思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

教会

2005年05月14日 | Weblog
今日も晴れていたので午前中散歩した。
近所だけど足を踏み入れたことのない地域がある。そんなところを歩いてみた。
閑静な住宅街の一角に○○教会の掲示板と矢印が書いてあったので、行って見た。

子供の頃、おふくろの友人が教会の牧師さん(或いは神父さんか)と友達だったようで、何回か田舎町の教会に連れて行かれた思い出がある。おふくろはクリスチャンでも何でもない。多分結婚前に「まねごと」みたいなことをしていたんだろうと思う。
家にも少女が光に向かって手を合わせている宗教的な絵がかかっていたな。

もう一つ、山奥の生徒10人ほどの分校で小学生だった頃、担任の若い男性教師が多分クリスチャンだった。カトリックとかプロテスタントとかは分からないが、よくお話を聞かされた。
その近くに大きな川が流れていたので、授業の後に川岸の土手に丸く座っていろんな聖書物語的なものを読んだり話したりしていた。
主人公の少年が自分の命を捨てて自分を蔑んだ少女の命を救う、と言ったようなお話だったと記憶している。
そのときの感動と場の風景が重なって記憶に残っている。

矢印の方向に小さな教会があった。
普通の家と続きになって建っていたが、今日は締まっていた。
門の横に「日本パブテスト協会 ○○教会」と書いてあった。
穏やかな感じの老夫婦が、周りの雑草の整理をしていた。

近頃、宗教団体に対しては何となく拒否反応がある。
宗教団体を隠れ蓑にして、金儲けをしたり、痴漢行為をしたり、幼児を虐待したり、サリンを作ったりする輩までいる。

その教会は、多分金儲けなんかとは縁が無い風情に見えた。清貧という言葉が当てはまる何となく心の安らぎを与えてくれそうな華美とは縁遠い佇まいであった。
きっと真の宗教者が運営に携わっているのだろう。

私に関しては多分信者になることは一生無いと思う。
論理的に証明できないようなものを信じる気にはなれない。
方程式を因数分解して解くように納得しない限りは駄目だ。
むしろ仏教のほうが親近感がある。とはいえ仏教の教えなるものについても殆ど知らないのが実情だが、歴史的に仏教から派生した日常語に多く触れていることや、日本は過去仏教と深くかかわってきたわけだから何となく理解している。感性が重なる部分があるようには思える。
同様に、キリスト教国に生まれた人は自然に理解するのかもしれないが。

携帯・タバコ・セーラー服

2005年05月14日 | Weblog
地域のコミュニティのお祭りの話。
女房達が前にやった寸劇が受けたので再演することになったと言っていた。
先日、家にセーラー服が広げてあった。友達の娘さんのを借りたと言っていた。
そういえばうちの娘は高校もセーラー服じゃなかったしと思っていたが、寸劇のための借り物だっのだ。
不良女子高校生の役を役をやるんだそうで、片手に携帯、片手にタバコをふかしてセーラー服で登場するのが大受けだったとか。

おばさん達は何考えてるんだろうね。
ま、元気で何よりだ。
うちの女房には、はまり役かもしれない。
だけど絶対見たくないね。

孤立

2005年05月13日 | Weblog
朝のNHK連ドラ「ファイト」を見ている。
現在、主人公の女子高校生が教室で孤立して涙をこらえている状況設定の場面。
親友と心の行き違いを生じて憎みあったりする。
悔しさと悲しさと、分かるような気がする。

皆に無視されることの辛さと寂しさ。分かる分かると一瞬込み上げてきたりする。
人は社会的存在、人と関わり無くしては生きられない。

自己を主張することが孤立につながる場合もある。
信念に基づく孤立は人生で何度も経験するだろうが、それは成長のためのステップだ。
頑張れ!と応援したりしている。

散歩

2005年05月13日 | Weblog
午前中近所を散歩した。
女房は今日午後から、カラオケ仲間と近所のカラオケの店を借り切って発表会みたいなことをやるらしい。それで歌をガンガン鳴らして練習しているので私は何も出来ない。

近所を散歩と言っても、何の変哲も無い公園と雑多な町並みがあるだけだ。
静かな池があって鯉が泳いでいたりはしない。
公園ではお年寄りがいつものゲートボールに興じていた。暫く眺めていたがルールは理解できない。何が面白いんだろう。
公園の記念の塔を業者がクレーン車のようなものを使って水洗いしていた。この塔の下は時々高校生の溜まり場になっていて、いつもスナックの袋とかジュースの空き缶なんかが散乱している。
年寄りのボランティアと思われる人達がいつもその後を清掃しているのを知ってるんだろうか。
たまにはホームレスのおじさんも見ることがあるが、今日は居ない。

公園の少し山になった草場で、幼稚園の子供たちが遊んでいた。数人の先生達が見張っている。
時節柄近づくのはやめておこう。
先日まで咲き乱れていたツツジの花はもう無くなっていた。以外に短い花の期間だった。

暫く歩いてタバコを2箱買った。マイルドセブンの10mgタイプ、単価270円。タバコの価格は年々上がっていく。禁煙者が増加しているから税収確保のためには値上げせざるを得ない。
今や喫煙者は社会に害を流す意志薄弱者と見なされている。その通り。

暫く行くと歩道橋に出る。とってつけたような歩道橋が歩道を占拠していて邪魔だ。歩道橋なんか利用する人は殆どいないし、設計思想を疑わざるを得ない設置の仕方である。美観への配慮はゼロである。

高台になっている住宅街に入る。狭い小道が四方八方に迷路のように広がっている。騒音も無く懐かしい感じを覚える一帯である。静かな細い路面に初夏の午前の日差しが心地よい。
坂道を登り始めると左足の付け根に鈍痛が忍び寄ってくる。ここ10年来の持病になっている。診察してもらったが良くは分からない。坐骨神経痛の一つじゃないかと言うことで、腹筋を鍛えろと言われているが、改善する様子も悪化する様子も無い。

坂道を下った信号のところで、こわそうな顔の自転車のおばさんと行き違いになった。何気ない視線を向けていたが、彼女は明らかに敵意の目で私を睨みつけていた。
知らない人だし、余り気にしないことにする。

40分間歩いた。少しは運動になったかも。
出来れば緑の多い、池があったり、鳥がいたり、芝生があったり、そんな広い所をのんびり散歩してみたい。


文章の罠

2005年05月13日 | Weblog
思いつくまま感じるままに書きなぐっていると、文章の罠に陥る。
実は、自分を見詰め直すつもりなどまったく無くて、ただ架空の世界を彷徨っているような感じに囚われる。確たる目的の無い文章は何となく哀れで惨めである。
削除してしまいたい過去の文章もあるが、それも「嘘つき文章」として、暫くは記念に残しておこう。

過去、心にも無いことを書く事に慣らされてきた。
勤務中に一体何通の通達文を社内外に流してきただろうか。
全て会社の利益、効率に結びつける方策が根底にあった。会社に勤務して生きると言うことは私にとっては自己を捨てることであったように思う。
(負け犬の呟きだなあ~)
とは言え、自分の意に反しても、職責を全うするためにはそれなりに真剣に対処して成果も挙げてきた。

しかし、意に反する文章は「嘘つき文章」である。
その癖が体に染み付いてしまっている。心の声ではない。
(こんなことをクヨクヨ考えて何になるんだろう)

台詞:母親じゃない!

2005年05月12日 | Weblog
今度の演劇のある女役2人の回想のセリフの中で、

「私も男はたくさん、男に安らぎを求めても最終的には甘えてこられて…母親じゃないって言うのよ」
「そうそう、男ってカッコつけてるけど、いつも女に甘えて生きてるのよ。男らしい男って会ったことないな」

とある。

いろんな局面で女性が似たようなことを言っているから、そう感じている女が多いのだろうと思う。しかも母親のように亭主に甘えられることは嫌なんだろう。
一方男らしい男に会ったことがないというほどの「男らしい男」ってどんな奴だ!
存在しないだろう男性像を求めることに自己矛盾がある。

それなら、男は女に母親のように甘えたい一面を持つものだという前提にたって対処した方が理に適っていることにはならないだろうか。存在しない理想像を求めて永遠にさ迷う無駄は解消すべきだと思う。

女は根っからの女優である。
だから連れ合いに対してもいろんな役柄を無意識にこなしている。
恋人であり、母親であり、女神であり、娼婦であり、友人であり、喧嘩相手もしてくれる。そして生きてゆく日常についての知恵者でもある。

だが、甘えたい、優しくして欲しい、仲良し夫婦でいたい、という思いばかりが勝った我が儘女は男に幻滅するハメになる。
そんな男にめぐり合うのは宝籤より確立が低いから。
男は小さい頃から「戦え!負けるな!」と育てられ、社会でもそれなりに戦いを強いられ疲れている。
しかし戦いは嫌だということは、生きることを放棄することになるし自尊心が許さない。
だから、つかの間の安らぎとか甘えが欲しくなる。
女性が社会進出著しい昨今では、「女だって同じよ~」と言われればそれもそうだろうが。

うちの女房も「うちは子供が3人居るみたいなものよ」と私を子供の数に入れていた。
 ・さ、歯磨きして
 ・風呂はいる時間よ
 ・そのパシャマはもう着ないで!洗濯カゴに出しておいて
とか、こんな言い方は子供に言う言い方だが、日常生活では不自然に感じなくなってしまった。
 ・あなた、外で他の人にもそんな言い方してないでしょうね、やめてよ~
なんてのも子ども扱いとみる。

男は永遠に父ではなく母親の愛情を求める。
私は違うと思っていたが、やはり同じかとも思う今日この頃ではある。



個人空間

2005年05月12日 | Weblog
今日の朝刊のコラムで、女性専用列車に関して個人空間の事が出ていた。
社会心理学で、自分の体のまわりに広がる心理的な縄張り、のことだそうだ。この縄張りに他人が侵入するとストレスが生じるらしい。満員電車は心理的な教育効果によって耐えられるようにはなっているとか。

特に個人主義が進んでいる欧米では、直ぐ横に立ったり後ろに接近されることを極端に嫌うと言うような話を聴いたことがある。
昔「ゴルゴサーティーン」と言う暗殺者スナイパーを主人公にしているコミックがあった。彼は背後に意味なく接近する者を本能的に殴り倒すという習性が身についている。
そんなことを思い浮かべる。

このブログのスタイルについても、個人空間があるように思える。
個人的な心理的縄張りを侵してはいけない。
勿論公開していて、コメントの書き込みも前提にしているわけだから、同調してくれる人のコメントは嬉しいし、励ましにもなったりする。
しかし、必要以上に入り込んでしまうと、余計なお世話だとストレスになるだろう。

公開日記なんて本来はあり得ない。著名な作家なら許されるかも知れないが、凡人には自分の内奥を公開することなんて出来ない。面白かった、楽しかった、悲しかった、悔しかった、こんなことがあった、そんなことを平凡に綴るだけだ。
それだけでも自分を理解しなおす手掛かりにはなる。
本当は自分の恥部とか悪魔的な部分とか、決して人前には晒すまいと心の奥深く閉じ込めていることを白日の下に抉り出したいという欲望に駆られることがある。
ただ公開ブログではそんなことは出来ない。もし本人の正体が暴露された暁には生きていけなくなる。

とは言っても、書いてみたら「そんなの当たり前じゃ~ん、みんな思ってても公に言わないだけよ」なんて事かもしれない。


やもり

2005年05月12日 | Weblog
あるブログで、「最近、家にヤモリが出没するようになった」と嬉しそうに書いている人が居た。
そして「私の家も」と賛同するコメントが数多く寄せられている。
家の守り神だそうである。昔から言われているみたいだ。
何故守り神なのかは分からない。

私はイモリとヤモリの区別も知らないし、久しくお目にかかったこともないが、数年前にハワイのホテルで一度お目にかかった。
部屋のカーペットの上をチョコチョコッと歩いているではないか。
女房が「何とかしろー」と大騒ぎした。ホテルの係りの人が「何でそんなことで騒ぐんだ」と言わんばかりだったが、一応進入経路を探索した。
アルミサッシの窓の下の鉄の部分が腐食して、小さな動物なら通り抜けることが出来るほどの穴が開いていた。
そこから追い出してティッシュを詰め込んで一件落着した。

概して爬虫類は好きになれないが、特に蛇は嫌いだ。
子供の頃は蛇を首に巻いて遊んでる子がいたが、信じられない勇気に思えた。
蛇の皮をむいて火であぶって食べてる人も見た。

蛇は見ただけでその近辺から早々に立ち去ることにしている。
一度沼で釣りをしていたら、ヤツメウナギかかかってきた。一瞬蛇に思えて逃げて帰った。
嫌な夢も見る。
寝ている最中にチッチャな蛇がお尻から体内にもぐりこんで腸の中を動き回る夢だ。必ずうなされて目を覚ます。蛇を見てるとそんなこともありそうな気がしてくる。

ヤモリも蛇の類に見えて好きにはなれない。
ヤモリが出没する場所に住むことはないだろう。

素人劇団

2005年05月11日 | Weblog
わがコミュニティの素人劇団の出し物が決定し、キャストも決まった。
創作劇4本を同時上演。
7月末までに仕上げるための稽古が始まる。
私もキャストを割り振られた。会合には何とか劇団の何とかいうプロの俳優さんも来ていた。指導してくれるみたい。
今日は長年の俳優崩れのおじさんが、発声法について一しきりしゃべっていたが、訳の分からんことを言っていた。要は腹式呼吸をすること、後は各人の創意工夫あるのみだとか。彼は最近狂言の舞台にも取り組んでいると言う。
最近の映画にも、なんかの物売りで出演して声を誉められたとか。
吐く声、呑む声、止める声があるとか。何のこっちゃい。

とにかく男の参加者は少ない。
女性は若い人からおばあさんと思える人まで大勢参加。
男は妻子抱えて仕事があるし、普通はこんなことに参加しない。
退職後と言えども会社で威張ってたおじさんがこんな場に溶け込めるわけがない。
私もどうなることやら。
とにかく女性の機嫌を損ねないように気をつけよう。
それが仕事をしてない男の生きる術だ。
家事から解放されつつある女性はこんなところでエネルギーを発散するんだろう。
男はどんどん哀れな存在になる。

特別の専門の裏方さんスタッフが居るわけじゃないから、照明・音響・大道具小道具・パンフの作成まで割り振ると言ってた。

それにしても長いセリフをどうやって覚えられるんだろう。
とにかく参加した以上はベストは尽くそう。

傭兵、外人部隊

2005年05月11日 | Weblog
イラクは今、傭兵とか外人部隊の経験者の大市場と化しているらしい。
フランスの外人部隊は歴史的にも有名だ。正規軍とはいえ危険な任務を優先してこなさせられるんだろう。妻子持ちはトラブルの際何かと問題が発生するため採用されないらしい。
セキュリティ関係の私企業が大挙してイラクに進出しているという。アメリカ軍もセキュリティ関係の私企業に守られているとか。イラク兵士の訓練なんかも担当していると聞く。

そんな中に日本人が居てもおかしくはない。
今回ニュースに登場した日本人は元自衛隊員だったという。
生存しているかどうかは未だに不明。
覚悟の上の職務だろうが、日本の家族もどんな仕事をしていたのか知らなかった様子だ。

「戦場の犬達」なんて題名の傭兵小説を思い出す。何故かロマンがあった。一般社会をスピンアウトしたはみ出し者達が、信ずるところに従い数奇な運命を辿るタイプの小説。

戦争野郎達である。
もし死んだとしても花を手向ける人もない悲しい職業と言わざるを得ない。