11月22日の朝日新聞・土曜日別刷be
歴史のダイヤグラム 原武史(政治学者)
起点は日本橋から東京駅
だが明治以降、街道に代わって鉄道が発達する。当初は官設鉄道の新橋のほか、日本
鉄道の上野や甲武鉄道の新宿(後に飯田町)など、ターミナルが分かれていた。第8代
東京府知事となった芳川顕正は市区改正意見書のなかで、新橋や上野に代わる中央停車場
の設置を唱えた。中央停車場は日本橋とは異なり、旧江戸城西の丸に建つ皇居(明治宮殿)
と道路を通してつながることで、天皇のための駅として位置付けられた。
本丸御殿は再建されず、皇居は濠の外側からは見えなかった。中央停車場は1914
(大正3)年に東京駅として開業する。その巨大な赤レンガの駅舎は、本丸御殿に代わって
全国の中心がどこにあるかを明示していた。
東京駅の各ホームからは、「0キロポスト」と呼ばれる起点標が眺められる。日本橋を
中心とする江戸時代の交通システムが、ここに受け継がれている。それだけではない。
中央に皇室専用の出入口を有する東京駅丸の内駅舎こそ、植民地や「満州国」を含む帝国
日本に君臨する天皇の威光を可視化する建築物となったのである。
ということでJRの起点です。
鉄道(東北本線)の原点です。
日本国有鉄道(国鉄)から分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の
東北本線の距離標です。運賃等の計算に際し距離が必要であり、東北本線の場合の起点と
なる原点です。
東北本線の起点を示す「0」キロの距離標は、東北本線の下りに相当する京浜東北線北行
(大宮方面)が発着する3番線の左際ではなく、山手線内回り(上野方面)の4番線と
山手線外回り(品川方面)の5番線との間に、金属製のものが建っています。
東北本線について(2007年12月、会誌に投稿記事より)
◎概要
かつて東京駅から盛岡駅や八戸駅を介し青森駅へ至る一本の路線であったが、2002年
12月1日に東北新幹線の盛岡~八戸間が開業した際、東北本線の盛岡~目時間が第三
セクターの「IGRいわて銀河鉄道」に、目時~八戸間が同じく第三セクターの「青い森鉄道」
に経営が移管され、路線が分割された。それまで東北本線は1891年の全線開通以来、営業
キロ日本最長(739.2km 支線含まず)の鉄道路線であったが、両社への移管により山陰本線に
その座を譲り、営業キロが日本で2番目に長い路線となった。しかし、東北新幹線の八戸~
新青森間が開業した際には八戸~青森間も青い森鉄道に経営分離されることになっており、
営業キロ第2位の地位もその時までである。
◎路線データ
会社名:東日本旅客鉄道㈱(第一種鉄道事業者)
駅 数:旅客駅164駅(支線駅含む。起終点駅除く)
軌 間:狭軌(1,067mm)
路線距離(営業キロ)
- 東京駅 – 盛岡駅 3km
- 八戸駅 - 青森駅 0km
複線区間:全線
電化区間:全線
- 東京・上野~黒磯間(宇都宮線)(直流1,500V)
・ 黒磯~盛岡・八戸~青森間(交流20,000V 50Hz)
◎名称の由来
東北本線の主要経由地方自治体(福島県、宮城県、岩手県、青森県)の地方名称である東北地方の
「東北」を冠する。
現在では一般的呼称となっている東北地方の呼び名は、明治政府が令制国時代(奈良時代~明治時代
初期の間、約1200年)の歴史ある名称であった陸奥国や出羽国(奥羽)を廃し初めて使用した言葉
である(奥羽については奥羽本線で使われた)。
◎東北本線の起点
東北本線の線区上の起点は東京駅であるが、長年に亘り東北本線の長距離列車は上野駅が始発駅
となっている。上野駅は北のターミナルとして、東北本線を始め高崎線・常磐線などを経由して
東北・上越地方へ向かう列車の始発・終着駅として、北へ行くには欠かせない駅となった。
現在も夕方になると東北本線の寝台特急「北斗星」・「カシオペア」や高崎・上越線の寝台特急
「あけぼの」・「北陸」や急行「能登」、常磐線に至っては全日に亘って特急「スーパーひたち」
などを上野駅ホームで見ることができる。
東北新幹線が開業する以前は、東京駅を始発・終着駅とする優等列車もあったが、東北新幹線建設
の際に東北本線東京駅~上野駅間(正確には東京駅~秋葉原駅間)の列車線(長距離列車が走る
線路)のスペースを新幹線に明け渡したため、以来電車線(山手線・京浜東北線が走る線路)
のみが東京駅に繋がっていて、東北本線(宇都宮線・高崎線・常磐線)の中・長距離列車は全て
上野駅が起点となっている。なお、中距離電車は元々東京駅を始発・終着としたことはない。
また、新幹線に流用されなかった秋葉原駅~上野駅間の線路は留置線・回送線として使われている。
◎ 歴史
東北本線は1881年(明治14年)に創業した日本初の私鉄である「日本鉄道株式会社」が、
養蚕業の中心地から横浜港へと製品を輸送するためと、当時東西両京を結ぶ交通路として位置づけ
られた中山道鉄道の一部を形成するために建設された上野駅~高崎駅~前橋駅間の路線
(現、東北本線・高崎線・上越線・両毛線)に次いで、同社の重要な中核となる路線として
建設が開始された。その背景には、明治政府により東北地方・北海道の開発が推し進め
られており、それに必要な資材を輸送するために鉄道が必要不可欠なものと位置づけられた
ことがあると言われる。
そして、上野~前橋間鉄道から分岐する形で建設される事になったが、当初その起点とする
場所にはさまざまな案が出されたが代表的なものとして大宮・熊谷・浦和の3案が
挙げられる。このうち特に熊谷案は、殖産興業の一環と位置づけられた製糸業の盛んな桐生・
足利・佐野を通過するため、有力な候補とされた。一方、アメリカ人技師のクロフォードは
宇都宮以遠への最短ルートとするため大宮を起点にすべきという意見を出した。
こうした経緯から最終的に大宮・熊谷の2案が残り、鉄道局長の井上勝の決断によって
現行ルートである大宮分岐案に決定した。なおそれまで、上野~前橋間鉄道において
大宮には駅が設けられていなかったが、分岐点となったことで大宮駅の開設が決定した。
建設は急ピッチで進められ、1885年(明治18年)7月に大宮駅から宇都宮駅間が
営業を開始したのを皮切りに、1887年(明治20年)12月には仙台を超えて塩釜までが
開通し、1891年(明治24年)9月には全線が開通した。これは、東海道本線が開通
した1889年(明治22年)7月からしても2年余りしか経っておらず、この路線の
重要性が伺えるものであった。また全線開通当時総理大臣を務めていた松方正義は、
これによって東北が凶作でも餓死者は出ないと考え安堵したといわれる。
戦後になると電化・複線化が推し進められるようになり、1968年(昭和43年)
10月に完成した。この時国鉄では、「ヨンサントオ」と通称される白紙ダイヤ
改正を実施している。
「日本鉄道」
- 1883年(明治16年)7月28日―上野~大宮間開業。
- 1885年(明治18年)7月16日―大宮~宇都宮間開業。
- 1886年(明治19年)10月1日―宇都宮~那須間開業。
- 1887年(明治20年)12月15日―郡山~仙台間開業。
- 1888年(明治21年)10月11日―増田(現・名取駅)開業。
- 1891年(明治24年)1月12日―槻木駅開業。
- 9月1日―上野~青森間全線開通。
- 1896年(明治29年)2月21日―長町駅開業。
「鉄道院~運輸通信省」
- 1906年(明治39年)11月1日―日本鉄道が鉄道国有法により国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日―線路名称制定。秋葉原~上野~青森間を東北本線とする。
- 1911年(明治44年)12月19日―北白川駅開業。
- 1918年(大正7年)11月1日―越河~白石間に中目信号所開設。
- 1922年(大正11年)4月1日―信号所を信号場に改称。
- 12月5日―長町~仙台間複線化。
- 1923年(大正12年)9月1日―岩沼~増田間複線化。
- 12月1日―増田~長町間複線化。
- 1925年(大正14年)11月1日―神田~秋葉原間開業。東北本線の起点を東京駅に変更。
- 1929年(昭和4年)2月25日―船岡駅開業。
「日本国有鉄道」
- 1949年(昭和24年)3月1日―福島~仙台間交流化。
- 12月20日―白石~北白川間に東白石駅開業。
- 1963年(昭和38年)5月25日―増田駅を名取駅に、陸前中田駅を南仙台駅に改称。
- 9月19日―越河~中目信号場間複線化。
- 1965年(昭和40年)7月29日―槻木~岩沼間複線化。中目信号場廃止。
- 9月24日―北白川~大河原間複線化。
- 10月1日―仙台~盛岡間交流電化。
- 1966年(昭和41年)7月30日―大河原~船岡間複線化。
- 9月28日―中目信号場~東白石間複線化。中目信号場廃止。
- 1967年(昭和42年)8月12日―東白石~北白川間複線化。
- 9月26日―船岡~槻木間複線化。
- 1978年(昭和53年)8月3日―仙台地区に通勤用417系交直流電車が初登場。 仙台~白石間に1日1往復の運転開始。
- 1985年(昭和60年)4月22日―館腰駅開業。
「民営化以降」
- 1987年(昭和62年)4月1日―国鉄分割民営化により東日本旅客鉄に承継。
- 2002年(平成14年)12月1日―東北新幹線八戸延伸に伴い、盛岡~目時~八戸間を 第三セクターのIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道に経営移管。
- 2006年(平成18年)9月18日―長町駅付近5km(名取川から広瀬川まで)を高架化。
- 2007年(平成19年)3月18日―仙台空港線との直通運転開始。長町~南仙台駅に太子堂開業。