思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

老人性鬱症

2005年05月19日 | Weblog
今日は突然張合いを失った感じで鬱病の一歩手前の鬱症だ。
自信喪失というか。暇でいい加減に生きてるから、ふいとこんな状態になる。
過去が全て無意味だったような失速感に襲われる。
自分の全人格を否定されたような感じ(否定される程の立派な人格があったか?)
自分も他人にそんなことをしてなかったか考えてみる。


何でかな~??????????? …てな感じ。
また明日があるさ。

藪の中

2005年05月18日 | Weblog
先日テレビの国会中継を見るともなく見ていた。
民主党と小泉総理のやり取りをやっていた。
双方の見事な応酬に惚れ惚れした。
と言うのはどちらの意見も聞いてみれば「なるほど」と納得してしまう。
まったく逆のことを主張しているのにである。
政治家は言葉の魔術師であるなあ、と感心することしきりである。

一方の意見だけを聞いていたら、そのまま信じて加担してしまいそうな気がする。
それぞれの主張には道理があり、裏付がある。
一瞬、芥川龍之介の小説「藪の中」を思い出してしまう。

ひとつの事象について、人によってまったく違った解釈が成り立ち、しかもいずれも真実であるというパラドックスが成り立つ。
人生観においても、楽観主義も悲観主義も相反しながら両方とも成り立つし、煎じ詰めてゆけば同じことを言っている事になるのか。

事実とか真実はひとつなのに、解釈の仕方は様々あっていずれも成り立つ、と言うことかな。
前向きに解釈すれば前向きに生きる事になるし、逆の解釈をすれば悲観的に生きる事になる。

女房の愚痴も「時間の無駄だ~、うるせえなあ」と捉えればストレスの原因になるが、「そういう意見もあるな、参考になった」と前向きに聞いていれば、ひとつ賢くなれる、と言う程度のことだろう。

それにしても、代議士さんの弁舌はたいしたもんだ。
白いものでも黒くなる。
社会現象はいろんな解釈ができると言うことだ。
天動説が地動説にとって代った様に、現在の少数意見も時代の変遷によってはみんなの真実になりうる。
少数意見についても良く考えてみる必要がある。
多数決だけの民主主義にならないように。




戦艦大和

2005年05月18日 | Weblog
突然、戦艦大和。
なんの理由もなくふと思い浮かぶ。

旧日本軍の第2次大戦末期の最大の悲劇の軍艦。
撃沈されることを知りながら出航した悲しい船であるが、その比類ない船形の美しさ。
迎撃する戦闘機さえも持たず、アメリカ軍の容赦の無い戦闘機の攻撃と魚雷の攻撃になす術もなく撃沈された。
実際は日本軍国主義の馬鹿な最後のあがきだったのだろうが、設計して建造に携わった人々に対しては最大の敬意を払いたい。
死を覚悟して乗艦した人々に対しても。
今でも静かに海底に眠っている。

何故かそんな船が訳もなく愛しい。
そういえば船は女性名詞とか。
映画の主題歌、谷村新司の「群青」を随分練習したことがあった。大和を思いながら。

宇宙戦艦やまと、良かったなあ。映画も心震えたなあ。
主題歌も絶望の悲哀の中からの最後の希望みたいなもんが感じられて良かったな~。
も一度ビデオ借りて見ようかな。

確か呉造船所跡に記念館みたいなものが出来て、模型が飾ってあるとかニュースで見たような気がする。模型といっても馬鹿デカイものみたい。一度見に行ってみようかな。
女房は興味ないだろから、行くんなら1人旅だな。

と言いつつ感傷に浸り、心洗われている様なひと時でした。

同じ趣味

2005年05月18日 | Weblog
今日、素人劇団の練習の帰りに仲間の2人のおばさんが話しかけてきた。
「ご夫婦で同じ趣味持ってるの、いいですよネエ」
女房は急用で欠席していたが、一瞬「エッ」と思う。実は演劇を演じる趣味は元々無い。
会合では、「最初興味が無かったけれどだんだん興味が湧いてきました。ベストを尽くします」とか言っているから、演劇が好きだと思われている。
今更撤回することも出来ないので、本当にベストを尽くそうと思っている。
結構楽しいかな、と最近は思う。

女房は、自分の夢を実現してゆくのに常に貪欲である。
常に積極おばさんである。
演劇は高校時代に好きでやっていたことを、この年になってももう一度挑戦したいのだろう。
社交ダンス然り、カラオケ然り。朗読ボランティアなんかもある。
社交ダンスもカラオケも「ご夫婦同じ趣味」という事になっている。
旅行もあるな。

しかし、残念ながら同じ趣味なのではなく、女房の趣味に付き随っているというのが本当だ。
だが、感謝はしている。
彼女と連れ合いにならなかったら決して足を踏み入れなかったであろう世界に少しでも触れることが出来たわけだから。
自らは積極的に動けないのが、私の特徴みたいだし。
女房は「男気が足らん」といっている。





残虐行為

2005年05月17日 | Weblog
昨晩のテレビでアフリカの湿地に棲んでいるライオンの記録番組を見た。
毎週月曜日のこの番組は良く見る。
自然の営みの中での動物の想像も出来ない不思議に出会えるし、動物は余計なことを考えずに潔く生きているのが好きだったりで見る。
ひとつの生命の誕生から次第に多様化して、環境に対応しながら絶滅したり新しく生まれたり地球生命の歴史を見る思いがすることも魅力のひとつである。
人類もひとつの生命な訳だが。

ところで、ライオンが群れでアフリカ水牛を襲い、噛み倒して殺すなり忽ちのうちに皮をむしり骨を噛み砕いて口を血に染めて肉や内臓を食い漁る。
瞬く間に先程まで走り回っていた水牛は太い骨だけの残骸と化してしまう。
子供のライオンも骨に残っている肉片まで一生懸命に食い尽くす。
一見無慈悲な残虐行為である。
しかし、人間の残虐行為を見聞しての感想とはまるで違う。自然の掟に従った崇高な行為に思える。水牛が殺されて骨と化すのも崇高な行為である。
ライオンにとっては、殺して食べるのは生命の連鎖を保っていくための何の疑いも持たない自然な行為であるわけだ。
謂わば神によって許された行為である。
それ以外の残虐行為は決してしない。

一方我々人間の間では許されない残虐行為が増えている。
イラク、ウズベキスタン、我々の周りでも首輪・手錠事件。
自然の摂理からはみ出した残虐行為である。
人類は今や地球の生態系に君臨して増加し続けている。
終末説ではないが、ひとつ間違えれば種の絶滅の危機をはらむ可能性を秘めている。
100年後に地球は放射能を餌にして生きる生命だけになっていたりしかねない。

俺って変なこと考えたりするな~。





街ゆく人々

2005年05月17日 | Weblog
ゴミ出しの日。
今日も天気が良かったので、ゴミを出して少し散歩した。

エレベーターには中年の夫婦が、出勤姿でゴミ袋を提げて出るところだったが、暫くして二人とも自転車で同じ方向に走り去った。きっと同じ職場かもしれないと考えたりしたが、生き生きして好感が持てた。一方我輩はゴミを捨てた後、特にこれといって踏ん張ってやるようなことも無い寂しさをふと感じる。

子育て真最中の母親が自転車の前と後ろに幼児を乗せて、形振りかまわずといった風情で幼稚園に急いでいる。

若いサラリーマン男性が、下を向いて苦しそうに急いでいる。昨日呑んで帰ったそののままの服装で飛び出した感じを受ける。昔俺もそんなことあったよなとエールを送る。

早起きの散歩帰りのような爺さんがゆっくり通る。のんびりし過ぎる暮らしも、つらいものがあるなあ、と勝手に想像したりする。

働く若いおねえさんは、颯爽としていて淡い香水の香りを残して行き過ぎる。OLさんは男性と違って大抵ピシッと決めている。清潔感が漂う。
ひょっとしたらこの社会、女性が働いて男が家事担当に変更したほうが全てうまく流れるような思いに囚われる。

定年生活に入ってから特になんにつけても女のほうが賢く逞しく生きているような気がしてならない。企業組織の中でも女性は不当な差別を受けて、能力を発揮する機会を奪われているから、男が支配しているように見えるだけである。
子育てと家庭を女房に押し付けて、会社でのらりくらりしている輩もやたら多い。
今日のニュースでもやってたが、日本は女性の地位に関しては最後進国の仲間入りをしている。
またまだ男性優位の後進国なのだ。
転換点の日本社会、女性が自由に能力を発揮できる体制に早く持っていかないと、経済的にも後進国になりかねない。
年金暮らしの身にとっては重大問題だ。
賢明な日本政府のことだから、その辺のところは分かっているはず、早くそういう施策を実行に移していって欲しいと思う。

かくいう散歩しながら考えたわけじゃない。
書いているうちにそういう方向に進んでしまった。


追想

2005年05月17日 | Weblog
長いようで短かった一流の心理サスペンスを読み終わった。
久しぶりに心惹かれる文章に最後まで飽きることは無かった。

終章は悲劇ともいえるが、突然余韻を残して終わる。
その後に、主人公はどうなっていくのかな~、という余韻の残るエピローグであった。
次の作品が待ち遠しい限りである。

首輪

2005年05月14日 | Weblog
首輪は普通は人間の首にはつけないが、18歳の少女に首輪をつけて監禁してた奴がいた。
サドの小説を読みすぎたのかもしれない。
サディズムは人間の心に巣食っているある一面ではあるが、実行したら犯罪者として処罰されるのは当然である。極刑を望む。

犯人は経済的に不自由なく育ったらしいから、欲しいものは大抵手に入ったのだろう。
終には「女を飼ってみたい」と言う、とんでもない欲望に発展したものと思われる。
変質的な前歴の持ち主であり、保護観察中だったとか。

そういう、人の命を弄ぶような欠格人間は、多分矯正が利かないんだろうと思う。
首輪をつけて隔離して監視付きで生かしておくしかない。
テレビに映る犯人の顔はむかつく。悪知恵の働きそうな顔だ。今後は人間社会をウロウロ歩かせてはいけない、両親には気の毒だが。

被害者はとんでもない記憶を背負って生きる事になるが、生き抜いて欲しいと思う。
何をしてやれる訳ではないが、少女の回復力を信じたい。





健康診断の結果

2005年05月14日 | Weblog
この年になると、健康診断の結果が気になる。
さっき、人間ドックの結果が郵送で意外と早く届いた。
4項目ほど、「経過観察」と書いてある。どうしろというのかな。多少問題あるが前年と余り変化が無いので様子を見ましょうという意味か。運動して徐々にもう少し体重を減らしましょうとも書いてある。
特に緊急事態は無いと言うことか。

近くの町医者で、あなたの年齢ではどんな病気の発症もあり得ます、と一度脅しをいわれたことがあるので、それなりの覚悟はしている。
タバコを止めないので、「肺癌が進んでいます」とか言われたら、死ぬまでの闘病記でも書こうかなんてことも考えていた。

添付の文書が気に入らない。
全部を網羅した検査ではありませんので、結果を鵜呑みにしないで体調が思わしくないときは直ぐ医者に相談してください、とある。
検査結果に責任は持たないよ、という責任逃れの一筆か。

縫いぐるみ

2005年05月14日 | Weblog
我が家のソファーには何故かいつも縫いぐるみが2つ寄り添うように並べて置いてある。

ひとつは、魔女の黒い帽子を被った黒い洋服の少女の縫いぐるみ人形。どういう経路で今ここにあるのかは思い出せない。
もうひとつは、小熊の黄色い縫いぐるみで、これは確かある店でなんかの抽選に当たって持ち帰って「君が喜びそうでこれにした」といって妻に渡した記憶がある。
えらい喜んでくれたのでビックリした。たかが景品の熊ちゃんの縫いぐるみに。
妻は初めてプレゼントしてもらったとぬかしていた。
そういえば、妻のために何かプレゼントしたことは一度も無かった。家計は全部妻が握っているんだから欲しけりゃ買えばいいと言ってあるし。

(ここで暫く中断)
「私を○○まで車で送ってくれる気ある?」、いつものお気に入りの美容院までだ。近くにあるんだから近くに行けばいいのに、わざわざ遠方まで行く。)・・・・
(送ってきた。中断終わり)

時々ソファーに寝転がった時に足で蹴飛ばしたりするので、縫いぐるみチャンは床に転がっていることもあるが、またいつの間にか2つ並べて元の場所に置いてある。なぜかこだわる。
妻は子供にたとえて、少女は娘、熊は息子で、表情が似ていて可愛いと言っている。

だがどうもそうじゃないような気がする。
多分自分達になぞらえているような感じだ。
きっと、
夫婦2人なんだから仲良く暮らしてゆきましょうね。だけど私を悲しませるようなことをしたら、あなた、どうなるか分かってるよね。
と言っているような、考え過ぎかな~。