思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

じっと家に

2006年08月15日 | Weblog
暑いのでじっと家にいた。
午後から、女房は掃除を始めたので付き合う。
掃除機は1ヶ月ぶりかな。
結局1日中パジャマのままだった。

BUSHIDO: The Soul of Japan

2006年08月14日 | Weblog
昨日、女房の実家の法事でのお食事会の時の予約時間待ちの間、そばの書店で「武士道」という本が目に留まった。

100年以上も前にアメリカで英語で書かれて各国語に翻訳され、当時ベストセラーになったという。

著者は「新渡戸稲造」、前に5000円札の肖像として見ているが、いったい何をした人かよく分からない。

ネットで調べるとスゲー人だったことが分かる。
簡単な年表を見ると1900年彼が38歳のときに英語で書いた。
原文は流麗な英語で綴られているという。
彼はアメリカ人女性と結婚している。
国際連盟の事務次長をしたり、日本の各大学で教鞭をとったり有名な女子大の初代学長だったりしている。

この「武士道」は岬龍一郎という人の翻訳本だが、中身は読んで古さを感じさせない。新渡戸稲造の先進性を感じることができる。

日本の武士道について語られるとき、この本の考え方が中心になっているという。
日本人として、一応読んでおきたい気分である。

墓参り

2006年08月12日 | Weblog
故郷の墓参りもサボリ初めてもう10年以上になる。
元来お墓の前で、神社仏閣で両手を合わせる儀式が好きでない。
両手を合わせてご先祖様に感謝したり神社仏閣で祈りの言葉を念じたりしたことも無い。
ただの儀式としてお付き合いしているだけだ。
ばか者めっ、といわれてもその気がサラサラ無いのでどうしようもない。

行事のために集まってウダウダと酒を飲むのも基本的には嫌いでお付き合いだから仕様が無いかと思っていたが、故郷を遠くはなれてしまったのをいいことにして御無沙汰が長い。
こんなやつは珍しいかな。
そんな訳で、8月の日本列島大移動の時期もいたって暇に過ごしている。
あ、明日は女房の実家で法事があったぞ、おつきあい、おつきあい。
まただの食事会みたいなもんだし。

マインドコントロール

2006年08月12日 | Weblog
母親が子供のために命を捨てることができるのは、人間に限らず生命体に備わった遺伝子の命令に従うようなもので本能的な行為である。
最近は例外的な母親も増えてきたが、人間が本能から遠ざかりつつある証のようにも思える。

テロ集団が組織員をマインドコントロールして義のために喜んで命を捨てる行為に導くのは、歪んだ卑劣な行為である。人間の本能を無理やり捻じ曲げる行為である。戦争国家も若者を死地に送り込み「お国のために死ね」というのも同じく間違っている。

その極限が自爆テロだと思う。
ただ多くの人を殺すために自らも命を捨てる。逃走経路を自ら遮断し喜んで自らの死を受け入れるように心をコントロールされる。
今回のヒースロー空港からの航空便でのテロを未然に防げたのはよかった。
もし成功していれば何千人の旅行者の命が奪われたと想定される。

自分の死を厭わないテロリストがいる限りこの種のテロ行為は後を立たないような気がする。
死を恐れないようにコントロールされた人間は万能の兵器になりうる。

根本原因は結局は貧富の差、世界を支配する資本の原理に求められる気がするが、それは未来永劫に解決されない問題のようにも思われる。
テロ集団の頂上にはテロリストを仕立て上げる管理者がおり、その後ろには国家があり、国家の指導部を牛耳る資本がある。

我々の日常もマインドコントロールされている。
各種の報道機関、各種のコマーシャル、衣食住も含めて考え方もコントロールされていないだろうか。
同じ社会的な出来事でも国民の評価の仕方は国によって一定の同じような評価を生み出すのはコントロールされている証拠ではなかろうか。

この情報社会で情報に汚されていない新の自分を見つけることは不可能に近いと考えてしまう。

コツコツと続ける

2006年08月11日 | Weblog
「好きなことをコツコツと続ける、それが人生を楽しく生きてしかも何かをものにする大事な要素だ」、とある高齢の女性がテレビで言っていた。

「好きこそものの上手なれ」という言葉もある。

うんうん分かるよ。
ということは、好きなことが永続せず飽きっぽいのはどうなる。
そんなやつは幸せにもなれず何一つものにならないということか。
ワタシはそのタイプ。だめだね。

私の周りにも「凄げえ」と思うようなことを平気でやってのける人たちがいる。
しかし、少し話を聞いてみると彼らは天才でもなんでもない、それができるために何年もコツコツと努力を重ねてきていることが分かる。

「何事も始めるに遅すぎる事はない」、怠け者の私が好きな言葉だ。
何か楽しいことを見つけて真剣に取り組んでみたい。

デイトレイダー

2006年08月10日 | Weblog
今日はカンカン照りの暑い中、カラオケの店に行ってきた。
店に入るとき2人連れの黒のビジネススーツのお姐さんが同時に店に入ってきた。
ニュージーランドがどうのこうの言いながらパンフレットをママに渡して、後輩を紹介しますとか言っていた。

2人が帰ってから「海外旅行ですか?」と聞いたら「為替よ!」という。
よくよく聞いたら為替相場のことらしい。

そのママさん、私と誕生日を言い合う中で「あら、私の方がお姉さんよ」と言う。
地味で小柄、もともと「客商売は私には不向き」といいながらもう長いことやってる。
ニュージーランド云々はニュージーランドドルのことだった。
今回からニュージーランドドルも手がけることにしたそうだ。
米ドル、ユーロ、…など数カ国通貨を為替相場で手がけているとか。

それを全て携帯電話でやる。
携帯電話でやり方を順を追って画面を切り替えて教えてくれた。
その画面によると彼女の残高は現在350万円、1年前に250万円で始めたそうでこの1年で約100万円儲かった勘定になるという。
凄い。
昼は忙しいからもっぱら夜中に売買するんだそうだ。

株もやってるでしょう、といったらやってた。
こちらは証券会社を通じて取引暦10年、約3000万円儲けた勘定になるらしい。
彼女もとは病院で総務の仕事をしていて、退職金は500万円だったとか、増やすには株しかないと退職金含めて1000万円を全額株に投資したという。
というのは年金は2ヶ月で25万程度、これでは暮らせないと腹をくくって株にかけたようだ。

パソコンで取引すれば手数料は安くなるがなんか怖いんだそうだ。
パソコンも携帯電話も同じようなもんだが、不思議な真理だ。

そんなに稼いでなんに使ってるの、と聞いたら
「この店が暇で収入が少ない時に注ぎ込んだり、あとはお洋服だね。10万くらいの服は何の抵抗もなく買える」んだそうだ。

驚いた。
鼻眼鏡を掛けてニコニコしているおばちゃんだったが、人生に余裕のニコニコ顔だったんだ。

信じられない言葉

2006年08月10日 | Weblog
8月といえば61年前の終戦、被爆の記念月で、戦争の惨禍を風化させないという記念行事が行われる。
私は戦争という記憶が残ってないし戦後の混乱期も田舎でノホホンと成長した。
従って貧乏ではあったが、ひもじい思いをした記憶もない。
爆撃を受けるはずもないド田舎で防空壕に入ったような思い出がかすかにある。
それも成長してから聞いた体験の想像の産物かも知れない。

先日の演劇サークルでは、演出者が得意の一人芝居を披露した。
原爆で亡くなった近しい人との直後の出来ごとを10分ほど演じるものだった。
それを聞いて目を真っ赤にしていたある女性の感受性を羨ましく思った。

一方、先日のニュースでは信じられない言葉を聴いた。
日本の高齢の被爆者が確かニューヨークで被爆体験を世界の青年達に公演した後の感想を聞いている場面だったように記憶している。
状況設定はおぼろげで全体を見ていた訳ではないが、2人の青年の驚くべき発言だけを記憶している。

フランスの若い女性
「原爆がそんなにも酷く人の体を傷つけるものなら、公演者が今まで生きている説明がつかないじゃないですか」
中国の若い女性
「日本は中国大陸でもっと酷いことをしてきた。それ位の報いを受けるのは当然です」

信じられない言葉だった。

惚れやすい

2006年08月10日 | Weblog
新聞に毎日載る川柳、何故か必ず全首読む。
全ての句にふふふと頷けたら合格、「え、どういうこと?」と理解できないと1日中悩んだりする。
世間についていけてないのかなと悔しがる。

今日の川柳の中に

 予報士の胸見て終わる天気予報

これ、あるある。
美人の予報士だと立ち居振る舞いをいちいち目で追って鼻の下が長~くなる。
終わって気がつけば肝心の天気予報は全然記憶になかったりする。

女性のニュースキャスターでもそんなことがある。
一目ぼれしている女性キャスターがひとりいる。
地方局のキャスターだが、ひと目見た時から惚れてしまった。彼女が登場するたびにドキッとして見惚れてしまう。
その時のニュースの内容は飛んでしまう。
キャスターは普通テーブルの前で上半身しか写らない、従って立ち姿を知らないことが多い。
あるとき偶然に彼女が街で取材している姿が放映された。
そしてそして改めて惚れ直した。立ち姿もいい~っ。

惚れやすいということは醒めやすい。
暫くして醒めて見れば、えっ何がよかったのかな、と不思議な気持ちになる。

夫婦もそんなもんだろな。
恋しさ募って「あばたもえくぼ」、結婚して生涯惚れ続けるには相当の努力が必要だろう。
しかも、好き嫌いは理屈じゃなく感情だからな。
理性でもって惚れ続けようなんてのには無理がある。
熟年離婚もお互いにとって決して悪いことではないかもしれない。
嫌いになった人と一緒に生き続ける覚悟をするには余生が長すぎる。
それとも、「私の邪魔しないなら添い遂げてやろうか」程度の妥協はあるかも。

見合い結婚というのは別の意味でいい結婚の形態かもしれない。
まあ、この人でいいかと、特別な期待なしで結婚生活が始まる、子供も育てる、期待してないから失望もしない、そんなに好きでもなかったわけだからそんなに嫌いになることもない。
ただ女性が嫁いだ後こんな筈ではなかったと目覚めると悲劇が始まりそう。


場末のスナック

2006年08月10日 | Weblog
私は貧乏サラリーマンだったからスナックといえば場末のスナック。
貧乏というのは、お小遣い貧乏のことです。
会社の交際費をバンバン使う立場でもなかった。
たまに豪勢に交際費を使う上司のお供をする程度。

繁華街の中心で店を張って高そうなドレスとか着物とかに身を包んで若い女の子を数人使って、なんていう店にはあまり縁がない。
そんな店は高い家賃を稼ぎ出すためにひたすら客を回転させるか、少し長居すると見栄を張って大金を使ってしまうことになる。
そしてあまりいい思い出は残らない。

その点場末の小さなスナックは、人生をぶつけ合うようなお付き合いが出来るような気がする。
学ぶことが多いのも場末のスナックだったと思う。

客が少ないのがいい。
店の広さが知れてるから。
何度か通ううちにお互いの人生噺もし合い何となくお互いの信頼の絆みたいなものが生まれてくる。
みんな何かしらの少なからぬ傷を背負って生きている。中にはワルもいるが、そういう店は長く続かない。
場末の町でひっそり生きている感じがいい。

一方で、客商売だから逞しくないとやっていけない。
自分の商売を邪魔する奴は決して許さんという断固たる態度である。
それも体を張って命をかけるような態度を見せることもあるのがいい。

たまにはヤクザさんの攻勢に合うこともある。
それも上手に切り抜けないと生きてゆけない。
そんな風にひとり体を張って生きてる割には大して儲かる訳でもない。

そんな感じの場末の小さなスナックがいいですね。


チークダンス

2006年08月08日 | Weblog
いつもの店にある曜日に来る女がいる。
パートで働いている。夫も子供もいる。結構いい年だが働いているだけに身奇麗にしている。
彼女時々踊りたがる。
狭い店内だからただ体をを引っ付け合っていやらしく腰を振っているだけのお下品なチークダンス。
私も声をかけられる。
ママが「踊ってやりんかい」という。

この前は両腕を彼女の腰に回して思い切りひっつきあった。
彼女の下半身のあの部分がやけに熱してくるような感じ。
目を瞑って静かに燃えているような雰囲気が伝わってくる。
セックスしているみたい。

私、そんなお下劣なことも平気でやっております。
ひと時を自分を解放して過ごすのは体にいいかも。

こんな店に一人で来る女って、なんか欲求不満の捌け口を求め男を求めてさまよっているのかもしれない。
夫とは長い間セックスレス?