思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

第9のレッスン

2006年08月20日 | Weblog
今日から「1万人の第9」のレッスンが始まった。
応募者14500人、運良く10000人の当選者に入った。
初心者クラスに応募したので12月までに12回のレッスンがある。
3回レッスンを休むと12月3日の大阪城ホールでの晴れの舞台の参加資格を失う。
来年からは経験者クラスにしよう。それであれば6回のレッスンで終了となる。

今日は相変わらず暑い。
レッスン会場まで電車を乗り継ぎ、汗だくだった。
今回の講師は女性、ポニーテールの大柄なお姐さん。
会場は冷房がよく効いているがステージは一段高くなっている分気温が高いのだろう。彼女はタオル持参で汗を拭き拭きのレッスンだった。
そういえば過去2回のレッスンも講師はいつもタオルで汗を拭いていた記憶がある。
初心者の指導レッスンは相当のエネルギーが必要なのだろう。

私は今年で3回目になるので、ドイツ語の歌もメロディーもかなり記憶にとどまっているので練習も比較的ラクチン。
今年は完全マスターを目指そう。

5時半に終わったので、女房と食事して買い物して帰った。
今日は買い物は私のものだけ、麻のブレザーとレジャーシューズを買った、ということは女房は最近自分用に何か高価なものを買っているな、と推定できる。

そうそう、レッスンの休憩のとき携帯で高校野球の実況を見ているあにさんがいたので、「えっ、まだやってるの?」聞いたら延長15回という。
結局引き分け再試合とか、大変な熱戦だった様子。

冤罪

2006年08月18日 | Weblog
やっていない事をやったといわれてお互いに確たる物的証拠がない場合は大変なことになる。過去の経験則、状況証拠だけで裁かれる。

妻「これ、あなたがやったね」
私「いや、知らんよ」
妻「いいからいいから、こんな意地の悪いことをするのはあなたしかいないよ」
私「知らん言うてるやろ!」

特にやってない証拠もないから水掛け論になり、畜生め!、と思いながら勝手にしろと議論はそれで終わる。
これが殺人とか傷害事件となると悲劇を生む。
アメリカの10年前のジョンベネ事件も両親に嫌疑がかけられていた。
冤罪だったとすれば何人かの人生を狂わせてしまったことになる。

この事件で浮き彫りにされてきたのは東南アジアでの幼女の性虐待とか幼児ポルノ、しかも大多数に日本人がかかわっているという。
日本人の品格が疑われている。




寝顔

2006年08月18日 | Weblog
普通自分の寝顔は見れない。
今朝おきて鏡を見ると額に赤い立皺が3本残っていた。
どんな顔をして寝てたんだろうか。
夜中にあまりの寒さに鼻水とくしゃみに襲われ目が覚めた。冷房の利かせすぎだ。女房もタオルケットで全身を巻き込んで小さくなって寝ている。
エアコンの調整をするのが面倒なのでまたそのまま眠った。
寒さと戦いながら朝まで眠ったため苦しい夢を見た。

女房によるとエアコンを「お休み設定」にするのを忘れたんだそうだ。
その設定にしておけば就寝後の一定時間後に部屋の温度を自動検知して適性温度にするんだそうだ。
起きて設定しなおせばいいだけのことなのだが、2人とも横着こいて朝までそのまま。

そういえば昨晩は女房は疲れていたのか早めに寝た。
私が寝る時間にも寝室の電灯は煌々とついたままで、女房は大の字でいびきをかいて寝ていた。しかも口はあんぐりと空けてなんとも情けない顔で眠っている。
絶対に人には見てほしくない格好だ。
デジカメで撮りたい衝動に駆られたが止めた。わざわざ喧嘩のタネを作る必要はない。
この寝姿、私だけの秘密にしておきたい。

私もあんな顔して眠っているのかも。

夜中の目覚め

2006年08月18日 | Weblog
最近夜中に1度目覚める癖がついた。
目覚める時間は不定期である。
1時であったり3時であったり4時過ぎあったりする。
6時ころの場合もある。
6時は普通の人には朝の起床時間かも知れないが、私の認識は「あと2時間は眠る必要がある」となる。

大抵は12時前後に就寝する。
ベッドに入ったら早く眠りにつきたい。そして早く8時間が経過してほしいと願う。私の適正睡眠時間は経験則に照らして8時間だから。
朝8時ごろに目覚めるのが最適である。
その途中で目が覚めると時計を見て、「チェ残念まだこんな時間か」と損したような気分になる。
そして大抵はそのまま新たな眠りにつく。

朝8時にはテレビのスイッチがタイマーで設定されているので必ず起きる。
女房は多分6時過ぎには起きていて1人の時間を有効活用している。
食事の準備は私が顔を出してからだ。
「残念、起きてきやがったか」という顔をして朝食の準備を始める。

塗り絵の本

2006年08月17日 | Weblog
先日本屋さんをのぞいたら、塗り絵の本が数種類も山積みにされているではないか。
「え~っ、なんだこれは」
と思って何冊か手にとってパラパラとページをめくってみた。
明らかに子供向けとは思えない。
女房の母親がデイサービスの介護の一環として塗り絵で遊んでいるが、その類とも違う。

写真とその写真から色を抜いた線の絵がついている。
写真を参考にして自分の好きな色をつけてみようと言うわけだ。
色は淡い水彩絵の具が適しているみたいで、描き方の見本までついている。
立派な風景画に仕上がったりしている。

ふ~む、面白そう、と思ったが買わなかった。
こんなにたくさん山積みになっているということは、売れるからで、これを楽しんでる人も多いということかもしれない。

多分お年寄り向けだと思う。
あらためて絵画の勉強するには遅すぎるし、でも絵を描くのが夢だった、みたいなひとをターゲットに開発されたのだろう。
上手に塗れば立派に絵画として通用する。
額に入れて飾れば立派な画家さんに変身できる。

絵を描く人も邪道といわれつつも写真から描き起こす人が多い。
塗り絵も立派な芸術家かもね。
面白い現象だね。

世界の常識

2006年08月17日 | Weblog
陸続きの国境を持たない日本は国境についての認識が世界とズレているらしい。
そういえば陸続きの外国の国境では機関銃を背負った警備兵も何度か見た。
警備兵に呼び止められて逃げ出したりすれば銃撃されて当然、というのが世界の常識らしい。

今回の北海道沿岸の漁船がロシアの警備艇の銃撃を受け1人が死亡した。
日本とロシアはいまだに国境が確定していない。
その他にも領土のはっきりしない地域があって中国や韓国とももめている。
これほど国境でもめている国は今や世界でも珍しいとか。
曖昧なままで平和な時期を過ごしているわけだ。

それにしても北海道の地図で示されるロシアが主張する北方4島を見ると、近いことに驚くし、どう見ても日本固有の領土のように感じる。
大戦末期にドサクサにまぎれて火事場泥棒にあったような感覚は否めない。

腹筋を鍛える

2006年08月17日 | Weblog
昨日のダンスのレッスンで姿勢のことをいろいろ講釈された。
ダンスの自然な立ち姿はトウで立っている感覚、しかしヒールを浮かすわけではない。腹筋を意識する。下腹はへこます。呼吸は止めない。自然に呼吸する。

腹筋が鍛えられていないと自然に立てない。
といって腹筋を鍛えるために腹筋運動をすることはよくない。
腹筋がガチガチに固まってしまう。
腹筋は柔らかな状態で保つ必要がある。

どうせいちゅうねん。
ダンスでの腹筋の鍛え方は「腹筋を常に意識しながら踊る」ことなんだそうだ。
腰の上に上体をストンと乗せて上体がぶれないように腹筋で保つこと。

難しいことばかりいう先生だ。

写真

2006年08月16日 | Weblog
女房はパソコンには触らないが、メールアドレスは持っている。
女房が参画している某サークルはパソコンを通して会の案内が来る。
今日も先日のサークル行事のデジカメ写真を20枚ほど送ってきた。
私は女房のメールの係りである。
私にはほとんどメールが来ることはないが、女房へのメールを見逃すわけにはいかないので毎日目を通す。
文書はすべて印刷してから彼女に渡す。返事が必要な場合は口述に従い私が返事を出す。写真も印刷してから渡す。
20枚の中から勝手に厳選して4枚を印刷する。
サークルには写真にマメな人がいるようで行事が終わるたびにたくさんの写真をメールしてくる。
そのたびに私の余計な仕事が増える。

感動と創造性

2006年08月16日 | Weblog
我々が生きている現代社会には単純労働が多い。
会社勤務での繰り返される単純労働、マンネリ化する思考。
家事労働も同じ炊事洗濯にお掃除、ただ同じように繰り返すだけなら何の価値も生まないように思える。
その他の自由業でも繰り返される単純労働が多い。
ただ同じように繰り返すだけでは頭脳は硬く枯渇していくような気がする。
職人と言われる仕事も先輩の教えをひたすら守って繰り返すだけなら、真の職人芸にはたどり着けないだろう。

所詮人生は繰り返しに満ちている。
朝から晩まで時間に縛られて同じことを繰り返す。
1年ごとに季節は巡るし、行事も年々繰り返される。
同じ単純労働も何年も何十年も繰り返す。
寿命がくれば無に帰り後の世代がまた繰り返す。

そこに感動と創造性が加味されたときに新しい価値が生み出されると思う。
感動と言ってもいわゆる涙を伴う感動ではなく「え、う~ん、なぜ?」という種類の感動である。
「疑問を抱く」といった方がいいかもしれない。
それが何かを生み出す出発点になると思う。

私も会社勤務という単純労働から解放されてしまった。
しかし、仕事中は制約された労働の中でも感動と創造の喜びは味わってきたように思う。
定年という開放された状態が続く中で、思考停止状態が続いているように思えてならない。
何をしたらいいか分からない「世の定年族」の例外ではなかった。
何でも自由にできる環境に放り込まれて戸惑う、というのは贅沢な悩みなのか、枯渇した脳細胞のせいなのか。

やって楽しいことをやり続けられる人生が一番幸せだ、と誰かさんが言っていた。
若いときにそういうことに巡り合って、一生それを続けられる人生は本当に最高の人生だと思う。
だが、
「何かをやるに遅すぎるということはない」とも言う。


37.9度

2006年08月16日 | Weblog
昨日も暑かった。
37.9度だったそうだから38度に近い。

一昨日昼過ぎに街路を歩いたが、熱い日差しがアスファルトを照りつけて、地表の温度は40度をはるかに超えているだろう。
ギラギラと明るい街はほとんど人通りもなくシンとして燃え上がっている。
不気味なくらいの静けさの中、蝉の声だけが響く。

北国ではお盆を過ぎるころから吹く風の中にかすかに秋の気配を感じることがあるが、大阪は「まだまだっ」とばかりに湿った熱い風がまといつく。

「お盆」は通常13日から16日をさすらしい。
13日の夕刻に迎え火で精霊をよび16日の夕刻に送り火で精霊を送る。
こんな暑いところには「精霊さん」もあまり来たくないだろう。
暑いから今年も行くのやめとこう、なんてことになってるかも知れない。