宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

宮古市東日本大震災復興計画検討委員会への一委員からの提案 ~学ぶシリーズ(1)-2~

2011年09月06日 | どうなる復興計画

 




これは第2回宮古市東日本大震災復興計画検討委員会に提出された香木みき子検討委員からの提案である。津波災害後の高層住宅建設を、高齢者の立場から端的に力強く提案している。

「景観」


この方が、冒頭から海のある景観について述べられている事に私は我が意を得たように強い感銘を受けた。そうなのである。とくに風待ちの良港として昔から全国各地の船乗りに親しまれてきた鍬ヶ崎港湾の風景をはじめとして、津波被災地から望む全ての海の見える光景は漁業者に限らず地域住民にとっては大きな生き甲斐の一つなのである。津波に家を流され、身内までもなくした人たちにとって、それでも地元に残りたいと願うのは、とくに高齢者にとっては、一見矛盾した本音であるように思われる。安全があり、親しいコミュニティーがあり、海の景観がすぐ近くにあることは、お年寄りとっては復興計画のゆずれない原点であるにちがいない。いや、国や自治体など周りからのせめてものプレゼントであるべきである。氏の提案はそのようなことを言っているのである。

 余談であるが今日はこのような言葉を目にした、──人は正倉院の御物と言えば守ろうとするが、万葉故地の何気ない景観については、その大切さをなかなか理解しようとしない。…

他の委員からの提案がともすれば業界の要望であったり、ビジネス業務からする正倉院提案であったりする中で、このような感受性の豊かな方が、検討委員の一人に選ばれている事にほっとしたのである。氏の提案は、まさに個別的の地域重視で、年代等の個々の立場が考慮されており,しっかりと復興計画の中に取り込まれて検討されるべきである。

では委員会の中でこの提案がどのように扱われていったのか?公開された議事録が匿名であったり議論の流れが複雑だったりして良くわからないが、事務局案にまぎれ、他の意見にまとめられたりして思うように検討されなかった、というような事のないように見守りたいしお願いしたい。






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3 コメント

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重茂漁協の新しい挑戦 (徘徊老人)
2011-09-07 01:33:10
9/6NHKBS特番 宮古重茂漁協のドキュメント
新しい壮大な実験がNHK取材班によって特番になりました。

現在、漁業組合の残高は8億6千万円。漁民の損害は25億円。こうした収支の中で伊藤組合長という優れた指導者の元漁協の復興が始まりました。

6人の漁師に1台の磯舟で重茂ブランドのわかめ業がスタートしました。

個人所有の競争社会から、組合員全員が助け合い労働も富も均等配分する共産社会が始まりです。
一人は万人の為に、万人は一人の為に

この理念がこの漁協に大きな大輪の花を咲かせる事を念願したいものです。

労働力や生産性の違いが鮮明のなか、富の均等配分の不平不満をどう止揚して行くのか興味は尽きません。
頑張れ壮大な実験。


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海をさえぎらぬ (かばさん)
2011-09-16 14:59:57
悲劇の大川小学校、
これがNHKの特番で
全国に放映。
その内容はさておいて、
小学校の全景が山側から
活写。なんと、校舎が海を背に
建っていた。
海の見える風景をさえぎっていた
もしも、逆だったら、津波
襲来が校庭にいた人たちに
ありありと見えた、だろうに!
設計者は、校舎を防潮堤にしたかったのか
景観を軽々しく見るべきでない
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やはり原発事故が頭から離れない (徘徊老人)
2011-09-17 01:42:29
空が見える、海が見える、においを感じる感性が人生を占うのかもしれない。

これから僕たちは何を食べるのか?

小出裕章「私ももちろん食べたくありませんし、どなたにも食べさせたくありません。ただし、福島原子力発電所の事故は事実として起きてしまいました。噴き出してきた放射性物質は福島県を中心に日本全土に広がっていますし、もうひとこと言えば、世界中にもう撒き散らされてしまった、のですね。えーそれを全て拒否するということは、もう私たちには許されない、というかできない、のです。ですから、汚染した食料がこれからどんどん回ってくることに、なるわけですけれども。その食料を一体どのように取り扱えばいいのかと。いうこと、に私たちが向き合わなければいけない、のです。それで、私は、こうなった以上はしかたがないので、責任のある人たち、責任の重さに応じて、汚染した食べ物を食べるような仕組みを作らなければいけない、ということを言ってきました。で、まあ、責任のある人といえば、もちろん東京電力の人とかですね、国のお役人、原子力委員会、原子力安全委員会の学者たち等々含めて、今回の事故に責任のある人はたくさんいるわけですから。そういう人にはまず猛烈な汚染食品を受け持っていただきたいと思うし。えー、この事故を、まあ、許して来た、というか原子力をここまで、見逃してきた、日本人の大人というものもそれなりの責任があると思いますので、大人の人は甘んじて大人の人は汚染食品を受け入れてくださいと私は言ってきたのです。

知らされずに食べるのか、知っていて懺悔の様に食べるのかまだ整理はつきません。

釜石の復興計画が伊東豊雄らによってスタートしています。
http://archiaid.org/reports/474

海の見える 22世紀のまちが計画されることを期待します
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