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宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

中学・高校(津波)講座(6)鍬ヶ崎の岩盤

2015年06月05日 | 中学・高校講座

次ページの「鍬ヶ崎沿岸の岩盤地形(3)工事中断の真意」に行く前に思いつき的に中・高生講座を始める。まとまったものではなく断片的に鍬ヶ崎の地質に関するメモを残しておきたいからである。短時間授業の代わりに試験(テスト)もない…



1、宮古市鍬ヶ崎地区の深層地形は特殊である?


答え:防潮堤のプレキャスト工法にとって宮古市鍬ヶ崎地区の深層地形は特殊ではない。鍬ヶ崎だけ特殊だという事はないが、鍬ヶ崎独特の地層をしている。それは前ページ
「鍬ヶ崎沿岸の岩盤地形(2)工事中断の背景」に述べたような鍬ヶ崎の位置、また周辺地形から推測される地元住民の共通認識のなかにある。つまり海底の深い岩盤等は急峻~複雑であるという認識である。

岩手県・宮古土木センターもある程度の調査を行っている。いずれにしても、鍬ヶ崎の特殊性の問題解明を進める事が、お互い、他の地域の特殊性を認める事になり、共通性を解明する事にもなる。



2、昔から地元の研究者によって地質学的研究が行われていた


(断片を抜粋)「次に、蛸ノ浜断層は鍬ヶ崎の切通しから蛸ノ浜を結ぶ断層線で、その延長上に海洞群がみられ、更に砂子島を陸岸より切離し、日出島も同様である。したがって、蛸ノ浜断層は切通しと日出島と日出島(軍艦島)との中間を結ぶものと言える


震災後1年半の鍬ヶ崎(「マスター写真館2」)※セピア化

左奥浄土ヶ浜橋(蛸の浜)が見える。道路沿右奥は切通し
右上に宮古港の海面が見える。海面の上方部は日立浜地区
 

説明できるほど意味は分からないが鍬ヶ崎そのものである親しい地名がでてくると嬉しい。鍬ヶ崎市街地の真下に南北に蛸ノ浜断層というものが連なっているという事は分かる。市街地の東に伸びる日立浜の地層はまた別であるようだ(県が鍬ヶ崎を鍬ヶ崎地区と日立浜地区を意味もなく区別する遠因かもしれないナとふと思う)。また切り通しの岩肌と蛸の浜の岩肌は違うのにナ…とも思う。いずれにしても先人がフィールドワークでこの辺りを観察し、採取し、思索し、往来した様子が伝わってくる。この辺りの地層に特殊な事、何か大きな興味深い事があったからだと推測できる。

抜粋は、工藤  一「リーセントに於ける地形発達~宮古付近の場合~」(岩手県沿岸史談会編「史潮 8号」昭和50年)より



3、(転載=三陸ジオパーク「ジオブログ」にリンク)

「宮古層群」白亜紀の化石の宝庫

「宮古市鍬ヶ崎から田野畑村弁天崎まで約35kmにわたって分布する宮古層群。ウミユリや有孔虫、サンゴなど多くの化石が産出されています」

 



 

全体を大きい字で見るには下↓のリンクをクリック



岩手日報 「いわてのジオのモノがたり(ジュニアウィークリー)」連載24回目!(2015.5.2)


連載23回目(2015.4.15)もおすすめ!! 「宮古層群」満載

 

 

 講座(6)鍬ヶ崎の岩盤 

   講座(5)    てこの原理 

講座4)ルカリの海 

講座(3) 運動の力  

講座(2)ローマ人の哲学

講座(1)寄りかかりの力

 


 

 

 

 

 

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