思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

執念を燃やす

2005年08月21日 | Weblog
執念を燃やして生きているときが、やはり最高だと思う。
自分の過去を振り返ってもそうだった。
それが無いと侘しい人生になる。
目標に到達するために、体力と知力を総動員して取り組む。
その過程では、生き甲斐に通じるいろいろな「創造」が生まれる。困難を乗り越えるためにありとあらゆる努力と工夫をする。

例えば復讐劇。
主人公は復讐を達成するために、すべてのエネルギーを投入する。
例えば選挙。
当選するために体力の限界まで燃えつくす。
例えば歌手。
ビッグになるために単調な訓練を続け長い下積みに耐える。

定年後に「毎日暇で退屈でしょう」とよくいわれる。
悲しいかな、現実である。
執念を燃やすものに行き当たらない。
典型的な定年男のダメ見本だ。
いろんなことに手を染めて時間は流れていくが、これでいいのかと思い続ける。
物理的に動いていても心は退屈な毎日だ。
平和すぎる。
何か人のお役に立てるボランティア、そんな柄でもない。

そんなことを思いながら今日はPCの前でオタクを決め込んでいる。
喰えない奴だな、俺は。


不気味な予兆

2005年08月21日 | Weblog
地震のことです。
最近地震が頻発するようになったような気がする。
異常気象も関連性を暗示している。
小松左京が「日本列島沈没」を書いたのは何年前だったかな。
自然が警告を発しているようにも受け取れる。

殆どの人は何の構えも出来ていない。自分が大地震に巻き込まれるとは想像していないから。
阪神大地震も突然襲ってきて、何千人もの人が亡くなった。
一瞬にして家を失い、親しい人を失いしたが、自分自身に起こったことではなかった。ほんの隣県の惨状をテレビで見続けたが、自分自身には大きな被害は無かった。全国からボランティアの人々が終結したが自身は何もしなかった。

ここ何ケ月かの間に頻発している地震は、次第に緊迫感を募らせているような感じを持つ。
現在地震の予測は殆ど不可能である。
従って、自分の住んでいるこの場所が大災害に見舞われても不思議は無いように思うようになってくるが。
何時起こるか分からないことを心配しても仕様がないとは思うし、避難場所を確認したり緊急時に持ち出すものを準備したり、現実にはそんな準備をしている人が何人いるだろうか。

自然災害でも台風は予測できるから備えることが出来る。
地震は何時起こっても不思議はないと認識しながらも殆どそれに対する備えは出来ていない。
大掛かりな防災訓練なんかも放映されるが、多くの人は傍観しているだけである。

楽天的なのか、ズボラなのか。
だが何を準備すればいいんだろう。