思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

小雪

2005年05月11日 | Weblog
最近「エンジン」というテレビドラマを見ている。
女房は木村拓哉が好きなんで、キムタクのドラマは欠かさず見る、私も一緒に見る。
見ながらあの女優さんは誰?と女房に聞いたら
「コユキよ」と言う。
苗字は?と聞いたら「ない」と言われた。どっかで見たナーと言ったら、「ラストサムライ」に出てたでしょ、と言う。
そういえば村の川で水浴してた場面がパッと思い浮かんだ。衝撃のカットだった。
いつも涙顔だねーと言ったら「愁い顔」と言って欲しいね、と言う。

愁いを含んだ立ち姿が最高にいい。
あの顔はなんだろうと思って目をつぶると、モナリザが浮かんでくる。もう一度目をつぶると般若の面が浮かんでくる。
どうにでも変化しそうな、一種独特の魔性を秘めた愁い顔である。
イチコロだ。極端な一目惚れということ。
口数が少なそうな感じもいい、知的で目で語れる女優だ。

ネットで調べたら彼女のお姉さんもいい。元モデル、今歌手、名は「弥生」

もう一人、佐々木三冬、女武芸者の名前。「みふゆ」と読む。
池波正太郎の「剣客商売」に登場する美人剣士である。こちらは写真がないから想像するしかない。文武両道に通じた武芸者。
今で言えばライブドアの乙部綾子さんタイプの有能OLと言ったところか。
有能そうな女性には訳もなく惹かれる。

来週の月曜日も絶対にテレビ見よう。

自立してヨー

2005年05月10日 | Weblog
定年後に、家内が「自立してよー」と言うから何だろうと思っていたら、家事を分担してやってくれと言うことだった。

朝のゴミ捨て。私がやってる。
 女房は化粧しないで人前に出たくない。まだパシャまのままでいたい。
 それが理由。
昼食を一人で食べる。
 女房は殆ど毎日のようにスケジュールが詰まっている。昼食前に出かける。
 働いている訳ではない。ボランティアと遊びサークルで世話人に祭り上げられている。
 外食するのは面倒だし何ぞ作って食べる。料理教室まで行かされた。
皿洗いと風呂掃除
 いつの間にか私の日課になった。
電話のメモ係り
 女房の留守中は色々電話が入る。携帯持ってるのに。
 所属する会の連絡事項が多いから、必ずメモして置けという。
 電話してくる奴は、息子と思ってるらしい。息子さんに伝えておきましたとか言われるらしい。

今日は、映画の只券2枚あるから映画に行こうといわれたが、興味ないので断ったら、映画を2つ見てくると言って出かけた。夕飯は自分で食べて、と言う。

まだまだあるぞ。
 夕方になったら窓を閉めとけ。
 雨が降りそうだったら、洗濯物を取り込んどけ。
 部屋でタバコは吸うな(キッチンの換気扇の下で喫う事になってる)
 電気はつけっ放しにするな。
 歯を磨くときは、水道出しっぱなしにするな。
 日が暮れたらカーテン閉めとけ。
 夜更かしするな、時間があるんだから昼にやれ。
 飲みに出たら今日中には帰って来い。
 小遣いは定額制。自分の金だと思っている。
 ベランダのお花に水を遣れ。次々勝手に買い込んで植えなおしてある。
 掃除は女房1人ではやらない。今日は掃除!と宣言して一緒にやる。
 車は汚れたら洗え、汚れ具合は愛情の尺度だとぬかす。

よくもここまで教育されたもんだ。
自立?するために全部受け入れた。
従って、それ以外のことでは、文句は言わせない。




答えに窮する問い

2005年05月10日 | Weblog
時々、わが女房は変なことを問い詰めてくる。
「自分の子供を本当に愛してるのか」
「私のことをどう思ってるのか」
とか、意味不明としか言いようが無いことを、虫の居所が悪いとしつこくしつこく問い詰めてくる。
どんな答えを引き出したいのか分からない。
無視していると「わたし返事待ってんねん!」と声を荒げて更に詰め寄る。

「わたしが外歩けんようなことは絶対せんといてよ」と何かの気配には非常に敏感。
今のところやましい事は何一つ無いが、「行為は伴わなくとも心の浮気も絶対許さん」と宣言している。
「何の話をしてるんや!」と言っても引き下がらない。

私もしつこさに一度だけキレた。
うるせえなーと思ってさっさと寝たが詰め寄ってくる。
思わずカッとなって、枕もとの目覚まし時計を女房めがけて思い切り投げつけた。
幸いなことに女房には当たらなかった。
無意識に当たらないよう投げつけたのかもしれない。
当たらなくて良かった~、と今更ながらに思う。

その代わりに洋ダンスの大きな鏡にぶち当たって、ガラスに蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
時計もバラバラになって床に転がった。
女房の腹いせかもしれないが、鏡は今もその状態のままである。
記念に取っておくつもりか。

下剤

2005年05月10日 | Weblog
昨日、人間ドックで健康診断。
昨晩飲んだ下剤がようやく効いてきた。効き出すと今度はなかなか治まらない。
暫くはトイレの側にいるしかない。
何回もトイレに行ってお尻の穴の辺が少し痛い。

結果は10日後郵送だ。
ただ血圧が78~140で少し高い。
内科の問診の医師が、少し運動してください、歩くのが一番いいですよ、血圧はギリギリ正常範囲ということにしておきます、と言った。「しておきます」とは如何に。どうぞ御自由にと思った。
腹は出てないつもりだが、座ると少したるんでるから、運動してないことは一目で分かるんだろう。

大腸にポリープがあることは前から指摘されて何個か切り取って、経過観察ということになっている。
今回の検診で何もなくとも大腸の精密検査はやって下さいよ、と釘を刺された。
一瞬去年の内視鏡検査を思い出してイヤ~な気分になった。
苦しくて冷や汗と涙が出る。管を突っ込んでモニターを見ながら、ポリープを発見して得々と説明する医師を殴ったろかと思う。
ホモッ気があるんじゃないかこの野郎!
そんなことを思い出した。あ~ヤダヤダ。

歴史問題

2005年05月08日 | Weblog
国には長い歴史がある。
その歴史をそれぞれの国が解釈して評価して、教科書になったりする。事実は一つしかないが神ではないので全てを網羅して解釈して、これが真実だと言い切ることは難しい。
過去は過去で過ぎ去った昔として忘れることはしない。現在は過去の集積と考え、解釈した物差しで現在の事象を判断する。
一つの事実でも人によって解釈の仕方が違う場合もある。
だから、中国・韓国との歴史認識の問題は平行線を辿るような気がする。
国家間の戦争がもたらした悲劇の解釈にこだわる。

自分が体験したことも無い史実に、国家の教育により翻弄される若者達が可愛そうな気がする。
第2次大戦も多くの日本人が翻弄された。殺し合いを望む人間なんていないはずなのに、戦場に駆り出されて否応無く殺しあった。

私は戦争を知らない子供達の一人として育ったが。
戦争の終結は、一般庶民にとっては戦争の呪縛からの開放であり、殺し合いからの開放である。
国家は国民が望みもしない戦争にただ権力によって引きずり込むわけだ。

個人間でも過去を清算して生きていこうとする人を、その過去に拘り解釈して決め付けるのは可哀想なことだ。その罪を赦して理解してやれればいいと思う。
絶対に赦せないといえば永遠に憎しみ合うしかない。
中国も韓国もアジアの隣の国である。
顔かたちも似ている。
韓国では知り合いと勘違いされ話しかけられて往生したこともある程区別も付かない。

個々人をとれば何のわだかまりも無いのに国家が立ちはだかる。
歴史の解釈の尺度の一つに「赦しあう精神」も入れて欲しいものだ。


赦す気持ち

2005年05月08日 | Weblog
昨日ある人の公演を聴いた。
70才に近いという女性の苦難の人生物語であった。
若いころ何度も自殺を決意したこともあるらしいが、今では成功している。
現在の自分が生きていられたのは「赦す気持ち」が生まれたためだといっている。
過去、自分を窮地に陥れた人々を憎んで、自分の不幸を嘆きついには涙も出なくなったそうだ。
いろんな病気にかかり死を待つばかりの失意のどん底にいたとき、思いがけないある一つの小さな親切に出会い目覚めたそうです。

自分は自分の事しか考えていなかった。
自分の不幸は全て他人のせいと考えて、人を恨み、憎み、自分の不幸を嘆いていた。
だが一方で自分は多くの人に赦されていたのではなかったか。
自分は正しいことをしているのに、と考えていたが自分の正しいと思うことが多くの人を傷つけていたのではないか。
そんな自分を周りの人は赦してくれていた。

そう気付いたときから「赦せる気持ち」が生まれた。
そうすることで心が広がり体調も回復し、あらゆる苦難にむしろ感謝して人生の糧にしてゆけるようになった。自分を苛んだストレスから開放された。
そして今は余生を感謝の気持ちで送りたい。

概略そのような話であった。
悟りを開いたわけではなかろうが、若いうちはとてもそんな気持ちにはなれない。
害を加えられたら仕返ししてやりたくのが人情だ。
辱められたら恨むのが当たり前だ。

人の行為には全て動機がある訳で、夫婦喧嘩にも原因がある。
かーっとなっているときは相手の気持ちを理解しようとする気持ちは失せている。
赦すという感情は相手の気持ちを理解することから始まると思う。
何故こんなことをするのか、何故こんなひどいことを言うのか、はかり知れない隠された動機、過去の経緯が必ずあるはずである。原因を探って理解すれば赦せる気持ちも生まれるかもしれない。

赦す行為は多分に宗教的な行為かもしれない。

赦せない!!と思って報復すれば、自分も赦せない行為をした事になるし、恨み続けても心が晴れろことは永久に無いだろう。
人として生きていく以上、やはり少しでも「赦す気持ち」を学んでいかなければならないという結論が出てくる。
赦すことによって自分の心も解放されるような気がする。



近親相姦?

2005年05月07日 | Weblog
先日「風俗嬢の日記」というブログに出合った。
スケベ心から読んでみた。訳1ヶ月前からスタートしたブログで、風俗店に勤め始めたときから毎日書いている。名古屋の風俗嬢である。
いろんな経験が積み重なっていく様子が良くわかってよろしい。
生活に困窮してそんな仕事をしている訳でもないようだが真の理由は分からない。
ブログの文章は楽しそうだ。
・毎日のサービス内容
・毎日の客数、稼ぎ高は日々5万円前後なども書いてある。
年代別では30代の客が一番多いそうだ。
その中で気になった言葉、30代の客が多い理由の一つに、彼らは子供が出来たら妻とはセックスをする気がなくなって通ってくるという、妻とは近親相姦しているみたいで嫌だ、ということらしい。

は?どういう意味?
まったく理解できない。
が待てよ、この言葉最近どこかでも確かに聞いた。ということはそんな風に考える男が結構多いということか。

妻は結婚したからといって肉親ではないしあくまで他人だ。
近親相姦なんて発想がどこから出てくるのだろう。実に不可解だ。
母親とか姉とか妹なんかとやってる錯覚にとらわれるということなのだろうか。ありえなーい。
そんな発想は我々の世代では聞いたことが無かった。何時からこんな現象が起こっているだろう。

いくら考えてもまったく理解できない。



老いに入る

2005年05月07日 | Weblog
平安時代、女性は40歳になると老いに入るとされていたらしい。
(昨日の古今集の講義での話)
ほんの最近まで、と言っても我々が子供の頃の話だが、人生50年と言っていた。
僅かの間に急速に寿命が伸びた。
年下の人を見ると皆若く見える。
かくいう私もまだ勤務していると見られ、もう働いてないと言うと何か白い目で見られるような感じがする。若いうちから年金生活なんかしてると直ぐボケるようと嫌味をいわれる。

女に関して言えば、20代・30代はまだ小娘、40代・50代が女の盛りと言った感じになってきた。60代に入ってようやく老いに入り、完成に向かう。
男は定年で人生を終える人が多かったが、最近は定年後の人生に賭ける人も増えてきた。
会社に縛られて家族に縛られて果たせなかった夢を追ってみようという人だ。
しかし大半の人は粗大ゴミと化して女房に疎んじられる。何と哀れな人生よ。
バリバリやってた先輩のしょぼくれた姿に接したりすると胸が痛む。

自営業の人は定年が無いから、働き続けて若い。
芸術に携わる人なんかも年齢は関係ない。何時までも青年だ。

悠々自適とか言う言葉があるが、大嫌いだ。悠々自適ですかなんていわれるとむかつく。
認知症の予備軍みたいに聞こえる。認知症は病気だから仕様が無いが。

それにしても打ち込めることってないなー。
女房はこういう。
「日々の小さな出来事を楽しみながら生きるのが人生よ、凡人は凡人らしく」
それが真実かなー、だけど大輪の花火も欲しいと思う。



ムッシュ・ピエール

2005年05月06日 | Weblog
今夜、マジックのディナーショウなるものに行ってきた。
京橋の太閤園というところまで、運転手を務めた。
一日中降っていた雨は夜も降り続けていた。
女房がいつの間にか手配したチケットで、娘と3人で行ったが、子供連れが多かった。
コメディアンタッチのマジックだが、ムッシュ・ピエールとか言う顔に大きな髭を描いた変なお兄さんだった。
知っている人は知っている人気のマジシャンとか。

子供と孫と一緒に楽しむには、つみの無い娯楽なんだろうと思った。
大人3人はいかがなものかと思ったが、同じテーブルにハイミスOLが2人仲良く笑っていたし、マジシャンと一緒に写真を撮ったりしてはしゃいでいた。
マジックそのものはカードとかハンカチとかの小物中心の平凡なものだった。

以上。