の価値しか持たないの意)と蔑まれた東北の意地を見せるべく
「河北」と改題して1897年(明治30年)1月17日に創刊した。
なお明治10年頃、在地の民権派が好んで広域的な「東北」という地名を各地の
紙名に用いていたが、河北新報創刊の頃にはこの傾向は衰え、大正時代には
河北新報以外に広域的な名称の新聞は東北地方から消えている。
●コーポレート・スローガン
「東」は、未来
端的な言葉で、来るべき時代の担い手が東北地方にある、と宣言しました。
スローガンは、わが社の「志」である経営理念のエッセンスであり、決意表明
でもあります。
●コーポレート・マーク
世界に広がる太平洋と、「東」の豊かな未来を象徴する太陽をモチーフとしています。
太平洋の波間から朝日が昇る―。新時代の幕開けの予感です。
全体の形は、報道の「目」も表しています。時代を見据え、予見し、切り開こう、
との言論機関としての姿勢を示しました。
「河北ブルー」と名づけられた若々しい青は、東北の澄んだ空の色。
わが国屈指のグラフィックデザイナー、永井一正氏がデザインしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e8/a6d7e3808e197922dc4b2ed055627509.png)
2年ぶり25度目出場の仙台育英は決勝で2年連続10度目出場の東海大相模(神奈川)に
6―10で敗れ、悲願の初優勝はならなかった。
東海大相模は45年ぶり2度目の夏の全国制覇。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d6/584f7369f6f846b92a1962ffbe93e0f6.jpg)
仙台育英―東海大相模 9回表東海大相模無死、小笠原に本塁打を浴び、
肩を落とす佐藤世那=甲子園
▽決勝
東海大相模(神奈川) 202200004=10
仙台育英 (宮 城) 003003000= 6
仙台育英は大越基投手を擁して準優勝した89年以来2度目の決勝に臨んだが、
またも深紅の優勝旗は白河の関を越えられなかった。
過去の甲子園(春・夏)で決勝に進んだ東北勢の成績
1915年夏 秋田中(秋田) ●1―2 京都二中(京都)
(延長13回)
69年夏 三沢(青森) △0―0 松山商(愛媛)
(延長18回)
●2―4
71年夏 磐城(福島) ●0―1 桐蔭学園(神奈川)
89年夏 仙台育英(宮城) ●0―2 帝京(東東京)
(延長10回)
2001年春 仙台育英 ●6―7 常総学院(茨城)
03年夏 東北(宮城) ●2―4 常総学院
09年春 花巻東(岩手) ●0―1 清峰(長崎)
11年夏 光星学院(青森) ●0―11 日大三(西東京)
12年春 光星学院 ●3―7 大阪桐蔭(大阪)
12年夏 光星学院 ●0-3 大阪桐蔭
(△は引き分け、●は敗戦。1915年夏は豊中球場(大阪府)で開催)
ここでいう「白河の関」とは、福島県南部の白河市に昔あった関所のことです。
関所を越えると東北地方に入ることになります。
この「白河の関」に由来した新聞があります。
河北新報(かほくしんぽう)は、宮城県仙台市に本社を置く河北新報社が発行する
日刊新聞で一般に東北地方のブロック紙として扱われています。
●新聞名の由来
一力健治郎らが経営難の「東北日報」を引き継ぎ、明治維新の際に薩長から
「白河以北一山百文」(白河の関(現・福島県白河市)より北は、
山ひとつ100文の価値しか持たないの意)と蔑まれた東北の意地を見せるべく
「河北」と改題して1897年(明治30年)1月17日に創刊した。
なお明治10年頃、在地の民権派が好んで広域的な「東北」という地名を各地の
紙名に用いていたが、河北新報創刊の頃にはこの傾向は衰え、大正時代には
河北新報以外に広域的な名称の新聞は東北地方から消えている。
●コーポレート・スローガン
「東」は、未来
端的な言葉で、来るべき時代の担い手が東北地方にある、と宣言しました。
スローガンは、わが社の「志」である経営理念のエッセンスであり、決意表明
でもあります。
●コーポレート・マーク
世界に広がる太平洋と、「東」の豊かな未来を象徴する太陽をモチーフとしています。
太平洋の波間から朝日が昇る―。新時代の幕開けの予感です。
全体の形は、報道の「目」も表しています。時代を見据え、予見し、切り開こう、
との言論機関としての姿勢を示しました。
「河北ブルー」と名づけられた若々しい青は、東北の澄んだ空の色。
わが国屈指のグラフィックデザイナー、永井一正氏がデザインしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e8/a6d7e3808e197922dc4b2ed055627509.png)
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