思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

初見

2007年02月24日 | Weblog
先日の劇団の例会で。
女房も同じ劇団に所属している。

新しい台本が出来上がったということで、その初見の台本に一通り目を通してみることになった。
女房は朗読のボランティアをしている関係で、時々初見の読みを頼まれる。
読み進めていく中で「呆然として…」という言葉が2回出てきた。

私はそれは「あぜんとして…」と読むものと生涯を通じて思い込んでいた。
しかし女房は「ぼうぜんとして…」と2回とも読んだ。
けっ、間違いやがって恥ずかしい、と思っていた。

それを今日思い出してそのことを言った。
「なに言ってんの?」と女房は怪訝な顔。

国語辞書を取り出して指摘しようとして、見ると「ガ~ン」間違っていたのは俺のほうだ。

「あぜん」は「唖然」だ、「ぼうぜん」のほうは「呆然」か「茫然」だ。
私は「茫然」の漢字しか頭に残っていない。

そして女房いわく
「あんたは私が読み方を間違えたと思って恥ずかしいと思ってたね、そんなあんたの方がよっぽど恥ずかしいわ」
あの時皆の前で指摘したりしなかったことがせめてもの救いだ。
どっと疲れが出た感じ。

北へ向かう

2007年02月24日 | Weblog
演歌の世界では、傷心の女は北へ向かうことになっている。
何故、北なのか。
暖かい南に向かったほうが心の傷は癒されそうな気がするけれど。

北、雪、寒い、寂しい、心の故郷へ、こんな言葉は東京に住む人の心の原点なのかもしれない。
あるいは心の傷を癒すためには更に自分を追い詰める自虐的な北の方向が必要なのだろうか。

大阪に住む人は南方の人が多い。
四国・九州の出身者が圧倒的に多い。
東北・北海道で見るような冬は知らない。
厳冬・地吹雪・一面の雪、見知らぬそんなものに一種ロマンチックなものを感じているようにも思える。

そんなわけで傷心の女は北へ向かう。
男も北へ向かう女に対して「何とかしてあげたい」気持ちを誘われる。

但し北へ向かう女はデブではいけない、やはりほっそりと寂しげに痩せていないといけない。
天道○○○さんが北へ向かう寂しげな女を歌っても、イメージが湧いてこない。

心晴れ晴れ

2007年02月24日 | Weblog
人の心は天候に左右される。
特別のストレスを持たないようになった私のような男でも心は天候に左右されることが多い。
特にこの時期、空が晴れ渡ると心も晴れ晴れする。
寒い曇りの日、雨の日は心も沈む。

先日、晴れの日、気温も陽春の陽気、何となく家を出て陽光を浴びて心地よく見慣れた町を歩く。
足は自然に行きなれたカラオケの店に向かう。
店の扉を開けてびっくり、大勢のおばさん・おじさんで混んでいる。
「えっ、今日は何かあった?」と思わずたずねる。
「天気よ、今日は暖かいでしょ、みんな出てくるのよ」とママさん。

なるほど私もその一人だったわけだ。
やはり生物は光にはぐくまれて生きているんだ、等と妙に感心する。