思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

古今和歌集の講座

2005年05月06日 | Weblog
毎月、第1金曜日に市民生涯学習講座、「古典文学を学ぶ」というのに初めて行ってきた。
全員で100名程度の受講者、4月から22名参加と言ってたから長年続いている講座のようだ。
さすがに殆どが女性。
2時間の講義時間はあっという間に過ぎた。
人気の秘密は講師にあることが分かった。
古典文学への造詣の深さは感心するばかり、かなり高齢で車椅子、奥さんが付き添っていた。
手も不自由で自分でページをめくれないと言っていた。
話はしょっちゅう脱線するが、脱線話がまた人を飽きさせない。
かなり高齢であるが声には張りがあり、耳にも心地よい。大変気に入りました。

 立命館大学文学部 名誉教授 伴利昭

という人。初めて聞く人で経歴とかは全然知らない。

今日は、古今集の概要についての導入部分であった。
平安の仮名の読み方集を、今回の初受講者に配布してくれた。勉強しよう。

北村季吟の注釈本を中心にして和歌を勉強していくという。
北村季吟さんはたいそう偉い人らしい。
江戸時代の国学者で多くの古典の注釈本を書いて、古典を江戸時代の版木の印刷によりあまねく広めた人であるという。
 源氏、枕草子、徒然草、万葉集、古今集など多数の解釈本を書いたエライ先生である。

古今和歌集は大分前に購入したが、読む気になれなくて積んであるが、これを機会に少しは日本の古典にもツバつけてみようっと。

出発点と終点

2005年05月05日 | Weblog
同じ時点を出発点と考えるか終点と考えるか。
同じことを楽天的に捕らえるか、悲観的に捕らえるかだ。

悩みとか苦痛とか、それを乗り越えるべき試練として出発するのか、絶望に押し潰されて終点となるか。
いずれの道も選択できる。
それならば乗り越えるべき試練として、また一つ飛躍してゆく踏み台だったと考えるほうが体にいい。

健康に自信があっても、どんな人生も僅かの期間、50年も90年も大した差は無い。
思うとおりに自分の人生を切り開いて、つかの間の人生を生きればいいと思う。
出来れば後世に何かを残して、僅かの間でも人の記憶に残りたい。

そんな風に生きてゆきたいと最近思うようになった。

不思議な夢

2005年05月04日 | Weblog
時々不思議な夢を見ることがある。
しかも同じような夢を繰り返し見ることがある。
私が良く見る夢は、大学の卒業にまつわる夢である。
学生時代は、授業の内容が余りにもつまらなくて、気に入った2,3の講義しか受けなかった。
卒業が近ずいて、随分単位が足りなくていろんな特別講義を受けて不足単位をカバーした。

夢は
結局卒業できなかった夢である。何故か夢の中では卒業試験があって、しかもあまり学校に行かなかったので試験の日を知らず、行ってみたら試験は終わっていた。
同級生までもあいつは誰だっけ、といった目つきで見つめる。何で誰も教えてくれなかったんだろう。殆ど付き合いが無かったから仕様が無いな、と寂しく思う。
結局卒業しないままに就職した。その後何年間か追試験を受けて通れば卒業証書は発行するという変な夢である。
しかし社会人となってからはなかなか試験にパスしない。それが何年も続いた。
永久に試験には通らないような不安感に苛まれた。
しかも、本当は卒業していないことが会社に知れたら俺の人生は大変な事になる、と思うとますます不安になる。
もっと真面目に勉強しておけばよかった、と後悔しきりである。

ああもう駄目だ、と思いながらイヤーな気分で目を覚ます。
そういえば学歴詐称の国会議員がおったなー。気持ち分かるよ。
この夢解きは?

浮気の罰

2005年05月04日 | Weblog
髪を短くした後に女房の妹に会った。
「なんかの心境の変化?」と言ってたが、女房に「浮気でもしたの?」と聞いてたらしいが、女房は「浮気なんかしたら、坊主にするくらいでは済まん」と言っていたとか。

坊主にして済むんなら浮気もしてみたい。
それはオトコのサガというやつだろう。
言っておくが、妻があろうが無かろうがいい女に色目を使わない男はいない。
実際に事に及ぶかどうかは、いろんなことを天秤にかけて決める訳だ。

いざ浮気となれば人生をかける勇気が必要だ。
そこまで惚れなければ浮気をする価値は無い。

卑怯者めっ!!

2005年05月04日 | Weblog
この前の尼崎の列車転覆大惨事のとき、JRの2人の運転士が乗り合わせていたことが分かった。
2人とも幸いな事に怪我も無く済んだらしいが、その後の行動がいけない。
トットと列車を離れて出勤し通常の乗務をしていたと言うではないか。
事故を目撃した多くの人がすぐさま駆けつけ怪我人の救助に奔走していた最中にである。
社員が自社の人身事故を尻目に現場を逃げ出すとは何たることか。
人の命と自分の勤務の重さを量れない悲しさに暗澹たる気持ちになる。
更に会社の対応も変だ、そのことを知りながら通常勤務に付かせていたという。

2人とも若造なら「ばか者!」と一喝したい所だが1人は59歳のベテランである。
誠に貧しい年を重ねた可愛そうな人だ。残りの人生を棒に振ったようなものだ。
先卑怯者のレッテルを貼られて、この先どんな気持ちで生きてゆくのだろう。
親の顔を見てみたいとはこのことだ。たとえ親が無くとも我々の世代にこんな情けない奴がいたと思うと悲しい。

かく言う私も卑怯な振る舞いをしていたことがある。
子供の頃、兄弟でおつかいを頼まれて、買い物をした後、弟や妹に荷物を持たせて家に帰り着く直前に荷物を取り上げて「ただいまー」といっては母親に誉められていたらしい。
しかし母親はそんなことを知っていて知らない振りをしていたと後年分かってきた。
俺って嫌な性格してたなーとイヤーな感じで思い出す。
三つ子の魂百までと言うから、そんな性格は今でもどこかに潜んでいて時々顔を出さないとも限らない。
俺ももう恥を知らなければならない年だし。
自戒、自戒、自戒。

5分刈りにする

2005年05月04日 | Weblog
床屋で椅子に座ると「どのようにしますか?」と必ず聞く。
今日は1年がかりの決心で、「5分刈りにしてください、バリカンで刈り上げてもらっていいです」と言ったら
「短くしていいんですね、スポーツ刈りでしょ」と言って、嬉しそうにバンバン刈りはじめた。
30代に短髪の時期がひと時あったが、今回は頭頂部の禿が目立ってきたので、いっそのこと短くしてしまえと言う経緯である。

目の前に落ちてくる髪は半分が白い。
こんなに白髪が多かったかと今更ながら驚く。
予定したよりもかなり短く刈られてしまった。
どうせまた直ぐ生えてくるからいいや、と言い聞かせて諦める。

女房が、「ありゃー松平健やー」と言って見ていた。
あの松健サンバのおじさんであるが、テレビにいがぐり頭で見かける。
今日帰省した娘も、「何で短くしたのー?」と変な顔で見ている。
多分短髪は似合わないと言うことなのか。

ここで娘の話。
東京で独り暮らしをしている。
大学が東京の私大で部屋代を含めてエライ金が掛かった。
卒業後に保険会社に勤務したが、2年位で上司と口論の末辞めてしまった。現在は派遣社員で暮らしている。結婚年齢はとっくの昔に過ぎている。
仕事が気に入らないと辞める。失業保険で暫く暮らす。そんな繰り返しだ。
気が強くて、一時期、帰省した際に結婚の話で女房と口論し、着いたその日にトットと荷物を持って「帰る!」と言って出て行った。車で追いかけて連れて帰る仕事が私に回ってきたりした。

高校時代も女番町みたいなのと付き合っていたみたいだが、根はワルではない。
今は京都出身の同年齢の女の子と気が合うらしく、いつも一緒に帰省しては京都で食事したりして帰ってくる。
帰ってくると女房とワイワイ夜中まで喋りまくっている。私は話には殆ど加わらない。
一時、娘のアパートに気の弱そうな兄さんが居付いていたが、娘はその男を余り気に入っている様子でもないので、女房と押しかけていって別れさせた。
男は翌日娘の頬を一発殴って郷里の博多へ帰ってしまったと聞く。
娘は男をかしずかせて側に置きたいタイプだから、オベンチャラばかりの男がいいみたいだ。
何でも言うことを聞く男でないと駄目みたいだから、結婚は出来ないかもしれない。

帰省したら女房は交通費の全てとソコソコのお小遣いを渡している。
不思議に必ず両親とおばあちゃんへのお土産はマメに買ってくる。しっかり計算している。

子供の頃に好きだったピアノをまた練習に通い始めたらしい。
アパートの部屋でも音を出さないで練習できるピアノもどきがあるらしい。

女房も娘の結婚に関してはガミガミ言わなくなった。
娘の人生は娘の人生、好きにしたらいいという風に方針転換したみたいだ。
私も早く孫の顔が見たいとかの気持ちは更々無い。
だが、女独り生きていくのは大変だろうとは思うが、これからの少子高齢化時代、女性の職場も拡大せざるを得ない時代に入ってゆく。何とか生きていくだろう。
最後には泣きついてきても言いように当方も覚悟はしておこう。






男と女、価値観の共有

2005年05月02日 | Weblog
男と女が一緒に暮らして行く、結婚であれ、同棲であれ、セックスフレンドであれ、異性の友人としてのお付き合いであれ、根底に価値観の共有がないと長続きはしないと思う。
共有できなくとも、相手の価値観を認めることが出来ること。
相手のやることすべてに「それはチョッと違うなー」といつも根底から思うなら止めたほうがいい。
個々の事柄について意見の相違から喧嘩をしても、根本の価値観を共有していれば克服できるし、認め合うことが出来る。

価値観は、何をだいじに思うかである。
趣味の一致も、ある種の価値観の一致ではあるが少し違う。
相性がいいということだけでもない。

この世は生きるに値しないと考えるか、生きている限りいろんな事に出会い精一杯生きようと考えるか、である。
正義の側に立っていることを望むか否か、といったこと。
権力を好むか否か、弱者を愛せるか否か、といったこと。
セックスが好きか嫌いか、といったこと。セックスが嫌いな人も意外に多い。
判断の仕方が納得できるものか否か、といったこと。
物事に対処する方法考え方が納得できるものか否か、といったこと。

育った環境が価値観の形成に大いに関係してくる。
生育環境によって複合的に形成されて、微妙な価値観の相違を生む。
欲しいものは何でも手に入った人、苦労しても手に入れられなかった人、そんなことに影響される。

根本において価値観の違う人と暮らすことは不幸である。
毎日がストレスとなる。間違いは早く正す。早く止めたほうがいい。
肉親においても然りであるが、肉親には肉親の情があり逃げられない。

そういえば、ある講座で3分間スピーチというのがあった。40歳前後の女性が母親のことを話していて、母を愛せない理解できないといって泣き出したことがあった。価値観の相違を埋めることが出来ないストレスがそうさせたのだと思う。


自分は何をしたいのか

2005年05月02日 | Weblog
自分は何をしたいのか、本当にやりたいことは何か。
と、いつも考えたり、悩んだりしている人は、実はそんなことを悩んでいる自分の今が本当に好きなのかもしれない。
だから本当にやりたいことは見つけないし着手もしない。

これは自分のことを言っている反省記録だ。
あれをやってみようと思うとき、いろいろの障害をあげつらって、だから出来ないと妙に納得する。人生の大半をそうやって過ごしてきた。
そんな人生を過ごしているお仲間は多分多いと思う。

例えば。
あるサイトで「手作りギターの魅力」というのがあった。手仕事は好きだし、ギターを手作りする詳細な手順とデータ、必要な道具、過去の名品などが載っている。
やってみたーい。残りの人生をかけてもいいー。そこまで思い入れて思う。
だがしかし、我が家はマンションだ。作業場に1部屋当てるのは可能だが、女房は色々言うだろうなー。それに作業するときは騒音で近所に迷惑だろうなー、苦情が来るかもしれない。いい材料といい道具をそろえるのはかなりの投資だ。それに自分はギターの演奏もまともじゃないから、本当にいいギターまで到達できないかもしれない。
もう暫く様子を見よう。
と、万事この調子だ。

本当にそれをやりたいんなら、近所迷惑にならない作業場を別に確保すればいいわけだし、ギターの音色とか響き具合を心配するなら、ギター教室でも通って自分の技を磨き判断力を養えばいい訳だ。だがそこまではやらない。
能力は持っているのだが障害が多すぎる、なんて言い訳を考える。

着手する前にあれこれ悩んでしまう軟弱なハムレット型の典型である。
まずがむしゃらにやってみてから考える人は成長する。

光(太陽光)

2005年05月02日 | Weblog
昨日と打って変わって今日は太陽光がまぶしい。
私にとっては光って大事だなーと思う。光を浴びるのは大好きだが、紫外線の害がどうのこうのといわれると、女性でなくとも気になる。
冬でも我が家は南向きの部屋は長い日差しが部屋の中まで差し込む。
天気の良い日は、裸を光に晒したりあまり人のやりそうも無いことをやったりした。光の中でまどろむのはとても気持ちがいい。

サングラスは外人に多いが、英会話クラスのベンもアンドレアも最近サングラスをかけている。
近くで見ると2人とも目が大きい。光線を目に取り込む量が日本人より多いから眩しさの度合いがが違うのかもしれない。
欧米人は緯度が北の地域が多いので普段は太陽から遠ざかっている。だから光の季節は目を守る必要があるのかとも思うが良くは分からない。

花も木も光を浴びて育つ。
山も日差しと共に緑を増す。光の増加と共に命の躍動が始まる。
奇跡の確率で太陽光線はわが地球に降り注ぎ生命を育んでいる。
50億年をかけて出来上がった奇跡である。
今世紀、地球温暖化とか環境破壊とか、オゾン層の破壊とか、地球の寿命を縮める行為が注目され、マータイさんの「もったいない運動」とか世界規模でその防止策が叫ばれている。

大抵は皆自分が生きている間は問題ないだろうから余り関係ないや、と思っている。何世代も後の子孫のことまで心配する人はいない。自分が生きている間だけ楽しけりゃいいやと考えるのが普通だ。子供と孫の行く末ぐらいまでは考えるか。
しかし、海辺の波打ち際に立って、また山の頂上から雲海の間から谷や町を見下ろす時、あるいは飛行機から美しい海岸線を見る時、美しい地球は守らなければならないという感慨を持たないだろうか。
自分の命も地球と同化して永遠であるような気持ちになることがある。

まだ人類は宇宙に旅立つほどの力は持っていない。
太陽の寿命は後50億年とか記憶しているが、その頃は地球を後にした人類があらゆる銀河に住み着いているかも知れない。
若い頃にSF小説が全盛を極めていた。心のカタルシスにそんなことも想像してみたい。

大型連休関係なし

2005年05月01日 | Weblog
今日は昼から雨に煙っている。
年金暮らしには大型連休もピンと来ない。旅行は割高、人で混み合い、車は大混雑、こんな時期は行動しない。子供は帰ってくるのかどうかはっきりしないし、帰省しても宿泊所位にしか思っていない。子供は未婚なので勿論孫はいない。

最近は曜日の感覚も薄れてきた。
ハナキンという言葉も過去のものになった。

昔はドライブが好きだった。北海道までフェリーで行って、道内を一周したこともあったなー。
遊び疲れてボーっと出勤してたナー。

思い出に浸るようになってはお終いだ。
まだまだ挑戦してみる価値のある事柄は山ほどあるぞ。