コロナ禍が始まった頃の3月、JAXA角田宇宙センターで歴史講話を行う予定でした。
コロナ蔓延ということで4年程延期していました。
コロナ感染症が第5類に移行したことに伴い、JAXA角田と調整を行い、本日講話を行いました。
JAXAーOB講話会、演題「JAXA角田宇宙センターはなぜ、この地に来たのか・・・」
10:30~12:00までです。
会場の大きめの会議室には20人程、但し、ネットで部門内繋いでいて筑波宇宙センターの
方も聴講していて、トータル100人強とのことでした。
・なぜ船岡村・北郷村に火薬廠がつくられたのか
・動員された学徒はどんな作業をしたのか
・なぜ船岡火薬廠は空襲されなかったのか
・火薬廠跡地の利用
・航空宇宙技術研究所の誘致
当初講演・1時間、質疑応答・30分の予定が話す内容が盛り沢山となり1時間20分も
話をしてしまい、質疑応答が昼休みに食い込んでしまいました。
管理人はJAXAーOBとして後輩にJAXAの前身のNAL角田設立の経緯等を知っていただきたいとの
思いがあり、熱く語ってしまいました。
当初は角田宇宙センター内と思っていたので、角田勤務者の土地勘があるとの前提でパワポ等の
資料を作っていて、土地勘のない筑波の連中が理解できたか不安があります。
本日、会議等で聴講出来なかった方もあり、再度の講演の希望も寄せられていますが。
柴田町の連続講座はあと4回で終了となります。
取りあえず、今年度で講話は終了の予定です。
講話について書籍化しませんかとの問合せがありましたが、そのための労力がもったいないので、
今まで集めた資料・史料等についてまとめて、しばたの郷土館へ寄贈予定です。