思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

修羅場を生き抜く

2005年09月05日 | Weblog
戦場も修羅場だが、自分の心との戦いにも修羅場はある。
普通の人には何でもない心の揺れが、人によってはそれが人生の大きな修羅場になることがある。

ある種の悔しさの感情を私は2,3年引きずったことがある。

新しい販売会社を立ち上げた時、経理業務要員として勤務した若い時期、少人数で意気込んでいた。徹夜も辞さない激務が続いたが、とうとう胃を壊して血を吐いて入院した。
胃に大きな穴が開いていたらしいが、外科手術は困難な場所とかで内科的に治療すると言い渡されて、一月くらい体を固定され点滴のみで治療と栄養補給した。
従って、完全治癒まで約半年を要した。
腕の点滴跡はヤク中毒の注射の後みたいに何年か消えなかった。
当然その間にその職場からははずされ、病気快癒後は違う職場に出勤した。
新しい上司が私を連れて部長さんに挨拶に連れて行ってくれたが、その部長の心無い言葉は今でも忘れない。

「君なあ、胃潰瘍くらいで半年も休んどったんか。あんまり仕事の意欲ないんかいな、まあええ、頑張ってくれや」
とそれだけ。忙しいから早く立ち去れといった感じで言われた。
顔が白くなるほどの怒りを感じた。
暫くの間、そのクソ部長と顔を合わせるのが嫌で嫌で仕様がなかった。

こちらがムカついているから、以心伝心でその部長も私が邪魔だったろうと思う。当時どんどん昇給する高度成長時代に私の昇給は低く抑えられた。
多少気の強い社員であれば、上司とか他の部署の上司とかに旨く取り入って、トットと他の部署に異動を画策しただろう。
流石にその人間味を欠く暴言部長は馬脚をあらわして冷や飯を食うハメには陥ったが、その間私は修羅場の心境だった。
ニヒリスティックな心へもその時期にかなり傾斜した。
卑屈な心境で耐えただけの話だが、私にとっては心の修羅場だった。
修羅場を抜け切るのに2,3年かかった。

学校のいじめとか、職場での孤立などとはまた違うその部長への憎しみの心との葛藤だった。

しかし、後年その部長の落ちぶれた姿をみて、哀れみに似た感情と共に私自身も大人気ない一面はあったかと反省すらする。

どんな小さなことでも、人の心を修羅場に誘い込むことがある。
そんな風に人は他人には理解できない自分の心の修羅場を潜り抜けて生き抜いている訳だ。






全日空ホテル

2005年09月05日 | Weblog
何故か「大阪全日空ホテル」に一泊してきた。
女房と2人で、お一人様10800円3食付き。
22階のツインの部屋からの眺望はまあまあ。
昨日の午後2時頃から今日の昼まで、ホテルで意味なく過ごした。
外出は近くの大阪国立美術館へ歩いて15分くらい、訳の分からん抽象画を見てきた。
雨だったせいもあって客は僅か、要所要所に係員が10名ほど見張りで座っている。人件費が気になったりする。

北区堂島浜のそのホテルはリニューアルオープン記念に宿泊客を募集したものらしい。
結婚式の披露宴会場も備えている。
非常にお得な感じの宿泊だった。
一般のホテルは日本のホテルが一番優れていると思う。
バスが広くてよかった。トイレはウオシュレットが当たり前になってきたがヨーロッパは少ない。変なビデは付いてるが。

それにしても枕が替わると眠れない。
女房は大の字でガアガアいびきをかいて、しっかりと眠る。
夜も朝も風呂に入って、部屋の中を半裸でウロウロする。

今日は、昼から直接「1万人の第9」のレッスン会場にホテルから雨の中歩いて直行した。
歩き疲れた。