思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

理想の女

2005年08月11日 | Weblog
俺だって言う権利はある。

理想の女?
目が輝いてる女がいい。

容貌はこだわらない。
 美しさは外面の形ではない。内面から表出するものであると思う。
 ブスは心根がブスだからなのだ。

太めか細身かはこだわらない。
 目が生きてればそれなりの体型はしている。
 大デブは目が死んでいる。

知力が優れていること。
 学歴ではない。幼少時代のお習い事も関係ない。
 対応能力のことである。臨機応変に事態に対応して対策を講じれる知的能力。

おっぱいの大きさは全然関係ない。
 大きくても小さくてもお乳は出る。
 セックスもおっぱいの大小は関係ない。でかいほど鈍そうな気もする。

身長も関係ない。
 大柄とか小柄とかは、その女の責任ではない。
 その人の価値には何の関係もない。

足の太さは少し関係あるが普通の太さでいい。
 大根は大根なりのよさがある、ないか?
 これもトレイニング何とでも矯正できる。

性感度のいい女?関係ない。性生活は互いに開発していくものと考える。

短足?関係ない。
おしりの形?関係ない。殆どの女はいいおしりの形をしている。
薄情そうな薄い唇?関係ない。 
垂れ目、おく目、パッチリ?関係ない。

要はその人の生きる姿勢がその人の人格容貌を決めるように思う。

これは女に限らない。目が死んでる男も様にならない。
目の輝きにこだわる理由は、ある爺さんとの出会いにある。
30代のころ、大量に吐血して死の境を彷徨ったことがある。気づいたときは病院のベッドに居て何ヶ月か闘病生活を余儀なくされた。
そのときに、80才過ぎの爺さんが女房と話しているのを聞くともなく聞いていた。
「ご主人は目が輝いているからきっと良くなりますよ」
本当に輝いていたかどうかは思い出せないが、爺さんの言葉は鮮明に覚えている。
死ぬ心配は全然してなかったが。

そんな訳で心の張りが人生を決めるように思う。
今どんなに美しくとも心の張りを失えばたちまち醜き塊と化してしまう。
何時までも目を輝かせて生きれる女かどうかを見極めないとえらい目にあう。

因みに我が女房のチッコイ目は今でもキラキラ輝いている。

川柳的性格

2005年08月11日 | Weblog
最近、購読している新聞に毎日川柳が掲載されるようになった。
どうしても意味が汲み取れない句もあるが、それは悔しい思いをする。
自分が知らない何かを題材にしているのだろうがピンと来ない。
取り残されの感じになる。

川柳を作る人は相当頭が良くて、しかも皮肉屋だ。
私は頭悪いが、皮肉屋的性格は育まれてきた。

女房に笑顔で話しかけるとすぐに警戒される。
また何か私の欠点を見つけたのか、と10倍くらい言い返してくる。
そんな意図は毛頭ないのに私の悲しいサガだ。

多分それは大学入学の学長の冒頭の挨拶に起因しているかもしれない。
今でも覚えているくらいだから。
「諸君がここで学ばなければならないのは批判精神である」という意味の挨拶であった。
勿論、批判は非難ではない。
対象をいろんな観点から見つめ正しく判断する、程度の意味だ。

その挨拶と教えは私の中では正しく育たなかった。皮肉屋の側面は成長した。
その性格直せっ!と女房には常々指摘されている。

ブログのコメントも注意しなければ。
興味を持つと皮肉りたくなる嫌な性格なので。




ETCと悪夢

2005年08月11日 | Weblog
最近のバスツアーでは、高速道路の料金所を通過するとき、観光バスは殆どETC用の出口を通過する。
直前まで通過ゲイトが閉じており、通り抜ける寸前まで上がらないが、やっとのことでバカッと開く。どうもぶつかりそうで直前まで落ち着かない。
おまけに期限切れのカードにご注意くださいとか表示されている。
あれは精神衛生上良くない。

昔よく見た悪夢を思い出してしまう。
かなりのスピードで運転していて、突然T字路に差し掛かる。
思わず減速するが間に合わない状態でT字路に突っ込んでゆく。
あ~っ曲がりきれない!、と正面の建物に激突する夢だ、いつも激突の直前で目が覚める。

昔は無謀運転を繰り返していた。スピードとストレスに酔っていたともいえる。
何度危険な思いをしたことか。
夜の一般道での追い越し、5、6台をごぼう抜きする快感と恐怖。対向車線を前方から急速に近づいてくるヘッドライトを見つめながら突っ走る、ぎりぎりのところで追い越し車両をすり抜けて前方にとび出る。
無謀極まりない。
最近は、優良安全運転者に成り下がった。
ストレスを感じるような運転はしなくなった。反射神経は鈍っているだろうし。
やはり年齢を感じてしまう。

初舞台の総括

2005年08月11日 | Weblog
昨日は劇団の例会があった。
先日の初舞台の結果が話題になった。
結論は「大成功」だったそうだ。
 アンケートに答えた人も予想外に多く、しかも好評だったそうだ。
しかし、演出者は、我々素人集団を劇団に根ずかせるために、相当無理しておだてている感じも受ける。全員の何かを褒めまくっていたからな。
私もこそばゆい位に褒められた。

諸費用は40万円弱、いろんなところから捻出した様子だが我々新団員の負担はなし。
大道具とパンフレットの費用が大部分、会場費は市の施設なのでゼロ。
費用が多いのか少ないのかは、素人の私には分からない。
費用を賄うために将来は有料公演も視野に入れているとか言ってた。

女房に言わせると、有料公演ということは団員がチケットを何10枚か引き受けることを意味するそうだ。そして知り合いに無料で配布する。結局団員が費用を負担することになるんだと。
さすがにその辺の計算は速い。
2万円前後の負担にはなるが演じる代償としては安いもんだという。
そんなもんかね。

新団員のあるおばさんは亭主が舞台をビデオ撮りしてDVDに編集してくれたと発表していた。そんなことが趣味のご主人らしくて、ジャケットが見事だった。
演劇をやりたい人は、夫々何らかの思い入れを持っている。
遊び半分なのは私だけみたいな感じがして済まないような気持ちにさせられた。

演じることの魅力は、別人格として振舞えることにあるのか。
言ってみれば、自分が体験しなかった人生をつかの間ではあれ生きることが出来る点にあるように思える。
勿論その演じる人生が観客に伝わっての話だが。