思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

ひだまり

2007年02月16日 | Weblog
先日、私鉄駅近くのベンチで犬を3匹連れて毛のコートを頭からスッポリ被り、子犬を抱いてひだまりの中腕を組んでうつむいてじっと座っているおじさんがいた。
2時間後に同じ道を通ったらまだ同じ姿勢で座っている。
手押し車にはいろんなものを満載している。
それが彼の生活用品の全てなのだろう。

それが今日あるところでお喋りしていて、それは女性でありこの界隈では有名なのだそうだ。
寝場所は毎晩転々と変えているとか。

心無い男は
「あれはまだ50代やで、まだいけるでえ」
「駅前に立ったらまだいけるよ」
等と言っているらしい。

そして更に彼女は近所のスナックのママさんだったらしい。
ちゃんと家も持っていたという話だ。

この町を離れられないどんな理由があるのか分からないが、もしかしたら痴呆が進んでいるのだろうか、何が転機でそうなったのか、哀れというか、この寒空そう長く生きていけるとは思えない。

賽の河原

2007年02月16日 | Weblog
地獄には「賽の河原」というのがあるらしい。
地獄の住人には、その川原に石を積む仕事がある、しかし積み終わったと思ったら鬼さんが出てきて全部壊してしまい、また積みなおさないといけない。

先日皿を洗っていた。
私の仕事にすると、女房が決めてくれた。
一度としてサボルことなく続けている。
女房が
「賽の河原やねえ、洗っても洗ってもまたすぐ汚すでしょう、私はそれを何十年もやってきたからねえ」
という。
「はあ?」と思う。

私が文句言わずにやってるのが悔しいのか。

執着しない

2007年02月16日 | Weblog
仏教の教えに「物事に執着しない」と言うのがある。
一面の真理かもしれないが、何事かを成し遂げようとする人にとっては縁のない言葉だ。
そういう人にとっては「執着」こそ真理と感じるかもしれない。

私も物事に対する執着が少しずつ薄れていっているように感じる。
「まあこんなもんだろ、俺はこの程度のもんさ」
とすぐあきらめる。

そのほうが気楽に過ごせる。
ある女性が

「私はたいした能力もない、女一人生きていく経済力もない、そこそこの男を見つけて結婚しよう、そして亭主にはよき妻でいよう、亭主の好きそうな料理はそこそこ作れるようにしよう、家事もそこそここなそう、家は快適に過ごせるように気を配ろう、私の人生それで十分よ。燃えるような恋なんて縁がないし」

それも立派な生き方で、それも望めない人達も多い。

それでも「夢はかなう」とか言う言葉の「夢」とは少し違う。
夢がない。
私にも夢がないのかもしれない。



間抜けな声?

2007年02月16日 | Weblog
今日の英会話サークルで。

プロのオペラ歌手、と自称した大柄な女の子とオペラの話をした。
「今晩、椿姫を見に行くよ」と言った。
いろいろ話しているうちに、「それなら関西二期会のオペラやね」と言う。
「あなたは椿姫なんかやったことあります?」
「椿姫は私の出番はないのよ、私はも少し低い声だから」という。
そういえば彼女は二期会には所属していないと言ってたな。

そして、秋川雅史の「千の風になって」の話になった。
「私も歌ってます」と彼女はいう。
「俺もやっと覚えたよ」と私も張り合う?。

彼女は更にこう言った。
「秋川さんの声は間抜けな声でしょ、あれあんまり良くないよ」
「は?」と私。
「声が何かウォンウォンと口の周りに籠もったような声よ」
「新垣さんの歌、もあの盲目の歌手よ、新垣さんの歌がとってもいい」
そういえば新垣勉さんと言う盲目の歌手を何度かテレビで見た。

その新垣さんが歌う「千の風になって」は聞いたことがないので私には何ともいえない。
「間抜けな声」とズバリ評価する彼女は何者かいな、と不思議な気がした。